物乞いの老婆
軽く腹ごしらえをした後。
俺たちはその足でルガールの森へと赴いた。
レオンハルトが用意した数匹の大馬に乗り俺たちは森への入り口にたどり着いた。
それにしても、リラは器用に何でもこなす。大馬なんてあまり乗り慣れていないはずなのだが、この短期間で、そのあつかいをあっという間におぼえちまった。
しかし、何よりも意外なのはリィピだ。
こいつは、とある呪いにかかり記憶をうしなっているはず。しかし、さっき大馬に乗った途端に、かつての記憶が刺激されたのか案外と容易く乗り馴れちまった。鱗だらけの大きな手で織りなす手綱さばきも見事なものだ。
こりゃ、自分が魔術を扱う紋章師だったって事を思い出すのも時間の問題かもな。
そんな事をぼんやりと考えながら、ふと、なにげなく目をやった視線の先。
木陰の下に一人の老婆がうずくまっているのが見えた。
乱れた白髪に、虫が湧いていそうなうすぎたないボロ切れのローブ姿。
その案山子のように細っこい体をした老婆は、こちらを恨めしそうに眺めている。
落ちくぼんだ眼窩の奥にある、白濁した両の瞳。
____物乞いか
先頭のレオンハルトは、その老婆を気にかけるでもなく方向を変え、右に逸れていく。
俺たちもひとまずその老婆を無視し、レオンハルトに続こうと大馬の向きを変えた。
その時、老婆が口を開いた。
「……この森を焼いてはならねぇ。今に恐ろしい事が起こる」
そのしゃがれた声は、まるですぐそばでささやかれたように耳元で響いた。
背中に虫が這いずるような寒気が走る。
俺はびくりと肩を震わせ、大馬を止めると老婆に顔を向けなおす。
老婆はまるで蝋人形のようにピクリとも動かない。
いましがた声を発したのかどうか疑わしくなるほどだ。
俺は興味本位で老婆にたずねた。
「森を焼くって? いったい何の話だい?」
「……とぼけるな、お前たちはジェインの使いだろう。ニオイで分かるさ、ブタのような生臭いにおいがする」
「ふん、随分と鼻が利くようだ。ま、当たらずも遠からず。で、お前さんはそこで何をしているんだい?」
「けけけ……お前たちブタが、この森を焼かないように見張っているのさ」
老婆はそういうと俺に向かって、腐り木のようにしなびたひとさし指をむけた。
「お前たちが忘れても、この森は忘れない。この森を焼けばお前たちも同じようにその身を炎で焦がすことになろう……けけけ」
その時、レオンハルトが視界をさえぎるように俺の前に立ちふさがった。
レオンハルトは眉をひそめて「ウル様、このような者にかかわっている暇はありません、さ、こちらへ」と俺たちを促した。
____ちっ、べつにいいじゃないか
俺は心の中でそう思いつつも仕方なくレオンハルトに従った。
しばらく、森沿いを進む。
そのさなか、俺は先を行くレオンハルトの背中に問いかけた。
「なぁ、レオンハルト。さっきのばあさんが言っていた“森を焼く”ってのはなんのことだ?」
レオンハルトはちらりとこちらに視線を送りつつ答える。
「森を焼くなどと……あれは街道の造成に反対する者です。ジェイン様は交易の活性化の為にこのルガールの森の中にいくつかの街道を通す計画を立てているのです」
「なるほど。で、その道をつくる為に、この森を焼き払おうってのかい?」
「あくまでも森の一部を、です。なにもすべてを燃やし尽くすわけではありません。現在ジェイン様に仕える紋章師達により街道の造成を行っていますが、そのさなかに今回の“人食い館”の事件が持ち上がったのです」
____道を通す工事、人食い館、行方不明
俺はレオンハルトとの会話を続ける。
「でもよ、レオンハルト、なぜ街道の造成に反対する者がいるんだ? 高い通行料をとろうって話でもあるのか?」
「もちろんのこと、何がしかの形で街道の通行料は徴収するでしょう。しかし通行料など安いものですよ。盗賊や魔物たちに襲われる心配が格段に減るのですから。それに、先ほどの老婆のような物乞いも一掃されるでしょうね。ああいった連中は、目先の自分たちの利益にしか気が向かないものです……あ、ここです」
レオンハルトはそう言うとこちらに振り返った。
ちょうど、レオンハルトが大馬を止めた場所。その横に森の中へと入り込む道がある。
先ほどの道よりかはかなり整備されてはいるようだ。レオンハルトは忌々しそうにその道の先を睨みつけた。
「この道の先で、フィリーネ様は人食い館をみたのです」
そう。
今から俺たちは、フィリーネのたどった道を行くのだ。