救いの天使 イダムちゃん
地下牢から抜け出した俺達は、雪と氷に包まれた白銀の山道をふもとに向かって降りていく。
ベルナは、俺の胸元のポケットから「あっちへいけ」「こっちの道だ」と得意げに道案内をしてくる。
その尊大な物言いがなんだか癪に障る。
がしかし、その道案内は、見事、の一言に尽きる。
まるで、この近辺の地図や地形をすべて頭の中に叩き込んでいるかのようだった。
山を下りる道中、何が楽しいのか、ベルナの奴は喜々としていた。
久しぶりに“覚醒している状態”になったのが、よほどうれしいのか、それとも単に知識をひけらかす快感に酔いしれているのか。
このあたりには回復薬に使える花が咲くだの、珍しい魔獣が多いだの、この近くには業力の源泉があるだのと。全くもっていま必要のないような事まで、こと細かに解説が入る。
もはや、その情報量の多さに辟易とするほどだ。
最初はふんふんと言いながらベルナの講釈を聞いてはいたが、途中から相槌も面倒になり俺は無言になる。
しかし、ベルナは俺の無言攻撃など気にもせず、ずっと一人でしゃべり続けているのだ。
今は追手から逃亡している最中だってのに。
この危機的状況をいったいどこまで理解しているのやら。
ほどなく、ベルナのいう通りの場所に、身を隠せそうな浅めの洞穴を見つけた。
見上げると、ちょうどいい具合につららが洞穴の入り口を包み、氷のカーテンのように覆い隠してくれている。
俺はつららの隙間から体を滑り込ませて中に進んだ。そこはまるでこじんまりとしたちいさな隠れ家。
俺が腰を下ろし一息つくと、後からついて来ていた魚獣人族のリィピも俺を真似るような仕草で、つららをすりぬけ、俺のすぐ隣にドスンと座った。
俺の口からひとりでに言葉がこぼれおちる。
「……ふぅ、つかれた」
すると隣のリィピがそれを真似る。
「うぅ……つか、れ、たぁ」
「あのよ、それは俺のセリフだ」
「お、オレの、せ、りふ、だぁ」
「けっ、九官鳥かよ」
リィピは喉を唸らせながら、俺の言ったセリフを同じように繰り返す。
ベルナの言葉通り、こいつは、まさに体の大きな赤ん坊だ。邪気の抜けた赤子のようなリィピをぼんやりと眺めていた俺の耳に、ベルナの冷ややかな声が届いた。
「足手まといにならなければいいが」
「ま、そう言うなぃ」
「……で、ウル。これから、どうする気だ」
「いったんスプラ王国から離れて、クリーブランドにもどろうかと……」
その時、ベルナが俺の話をさえぎった。
「……しっ。静かに……ウル、誰か来るぞ」
ベルナの声がこわばっている。その声に、俺の心臓がきゅっとなる。
まさか、こんなにも早く追手に嗅ぎつけられるだなんて事があるのか。
あの地下牢を抜けてから、いくらも経っていないってのに。
俺は急いで片膝をついて体勢を整えると、背中の荷袋に手をつっこみ、呪具を取り出そうとした。
が、慌ててその手を止めた。
「おっと、あぶねぇ。俺が一度に使える呪具はひとつまで……」
すぐに忘れてしまいそうになるが、いまの俺は呪具『賢人ベルナの骨壺』を使っている最中なのだ。
つまりは今、俺はベルナの呪いをこの身に受けている真っ最中。
俺に強力な“呪いの耐性”があると言えど、呪具の呪いを二つ同時にこの身に受けると、どちらかの呪いは防ぎきれなくなっちまうのだ。
となると、魔術勝負か。
ハッキリ言って、俺が扱う“呪いの魔術”には、攻撃や防御に特化した魔術が少ないの。
万が一、紋章師同士の魔術合戦ともなると非常に分が悪いのだ。
俺は息をひそめて、追手の気配に集中する。
「はぁ……捕まったら、また、あの拷問部屋行きか……」
「……そこに良い盾がいるではないか」
「リィピのことか? けっ、お前さんホントに血も涙もないな」
「……ワタシは骨のカケラだからな」
俺はごくりと唾を飲み下し、洞穴の入り口に向かって手をかざした。こんな狭い場所でドンパチやるのは得策じゃない。相手をひるませてトンズラするのが最良だ。
その時ふいに、つららのカーテンに歪んだ人影が映った。かと思った瞬間。
聞き覚えのある声がその人影から発せられた。
「……ウル、そこにいるの?」
この声は。
「イ、イダムか?」
「……よかった。生きていたのね」
つららの隙間から滑り込んできた白いローブ姿のイダムの姿を目にした途端、俺は図らずも「びっくりさせないでよ~」と叫びながら、へなへなとその場にへたり込んだ。
そんな俺の姿を、冷めた表情で一瞥し、イダムは厳しい口調で言い放つ。
「ウル、あなたいったい何をしたの?」
「なにって?」
「ポーラ達が血眼になってあなたを探しているわ」
俺はその話の意味がよく分からず、聞き返す。
「ポーラが? 何の話だ?」
イダムは困惑したような表情のまま「とにかく、すぐにここを離れましょう。私についてきて」と踵を返した。
突如として現れた救いの天使イダムの手引きにより、俺たちは一旦スプラ王国から抜け出すことに成功した。船に乗り、氷の海を渡って、再びクリーランドの地へ。