リラの魔法薬店
ここからは新しいお話です。
ではでは!!
白メノウで出来た乳鉢の丸みを帯びた底面に、干して乾いた紫胡椒の実をころりと流し込む。
左手で乳鉢を押さえて動かないよう固定し、右手に握った、これまた白メノウ製の乳房でその不思議な色の実をすりつぶす。
パキ、と小気味いい音とともに殻が割れ、鼻の奥を刺激する、なんとも言えないけむいニオイが立ちこめる。
「ふぅ……」
ニオイというものは実に不思議なものだ。
嗅ぐだけで吐き気を催す不快なものもあれば、不思議と心を落ち着かせてしまうようなものまであるのだから。
そんな紫胡椒のにおいをかいでいる俺の名はウル。とある、おっさん魔術師。
魔術の中でも呪いの魔術を専門に扱っている。
そんな俺が、今いるこの場所は魔法薬の調剤を行う工房の中。
俺の同居人であるダークエルフの少女、リラの営む魔法薬店の奥にある小さな部屋だ。
時々魔法薬店の店番を頼まれているのだが、客の少ない暇な時にはリラのつくる魔法薬の調合の手伝いをしている。
最初は面倒な作業に引っぱり込まれたと思っていたのだが、続けるうち、これが、意外と性に合っていることがわかって来た。
地味なおっさんには地味な作業がお似合いって事さ。
俺は目の前の紫胡椒の実をじりじりとすりつぶしながら、後ろのテーブルで作業するリラに問いかけた。
「でも不思議なもんだな」
「ん? なにが?」
リラの涼しげな声が響く。その声の響きから、こちらに背を向けていることがわかる。
俺達は背中合わせで作業をしながら、会話を続ける。
「だってよ。お前は漆黒妖精族の生き残りだぜ。どんな魔術もお手のものだろ。そんなお前が魔法薬の調合に精を出すだなんて」
「うふふ、そう言いながら。ウルも少しは魔法薬の調合の楽しさが分かって来たんじゃないの?」
図星をついてくる。鋭い彼女は、何気なく核心をつく。
最近、聞いた彼女の真の名は“リラ・シュウクラウフ・ブラフ・マナ”だそうだ。
実に長ったらしい名だ。
リラたちの時代の古代語で“純白の偉大なる聖職者リラ”という意味を持つらしい。
最近まで、彼女がその名を教えなかった理由は“はずかしかったから“だそうだ。
ま、たしかに。
自分の名に“偉大なる”だなんて言葉をつめ込まれると、気が滅入るってもんだ。
しかし、実際のところ、彼女はその名に恥じることのないまごう事無き、偉大なる魔術師ではあるのだ。俺たちの生きる“今の世”ではおそらく、彼女の右に並ぶものは皆無。
そんな偉大なるリラが続ける。
「魔術ってさ、その場限りでしょ」
俺は言葉の真意を汲めず、ふと手を止めて聞き返す。
「……どういう意味だ?」
「なんというか、魔術の使用者と被使用者、魔術ってその場にいる人しか助けることができない気がするの。でもさ、こうやって魔法薬を作っていろんな人に配れば、いろんな場所で、いろんな人の助けになる」
「ふうむ……まぁ……そういう考え方もできるな」
「それに。昔ウルが言っていたでしょ、人前であまり魔術を扱うなって」
「ああ、あれは、お前の身を守る為さ。もうわかっていると思うが、お前の魔術の力は今の時代では“強すぎる”からな。不届きものがお前の力を見れば、かならず接触してくると思ったのさ。特に……」
良からぬものは、善人の顔をして近づいてくるものだ。
なんだか、話が深刻な方向に進みそうな気がして俺は話題を変えた。
「そうだ、今日はお得意様が来るんだっけ?」
「ええ。もうじき箱買いしてくれる大事なお客様がくる頃ね」
「……いいのか悪いのか、まさか、お前の調合する魔法薬が娼婦連中の間で話題になるとはな。俺はちょっと複雑な気分だ」
「あら、どうしてよ。魔法薬と言っても、お肌の艶をよくする美容薬の一種だからね。べつにやましいものでもないわよ。それに彼女たちに、このお店を紹介してくれたのは、ウルの師匠のテマラさんでしょ」
「ちっ、師匠なもんか、あんなエロじじい」
その時、工房の扉が奇妙な間隔でノックされた。一つ、間をおいて、三つ。
このノックの仕方はこの店の関係者のみが知る決められた合図だ。
リラが立ち上がった。
「リィピね。お得意様が来たみたい。さて、これから値段の交渉ね。おしっ!」
リラは気合を入れたのか、背を正し扉に向かった。