レオンハルトの書く文字はとってもきたない
フィリーネを別邸の寝室に見送った後、俺達が休憩所の石椅子に腰かけて束の間ぼんやりとしていると、レオンハルトが不服そうな顔で舞い戻った。
その手には分厚い冊子を抱えている。
レオンハルトは俺のもとに憮然とした表情で歩み寄ると、その冊子を勢いまかせに差し出した。本当は渡したくはないが、仕方なく渡すのだ、と体全体でこちらに訴えかけている。実にわかりやすい男だ。
俺はその冊子を「どうも」と言いながら悠然と受け取った。
薄い皮張りの表紙には“人食い館に関してのまとめ”と黒いインクで書かれている。まるで殴り書きされたような荒々しい文字。俺は表紙を開け、パラパラとページをめくる。
____ほう
ここ最近起きた人食い館の事件に関してまとめたものを綴った冊子だ。
ルガールの森で行方不明になった人物たちの素性、そして生き残った者たちからの聞き取り内容など、一通りの情報はありそうだ。
「ふうむ、これは手間が省ける」
「わたしがこの身を粉にして集めた情報です。あなたに見せる気など微塵もなかったが……」
「フィリーネ様のために、だろ」
「当然です。それがわたしの務めなのですから」
「はい、はい、さようでございますか……」
俺は忠誠心を熱く語ろうとするレオンハルトの言葉を適当にあしらいしながら、その冊子にざっと目を通す。
その中のとあるページで手を止める。
そのページには、ルガールの森の簡単な地図が記されていた。よく見ると、その地図にはいくつかの丸印が点々と描かれている。
俺はその丸印を順に目で追いながらレオンハルトにたずねた。
「なぁ、この森の地図に示されている丸印は何だ?」
「あぁ……その丸印は、生き残りの人たちに聞いた、例の人食い館を最初に見たという場所です」
「なるほど、人食い館の目撃地点というわけか……」
その説明を聞いてから、改めて丸印を眺めると、一瞬で違和感を覚える。
なにせ、丸印が描かれた目撃地点とやらは広大なルガールの森全体に散らばっているのだ。
森の入口付近に描かれた丸印もあれば、奥にある湖の周囲にも丸印が不規則に並んでいる。それに岩場まで。人食い館が森のあちこちに点在して建っているはずもない。
となると、人食い館というのは実際にそこに実在している建物ではなく、一種の幻といえるのかもしれない。
俺は質問を重ねる。
「なぁ、レオンハルト、目撃地点はわかるんだが、その目撃者たちがどの方角を向いていたかという事はわからねぇのかい?」
「ええ、目撃した人物たちがどちらを向いていたかは本人たちにも明確にわかりません。あの広大な森の中に入り込んでしまうと方向感覚が微妙に狂ってしまうのです。ただ、目撃した者たちが、口にした共通点がいくつかあります」
「共通点?」
「はい。共通点の一つは目撃した時に、周囲に奇妙なほど濃い霧が出ていたこと、そして焦げ臭いにおいがしたそうです。それと、もう一つ。目撃した人食い館の屋根には、二本の黒い尖塔がにょっきりと生えていたそうです。それはまるで、悪魔の角のようだったと……」
____濃い霧と焦げたにおい、そして、二本の黒い尖塔。
よくわからないが何かの参考にはなりそうだ。俺は地図から目を離すと、レオンハルトに視線を向けた。
「この人食い館とやらは誰か一人を狙っているのではなく、不特定多数を無作為に選んでいるようだ……もしも、これが何かの呪いとなると、おそらく呪いの発動条件のようなものが存在するはずだ」
「呪いの発動条件?」
「例えばだな、何かの結界を破ってしまったとか……意図せず何らかの儀式の片棒を担いでしまったとか。その被害者たちに共通するものが、今まで判明している事以外にも何かあるはずだ」
レオンハルトは難しい顔をして、腕を組む。そして黙り込む。
俺は首をかしげるレオンハルトにむかって話を続ける。
「正直、俺にはこのあたりの土地勘がない。見たところ、お前さんはこの土地の出身者だろう。この土地に関して俺では知り得ないことを何か知っているはずだ」
「そう言われましても…この土地ならではの事など……わたしが調べた限りでは、行方不明になった者や生き残った者たちは確かにこの領地の者たちですが、実に多種多様なのです。種族も違えば、職業や、身分もまちまち。貴族ばかりをねらう、といった事であればまだわかりやすかったのですが……今のところ、皆目見当がつきません」
「そうか……ま、引き続き調べてみてくれ。時間がない。なにせ次のターゲットは、フィリーネの夫、つまりは」
「ええ。この地の領主、ジェイン様なのですから……ジェイン様に人食い館からの招待状が届く前に解決しなくては……」
その時、そばで腰を下ろして休んでいたリラが立ち上がりこう告げた。
「ねぇ、ウル。とにかくそのルガールの森に行ってみない?」
リラからの意外な提案に俺は戸惑う。
「え? まぁいいが。お前もくるのか?」
「せっかく来たのだし。このまま帰るのもなんだか気がひけるわ。フィリーネ様の事も心配だし」
その時、レオンハルトが不安げに口を開いた。
「危険です、リラ様。ルガールの森には凶暴な魔獣や魔性植物が生息しています。踏み入る場合にはそれなりの準備が必要なのです。かといって今回の件は公に下された命令ではなく、いってみればフィリーネ様の個人的な依頼、大々的な護衛などは……」
レオンハルトの不安を気にするそぶりも見せず、リラはあっけらかんと答えた。
「大丈夫ですよ。リィピもいるし」
レオンハルトはリラのその言葉を冗談と受け取ったようで、引きつった口元から「は、はは……そ、それは心強いですね」と乾いた笑いをこぼし、のんびりと座っているリィピに目をやった。