バオの尾行はたのしいな
魚獣人族ってぇのは、その陰気な容貌に違わず、じめじめとした、せせこましい場所が大好きなようだ。
案の定、ダゴン信徒の連中は、黄色い目玉をぎょろつかせながら、洞窟に潜り込んでいく。
俺の傀儡人形を、再び日の入らない地下の牢獄に放り込むつもりのようだ。
このまま、奴らの拷問に付き合ってやる義理も暇もない。
ダゴン信徒たちの相手は俺の作り出した傀儡人形達に任せて、俺は本丸へと標的を移した。
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「バオめ、どこに行く気だ……?」
内ポケットからベルナの独り言が聞こえる。
俺はバオの羽織る真っ赤なマントを目で追いながら、見つからないよう身をかがめて声を潜めた。
「……ベルナ、お前さん、このあたりの地形もすべて、頭の中に入ってんじゃないのか?」
「残念ながら、このあたりの地形の知識は奪い取れなかった」
「ちっ、大事なところで役に立たねぇな」
「だからこそ、バオはここを選んだのだろう。ここは、おそらく魚獣人族たちがあまり近寄らぬ場所なのだろう」
“本物の俺”はベルナと共に、バオの尾行を続けていた。
一体どこに向かっているのか、周囲には葉のない奇妙な形をした木々が不揃いに伸びている。森というにはお粗末だ。
踏みしめる足元、凍った雪の隙間から、焦げたような色合いの岩肌が徐々に見え始めてきた。
周囲に伸びる頼りない木の幹は細く、あいにく身を隠すには不都合だが、バオの奴は一向にこちらに気がつかない。そもそも尾行に気を配っている様子すら感じられない。
「ふん……俺があの牢獄で、今頃、拷問されているとでも思い込んでいるのだろう」
「……いや実際にされているではないか、お前の分身が」
「いわれてみれば……そうだな」
バオの進んでいるこの方角。間違いなく、陸地の内から外に向かっている。
つまり沿岸部に進んでいるはずなのだが、この先に何かがあるとは思えない。この先にあるものと言えば、崖くらいしか思いつかない。
その時、バオのいく先にうっすらと大きな影が現れた。
近づくにつれてその影の輪郭が露になる。
薄茶けた煉瓦が、へたくそな積み木細工のように、かたむきながら上まで高くのびている。
おそらく、もともと円柱形であったのだろうが、上部は斜めにえぐれて、その周囲にはドス黒く、焼け焦げたような跡がある。
「さっきまで何も見えなかったってのに。目くらましの結界術か」
俺の言葉に、ベルナが「何か見えるのか?」とささやく。
「沿岸の監視塔だ。随分と崩れている。なんだか上のほうは黒焦げだ。火炎の魔術による攻撃でも盛大に食らったか。それとも飛竜の襲撃か……」
「その監視塔の中にダゴン族の生き残りが……?」
「……どうだろうな。ま、俺がポーラに見せられた、ダゴン族の生き残りとやらは、目玉のついた、ただの肉の塊だったぜ。果たして、あれで生きているといえるのかどうか」
俺が足を止めて様子をうかがっていると、バオはその監視塔の入り口に吸い込まれるように消えていった。
俺はしばし、周囲を観察する。
まわりに何があるというわけでもない。
あの監視塔の先は絶壁、その下には氷の海が広がるばかりだ。
俺は、空気を吸い込んで呼吸を整えると、監視塔へと近づいた。
入り口にたどりつくと、しゃがみこんで少し顔を出し、中をうかがう。
中にはバオの姿はなく、寒々とした内部はガランと静まり返っていた。
粉々に砕けた木々の破片、かろうじて持ちこたえている椅子や机などが無造作に散乱している。ふと、見上げた天井には大きな楕円の穴が開き、階層を突き抜けて遠く灰色の空まで見通せる。俺は、ゆっくりと慎重に足を踏み入れた。
「……がらんどうだな」
内部を、一通り探索しても、何もない。それどころか、バオの姿すら見つからない。
まるで煙のように消えちまったみたいだ。上の階に行こうにも階段がない。
おそらく崩れ落ちてしまったのだろう。
その時、ベルナが「ウル、何かきこえないか?」とつぶやいた。
俺は足を止めて周囲の音に耳をすませる。その時、確かに何かの反響音が聞こえる。ぼんやりとこもったような音がどこかからかすかに耳に届く。
その音を頼りに部屋の隅に目をやると、古びた井戸が目に入った。
俺は近寄り、少し大きめのその穴の中を覗き込む。
「なるほど、地下道か……」
井戸のふちには縄梯子がひっかけられ、底の方まで垂れている。
俺は意を決し、素早くその縄梯子に足をかけた。
「今さっき、バオが下りたばかりだ。鉢合わせにはなるまい……」
俺は一気に縄梯子を降りていった。