ダゴン族は凶暴な種族
俺は、リィピの傀儡人形に視界を同期させ慎重に周囲をうかがう。
ここから俺は、リィピになりきらなくてはならないのだ。
俺は周囲に気づかれぬよう、深く息を吸い込み、心を落ち着かせた。
その時、俺の目の前に突っ立っていた、バオが、ふと小さな声でつぶやいた。
「こんなところで、腹をかっさばかれて死ぬ末路とは……紋章師ともあろう者が」
気を失ったウルを見下ろすバオの目に、ほんの少しだけ哀れみの色が見て取れた。
同情、俺の事を“ダゴン信徒”達に売っておいて、いまさらそんな複雑そうな表情を見せるのか。
俺たちの周囲にぞろぞろと集まって来たダゴン信徒であろう魚獣人族達は何も言わずに、動かなくなったウルの体を強引にぐいと持ちあげた。
鎖に巻かれたウルの口元から滲む真っ赤な血が、ぽたりと白い雪に吸い込まれていく。
魚獣人族たちは、目を閉じたままぐったりと動かないウルを確認すると、ウルを抱えたままどこかへ向かい歩き出す。
突然、その中にいた魚獣人族の一人がこちらに声をかけてきた。
「リィピ、生きていたのか。てっきりこいつにやられたのかと思ったが」
俺は思わず身を固くした。内心慌てながらも、咄嗟に話を合わせる。
「ああ、オレはこいつにつかまったふりをして、こいつを監視していたんだ」
俺は、リィピになりきって話す。
俺に声をかけてきた魚獣人族は一瞬立ち止まると、不思議そうに首をかしげた。
「なんだ、ちゃんと話せるじゃないか。牢獄にいた奴から聞いた話じゃ、お前、気が変になってしまったときいたが」
「油断させる為に芝居を打っただけさ」
「やるじゃないか。リィピの割には」
すぐそばにいたイダムが、驚いたように小さな悲鳴をあげた。
そして、こちらに刺すような視線を向ける。
「リィピ、あなた……話せるの?」
「ああ、話せないふりをしていただけだ」
「なんて事……私は最初からウルを連れてくるためだけに利用されてたってこと……?」
「そうだ。もうお前に用はない。さっさと去れ。グズグズしているとお前も拷問行きだ」
俺はリィピのセリフを使って、イダムにここからすぐに離れるよう示唆する。
イダムは身の置き所がないといった表情で、立ち尽くし、途方に暮れている。
そんなイダムを横目に見ていたバオが「イダム。今回の仕事はおそらく中止になるだろうな、残念だが」と残念でもなんでもないような軽い声で伝えた。
そして、くるりと背を向けると、バオはそのまま、俺を抱えて去っていく魚獣人族たちの後をゆっくりとついていく。
俺は、リィピの口から、もう一度イダムに忠告した。
「さ、お前はもう去れ」
イダムは何も言わず、俺を憎らしそうに睨んだ。
俺はどこか気まずくなり、その強い視線を避けるように、体の向きを変えるとバオたちの後を追った。
____ん?
その時。ベルナのささやき声が、異物のように耳に不快に転がり込む。
「ウル。今、状況はどうなっているのだ。説明してくれないと、ワタシには全くわからない」
「……ちっ。いま大事なところなんだ、俺の心を乱すなよっ……」
「ウルはいそがしいのかもしれぬが、こちらは暇で仕方がないのだ」
俺はリィピの傀儡人形を操りながらも、視界を本物の俺自身に戻す。
薄く開いた目の先には廃墟が広がる。
ここは雪に包まれた、谷あいにある崩れかけの廃墟。
いったい何の建物だったのかはよくわからないが、かろうじて持ちこたえている石造りの柱や天井がならんでいる。見上げる遠く向こうには、曇天の薄暗い空。
ふと目をやると、俺のすぐ隣には、目の前の焚火にあたり暖を取る本物のリィピがのんきな顔で座り込んでいる。
そして、俺の胸もとから図々しく話かけてくるのは『賢人ベルナの骨壺』だ。
俺たちは、ひとまず、この廃墟に身を隠し、事の成り行きを見守っているところだ。
報告をしろと催促をするベルナに、俺はかいつまんで経緯を言い聞かせた。
ベルナは満足そうに相槌を入れながら聞いている。
「ふうむ。では、今からお前は再び、牢獄に連れていかれて拷問を受けるわけだ。ありもしない罪の告白を迫られるために」
「だな。バカバカしいったらないぜ。ったく」
「推察するに、そのバオとやらが不穏な動きを見せているな。ワタシの読みどおりではないか」
「バオが、ダゴン族の生き残りを拉致し、華国へ連れ帰る……か」
ベルナのいう通り、今回のバオの動きはかなり不自然だ。
ベルナはどこか得意げだ。
「昨日、言っただろう。スプラ王国とクリーブランドの対立の裏にあるのは過去の支配国の影だと」
「でもよ、その二つの支配国が覇権争いをしていたのは、とうの昔のはなしだぜ?」
「昔の事が尾を引いているというよりは、新たな火種が現れたという事だ」
「その火種が……ダゴン族の生き残りってことか」
ベルナは深く同意した。
「そうだ。ダゴン族というのは強力な魔術をあやつる種族だったらしいからな。魔術の始祖とも呼ばれている伝説の種族、漆黒妖精にも戦争を挑むほど好戦的で凶暴な種族だったようだぞ」
「で、そのダゴン族の力を手に入れようと華国がちょっかいを出してきたと?」
「という、ワタシの推測だ」
それなりに筋の通る話だ。
「その華国の手先が、バオとシュウリン、というわけか。でもイダムはどうなんだ?」
「お前の話を聞く限り、そやつは華国とのつながりはなさそうだな。この騙し合いの中では一番のババを引いたやつかもしれぬ。まぁ、馬鹿とお人よしはそういう役回りになるものだ」
「ちっ、ひでえこと、ぬかしやがる……」
まだまだ話したりなさそうなベルナをひとまず黙らせて、俺はふたたび意識を集中しリィピの傀儡人形へと視界を飛ばした。