新たなお仕事
ある朝。
俺とバオは魔術陣をつくる為他の皆よりも、ひとあし先に氷の神殿に足を踏み入れていた。
魔術陣の作成も大詰めを迎えている。もうじきに完成するのだ。
しかし、俺たち2人は、目の前に広がる光景に立ち尽くす。
「……おい、こりゃあ……いったい……」
絞り出したようなバオの言葉はそこで途切れた。
バオの気持ちは痛いほどにわかる。こんな光景を見たら、言葉を失う。
今まで俺たちが何日もかけて描いてきたいくつもの魔術陣は無残に破壊されていた。
あちこちの文字は削られ、魔術陣の上には得体のしれない真っ赤な液体がぶちまけられている。
何かの獣の血だろうか。妙に生臭いにおいが充満している。
明かりをともす為の魔鉱石をいれていた燭台は倒れ、いびつにぐにゃりと曲っていた。
各所に整理してきちんと置いていたはずの魔術書は、びりびりに破かれ氷の床に散乱している。
バオはよろよろと前に進むとその場に座り込んだ。そして小さくらわった。
「……はっ、笑っちまうぜ。絶望ってのは、こういう気分か。なんだかちょっとゆかいだぜ」
その時、後ろからポーラの声がした。
「なんだ……これは……」
振り返ると俺と同じようにその場で目を丸くするポーラの姿があった。ポーラは俺の隣まで来ると「彼らか……」と苦々しくつぶやいた。俺はポーラに目をやる。
「あの“スプラ王国の盾“とかいう連中か?」
「そうとしか考えられん」
「こんなんじゃ、仕事の遂行は無理だぜ?」
「すぐにでも、別の場所を用意しなくては」
「はぁ!? じ、冗談だろ!? また、別の場所にあのバカでかい魔術陣を一からつくれってのか?」
「それが君たちに依頼した仕事だ」
「お前さん、マジでいってんのか……」
俺たちのやり取りを聞いていたのかバオが勢いよく立ち上がり、つかつかとこちらに歩み寄る。まるで、いまにもポーラに掴みかからんばかりの勢いだ。
俺は慌てて手を伸ばしバオを制止する。
バオは鋭い牙の生えた口をポーラの顔先に近づけてグルルとのどを鳴らした。
「おい、ポーラ。オレは受けた仕事はきっちりと片付ける性分だ」
「ありがたい」
「しかしな、報酬は、きっちりと支払ってもらう」
「もちろん報酬は払うつもりだ」
バオはポーラの顔の前に真っ赤な毛なみをくゆらせた指を二本突き立てた。
「報酬は前に提示した金額に20パーセント上乗せだ」
「そのような取り決めは今回の仕事の条件にはないはずだ」
「ならば、新たに追加してもらう。そもそもの話、妨害があるだなんて事は聞いていない」
「……すこし、考えさせてくれ」
「早めに答えをくれ。もしもオレの条件が飲めないのならばオレとシュウリンはこの仕事を抜けさせてもらうぞ」
バオはそう言うと、俺とポーラの間に肩で割り込み、そのまま去っていった。
怒りに揺れるバオの背中を見送ったあと、ポーラは小さくため息をついた。
ポーラを慰める気はないが、こうなっちまうと少し気の毒にも見える。
俺は肩を落とすポーラに声をかける。
「……バオのやつ、報酬を上乗せしなけりゃ本気で抜ける気だぜ」
「そのようだ。バオの言うように妨害の可能性がある事は話していなかった。まさか、この場所までバレていたとは。ところでウル、キミは?」
「俺? 俺は別に報酬の上乗せなんて要求しねぇよ……」
「ありがたい」
「でもよ、魔術陣をつくる場所の警備は厳重にしてもらわなきゃな。俺たちの努力が無駄になりかねない。もしも、二度も三度もこういう事が起こると、俺も考えなきゃならねぇからよ」
「たしかに、そうだな。警備を厳重にすることにしよう。次の場所を数日以内に確保する」
「ふうむ……もしよければ、俺がちょいと探りを入れてみようか? その“スプラ王国の盾”とやらに」
ポーラの目がどこか不穏に光る。
「彼らを……調べるというのか?」
「別にお前さんたちのケンカに口を出す気はねぇんだ。けどよ、バオが報酬金額第一主義であるのとおなじように、俺は“お客様”第一主義って性分でね」
「もしも彼らの動きを探ることができるのならば……」
「じゃ、その辺は任せてくれ。お前さんは魔術陣をつくる次の場所を準備するってことで」
「わかった」
予期せぬ新たな仕事の発生だ。
俺たちは一旦その場を離れた。