生き残り
赤と白の縞模様のフードの奥、俺の顔を下から覗きこむドーラのうるんだ瞳。
女がこうやってわざとらしく瞳を潤ませている時ってのは大抵相場が決まっている。
かしこまって、なんの話かと思ったら、ただのお願い事か。
「で。俺に、その人食い館の噂ってのを調べてほしいってか?」
「ええ……実はね、最近うちのお客様にも“被害”が出ているようなの」
「お前さんの客って事は……肉欲に溺れた男どもってことだろ。心底どうでもいい連中じゃねぇか」
ドーラはムッとしたように答えた。
「あら、うちは高級娼館なのよ。お客様にはそれなりの人物がいるわ。貴族や紋章師たち、それに、この国の高官もお忍びで通っているわ。宮廷魔術騎士団になりたてのかわいい坊やたちもね」
「けっ、ますます気に食わない連中だ」
ドーラの話によると、とある森の奥に幻のように突如として現れる館があるらしい。
その館を見たものに後日不気味な封がされた招待状が届く。そして、その招待状を手に館を訪れると。
「二度と館から出られなくなる。そこでついたあだ名が“人食い館”ってわけなの」
「でも変じゃねえか、二度と出られない館ならば、その館の事を知る者なんていないはずだろ」
「ところがね、何人か、その館から戻ったひとたちがいるの。そのひとたちが言うにはね、あの館には呪いがかけられているって。最近、この近辺で立て続けに起きている行方不明事件はその“人食い館”の仕業ではないかって……」
「ほう……呪いの館か。ちょいとばかし興味をそそられるな。しかし、それだったら俺なんかに頼むよりお前さんの上得意様であるテマラに直接頼めばいいじゃねぇか。アイツは俺と同じく“呪いの紋章師”なんだから。その手の話には詳しいだろう」
俺の言葉に、ドーラはため息をついた。
「なんだよ、そのため息は」
「ウルちゃん、わからない? テマラに頼んだら、あなたに頼めっていわれたの」
「はぁ?」
俺の上ずった声にドーラは肩をすくめた。
「テマラに聞いたんだけれど、あなた、テマラに随分と借金があるらしいじゃない。テマラからの伝言よ。“ドーラからの依頼を受けたら、その借金の一部を帳消しにしてやる”」
「あのクソジジイ、借金をタテに好き勝手言いやがって」
俺は子供の頃から、テマラに天文学的な金額といえるほどの借金をしている(正確にいえばそういう事になっている)のだ。
俺がガキの頃に通っていた紋章師養成院(魔術師の養成学校)の学費の肩代わりをしてくれていたことには少なからず感謝している。
しかし、養成院の学費に関してはすでに完済しているはずなのだ。
それ以外の借金に関しては、ハッキリ言ってただの難癖だ。無理やり借金をさせられているといっても過言ではない。
アイツの魂胆はわかっている。
俺に無理やり恩を着せて、何か面倒ごとがある時にいいように使いたいだけなのだ。
「けっ、借金なんてものは一定の金額を越えちまうと、あってないようなものだ」
俺のやけくそな独り言が聞こえたのか、ドーラは口元を押さえて、心底おかしそうにわらった。
「うふふふっ……あなた達って、なんだか妙な関係ね。親子にも見えないし、師匠と弟子って感じでもないし。どういう間柄なのかしらね」
「ただの、腐れ縁さ」
____テマラは俺の命の恩人
なんて事は、口が裂けてもドーラには言えない。
俺が15歳だった、あの時。
棺桶の中で生き埋めになって死んでいたはずのほんのガキだった俺を、闇の底から引きずり出したのがテマラだった。第二の人生ともいえる場に連れ出した人物であることは、否定しようがない事実だ。
黙りこんでいた俺にドーラがすっと紙切れを差し出した。
見ると、どこかの番地のようだ。俺はその小さな紙きれに目をやりながら「これは?」とたずねる。
「人食い館から戻った生き残りのひとの居場所よ……その人ね、実はアタシのお得意様なのよ」
「こいつが……?」
「ええ。もしもそのひとを訪ねるのならば、アタシの名前を出してもらっても大丈夫よ。話はしてあるから。ただしそれなりに立場のある御方だから、娼館の使いなんて言ってたずねるのはご法度よ。訪ねる時は身分を偽ってもらわなきゃならないわ」
「ちっ、どうして俺がどこの馬の骨ともわからんような男を訪ねなきゃならんのだ」
俺のその言葉に、ドーラは動きを止める。俺の顔をまじまじと眺める。そして、意外と物わかりの悪い男だ、と言わんばかりの声色でこういった。
「ウルちゃん、このアタシを求めて、アタシの元に通うのは、なにも男だけとは限らないのよ?」
「……へ?」
予想を上回る答えにどきりとする。そんな俺をおかしそうに眺めながら、ドーラは小さくささやいた。
「ま、気が向いた時にたずねてみて。きっと、アタシの名前を出せば、応じてくれるわ。うまく身分を偽って頂戴ね」
そう言い残すと、ドーラは道脇に停めてあった黒塗りの馬車にパッと乗り込み、夜の闇に消えていった。