呪具 + 呪具 = 最悪の事態
結界牢獄を出ると、俺は廃人寸前になってしまった大きな体躯の魚獣人族を盾にしながら恐る恐る周囲をうかがう。
正直言って、俺ってば呪具がないとただのおさっんなの。
しかし、どうやら、警戒する必要はなさそうだった。目の前に広がる不可思議な光景に息をのむ。
いくつかの牢屋が向こうまで並ぶ氷の洞窟のあちこち、魚獣人族たちが折り重なるようにして横たわっているのが見えたのだ。
どいつもこいつも気を失っているのか、ピクリとも動かない。
「な、なんだよ……これは」
俺を監禁する為にこの牢屋に配備された守衛達なのだろうが、どういうわけかみなすでに倒されている。
ある者は干からびたカエルのように仰向けに白目で泡を吹き、ある者は片手に大きな剣を握ったまま、壁にもたれうなだれている。
俺は胸元のベルナにささやく。
「ベルナ、まさかお前さんが?」
「人聞きの悪い事を言うな。こやつらは、お前の持っていた大きな荷袋をあさっていた連中だ」
「てことは、こいつら……荷袋に入れていた俺の呪具に触れちまったのか?」
「そのようだ」
俺があの荷袋の中にひそませていた呪具は三つある。
先ずは、今、俺と会話をしている『賢人ベルナの骨壺』とあと二つ。
「……なるほど」
あの二つの呪具の呪いの効果を考え、俺は妙に納得してしまった。
ここで寝転がっている連中がどういうやつらかは知る由もねぇが、気の毒な事だ。
少しばかりは同情するが、まぁ、正直、自業自得ともいえる。
考えなしに呪われた魔道具にみだりに触れるとどうなるか、身をもって知ったのだ。少々の怪我くらいならば授業料としてはさほど高くは無い。
「馬鹿な連中だ。とにかく、脱出する前に、まずは呪具を」
俺は横たわる魚獣人族たちの体を一つ一つ確認しながら進む。そして、ほどなく、右手に黒いカラスの羽根のようなものをぐっと握ったまま倒れている魚獣人族を見つけた。
俺は慌ててそいつに駆けよると、そいつの鱗だらけの分厚い手をこじ開ける。その中にあった黒い羽根に直接触れないよう、ちいさな布にくるんで慎重に抜き取った。
俺の手のひらほどの一振りの黒い羽根は隅々までピンと伸び、一本一本が漆黒に艶めいている。
ベルナが関心を示した。
「やはり、それが呪具か」
「これは『気狂いネヴァンの黒い羽根』ってぇ呪具だ」
「興味深い。それのせいでこのありさま?」
「だろうな……この羽根に直に触れると、猜疑心や恐怖が増大し我を失い、同士討ちを始めちまう。いわば“混乱の呪い”だ」
「なるほど、お前はずいぶんと物騒なものを持ちあるいているのだな」
「ふん、物騒なお前さんがいえるセリフかよ」
その後、もう一つの呪具は、この地下洞窟の出口付近にある守衛たちの待機所で見つけることができた。その待機所のテーブルの上に置かれていたのは、小さな砂時計。
クリスタル製の容器。くびれのある透明な管の中、キラキラと流れる黄金砂。上の玉から下の玉へ、今もよどみなく金色の砂は流れ続けている。一瞬で誰しもが心を奪われるほどに美しい骨董品、みると思わずひっくり返したくなる欲求にかられてしまう。
しかし、この人目をひきつける純粋な美しさこそが、この呪具の呪いを発動させるための撒き餌となる。
俺はそのテーブルに慎重に歩み寄る。
その砂時計が置かれたテーブルの前に座っている魚獣人族は、すでに枯れ果てた死体となっていた。おそらくこの砂時計の留め具を外し呪いを発動させてしまった張本人だろう。
その魚獣人族の鱗という鱗は木の葉のように剥がれ落ち床に散らばっている。全身は腐った木の枝のようにどす黒く、すでにこと切れいてるようだ。
「……さすがに、この砂時計の呪いを受けたら、助かる見込みはねぇ……」
俺は、その亡骸に祈りをささげると、詰所の端に置かれていた適当な荷袋をみつくろう。そこに呪具をくるんで詰め込んだ。すべての呪具を無事回収できたことにひとまず安堵する。
呪具にかけられた呪いの恐ろしいところは制御出来ないところだ。俺がいようが、いまいが発動条件さえ揃えばひとりでに呪いが発動しまたたく間に広がっていく。
それにしても、ここまで見事に守衛全員が呪具の呪いにかかるなんてことがあるのだろうか。皆が皆、順番に呪具にふれていったのか。不自然だ。どうにも都合がよすぎる気がするのだが。
薄々と勘づいてはいたのだが、あえて突っ込んではこなかった。
しかし、牽制もここまで。
俺はこの惨状をつくりあげたかもしれない、すっとぼけている“第一容疑者”に視線をやる。
口八丁手八丁、言葉巧みな上、倫理観など微塵も持ち合わせていないベルナならば、他者を精神的に支配して操る事など朝飯前なのかもしれない。
すると、俺の疑いの眼差しを感じたのか胸もとの骨壺から反発するような声があがる。
「何か?」
「なにも」
俺たちは、なんなく地下洞窟を抜け出すことに成功した。
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地表に出てほどなく。
振り返ると、俺の処刑人だったはずの大きな魚獣人族が、地下洞窟の入り口からこちらに手を振っている。別れの挨拶のつもりだろうか。
なんだか、その無邪気な姿を見ているとどこか寂しげで、少しかわいそうにすら思えてくる。
俺たちを襲い、殺そうとした奴に同情するってのもおかしな話ではあるのだが。俺はベルナに聞いてみた。
「おい、ベルナ。あいつはこれからどうなるんだ?」
「すべての知識を奪ったわけではない。そうだな、いうなれば、退行した状態にちかい」
「子供みたいになっちまったって事?」
「ふむ、身近に世話をする者がいれば、食べて寝て、普通に生きていくことくらいはできるだろう。子供からやり直すという程度だ」
「……程度って、お前さんよぉ……」
あぁ、ダメだ、ダメだ。
ベルナに普通の感性で話しかけても通じない。どうせ、また言い合いになるだけだ。
俺は一言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、ベルナに提案してみた。
「どうだろう、あいつを一緒に連れていくってのは」
「大きな赤ん坊のようなものだぞ?」
「そうだろうが、ああなっちまえば害はない。それに何かあった場合にはあいつの“傀儡人形”をつくる事もできそうだ。なにせあいつの知識のほとんどがお前さんの頭の中に入ってるんだろ」
「ワタシは、あやつを連れていくことについて、どうこう言う立場にはない。好きにしてくれ。では、まずひとつ、あやつについて教えてやろう、あやつの名は、リィピだ」
俺は手をあげてリィピに手招きをした。リィピは一瞬考え込むようなしぐさを見せた後、のろのろと、こちらに向かって歩き始めた。