フィリーネ夫人
5日後。
特定嘆願日の当日。
俺はリラとリィピを連れて、ジェイン男爵の邸宅に赴いた。
門番小屋の窓口で面会の嘆願書を提示すると、窓口の老人は手元のリストらしき冊子を確認し、眉一つ動かさず、俺たちを奥へ通した。
受付にいたのはこの前の老人のはずなのだが、俺の事などまるで覚えていないようだ。
俺が不愛想な老人を尻目に、門番小屋をくぐり抜けた途端、隣を歩いていたリラが感嘆の声をあげる。
「……ひゃぁ! ここ全部お庭なの?」
目の前には、鮮やかな緑の芝生が敷き詰められた広大な庭園がひろがる。
見事な並木道が俺たちの足元から一直線に奥まで伸びている。
その向こうに煉瓦造りの城のような巨大な屋敷がどっしりと構えていた。
その風景を満喫しながらリラが続ける。
「ウル。それにしても、今日はどうして私とリィピまで連れてきたの?」
「ドーラの助言があってね。今日の俺たちは、魔法薬店『リラのポーション屋さん』を営む商人って身分でここの領主と面会することになる」
「でも、そこからどうやって、その領主の奥様に会うの?」
リラがこちらを眺める。俺の計画が信用ならないとでも言いたげな眼差しだ。俺はなんだか責められているような気分になり、釈明する。
「実は、面会の嘆願書を出す時に、ドーラの名前を使って出したんだ。お相手がドーラの名に気がつくかどうかはもはや賭けだな。うまくいかなきゃ、はい、終了ってこった」
「はぁ……そんなのでうまくいくのかしら……」
不満げなリラはため息をつき、後ろのリィピに声をかけた。
「リィピ、いくよ」
ぼんやりと突っ立っていたリィピはリラの声に素直にしたがいあるきはじめる。
リィピの背には桐製の長方形の背負い箱。
その背負い箱の中から、瓶同士がこすれ合う音がかすかに聞こえた。
リィピの背負う大きな木箱の中には、今日売り込みに使う魔法薬の瓶をいくらか詰め込んでいるのだ。
お目当ての人物に会えなくてもリラの店の宣伝になれば、それだけでも儲けものだ。
歩いてほどなく。
重厚な石垣に囲まれた庭園が見え始めた。黄色やピンク、淡い色調の花びらが目に心地いい。庭園の奥、ちょうど屋敷の入口あたりに人だかりが見える。俺たち以外にも面会に訪れた庶民たちが列をなしているようだ。
「お、こりゃ、すこし時間がかかりそうだな」
「そうね。私たち以外にもあんなに面会者がいるだなんて」
下手をすると今日は会えないかもな、と俺が言いかけたその時。
どこから現れたのか、俺たちの目の前に真っ赤なマントを羽織った宮廷魔術騎士団の男が立ちふさがった。俺たちは慌てて立ち止まる。
____なんだ。いきなり現れやがって。
精悍な顔立ちをしたその宮廷魔術騎士団の男は、俺達3人の顔を確認するように順に眺めると口を開いた。
「魔法薬店『リラのポーション屋さん』の方々か?」
俺は一瞬リラと視線をかわし「そうだ」と答えた。すると、男は「こちらへ」とつぶやき俺たちを脇道へと案内する。てっきりあの行列に並ばされるのかと思いきや、どうやら俺たちは特別扱いのようだ。案外と目的の人物にすんなりと会えるのかも、と期待が膨らむ。
俺たち3人は、目の前の庶民の行列を横目に、男の背を追って脇道へそれた。
木立のしげる裏庭へたどり着いたあたりで男がようやく振り返った。
男は無言のまま、突然、腰に下げていた鞘から銀に輝く長剣をするりと抜いて、俺の喉元に切っ先を突きつけた。おもいもよらない扱いに、俺はあわてて口を開いた。
「……あ、あの、いったい何のおつもりで? 俺たちは今日、魔法薬を……」
「なにものだ」
男は俺の言い分をさえぎり、鋭い声で素性を訪ねてきた。
男の手に握られた長剣の切っ先は微動だにせず、俺の喉元にじっとあてられている。
男は、獣のようなまなざしで俺の瞳の奥を一直線に覗き込んでいる。
____ここは、下手にとり繕うよりも、正直に話したほうがよさそうだ。
俺はそう判断し、周囲に人影がないかをうかがい、声を潜めつつ答えた。
「……ド、ドーラの使い、といえばわかるかな」
男は、その返答に納得したのかちいさくうなずいた。
そして、剣を俺の喉元からはずすと鞘におさめ、口を開いた。
「別の答えだったらその首に穴が開いていた。以降、その名は口にしないように。それでは、いまからフィリーネ様の元へ案内する」
俺は、男の言葉に小さくうなずいた。
____ジェイン男爵夫人の名はフィリーネ。