氷の神殿
入り組んだ峡湾地帯を抜けて、ようやくクリーブランドに到着した。
俺たちは小舟から桟橋に乗り移った後、皆で小舟の先に回り込み、水の中に目を凝らす。
ポーラが言っていた通り、水面下にうごめく白い影が見えた。
桟橋のへりにしゃがみこんで真剣に見つめていたシュウリンが、嬉しそうな悲鳴をあげて指をさす。
「ほんとだ~! なんか白いのがいるね! みて、みて、バオ」
そう言われたバオは困り顔だ。
というのも、バオはイダムをその野太い腕に抱えている。鎮静魔術が効きすぎたのか、イダムはいまや熟睡モードに入っているのだ。バオが肩をすくめてつぶやく。
「眠り姫を抱えているからよく見えねーよ。いいから、早く行こうぜ」
バオはそう言うとぱっと背を向けた。先を行くポーラに続き陸地に向かって桟橋を歩き始めた。
名残惜しそうに白氷海豚に手を振っているシュウリンが口をとがらせる。俺は背中の荷袋を担ぎなおすとシュウリンに声をかける。
「そうだ。シュウリン、俺の荷袋に干した魚がある、エサをやってみるか?」
「え、いいの? あげてみたい」
「船頭さん、エサをあげてもいいかい?」
俺は念のため、小舟の先で何も言わずにこちらを眺めている船頭にたずねた。
断られるかとも思ったが、意外にも船頭は何も言わずに小さくうなずいてくれた。
船頭の許可を受けて、俺は荷袋に手を突っ込む。
荷袋の中から、小さく切った干し魚を取り出し、シュウリンに手渡した。
シュウリンは「どき、どき」とか何とか言いながらその干し魚を指先につまみ、ゆっくりと水面に近づけた。
すると、水の下にいた白い影がムクムクと大きくこちらに近づく。ぽっと白い口先が飛び出したかもとおもうと、あっという間にシュウリンの手から干し魚を奪いとり、再び水の下にもぐってしまった。
一瞬の出来事で、何が何だか。
「や~ん! ちっともかわいくないってぇ!」
「初対面なんだから。そんな簡単になつくわけねェか……」
それをみていた船頭が突然しゃがみこむ。そして、水面にむかって不思議な動きで手をかざした。
すると、白い影はふたたびこちらに浮上し始める。
そして、ゆっくりと水面に顔を出した。
雪よりも真っ白い顔をした白氷海豚。
口先から流線形にのびる頭。突き出た額の少し下についている両の目は真っ黒でつぶらだ。口角がもちあがっているせいか、どこか微笑んでいるようにも見えた。
そいつは船頭を見て、きゅう、と鳴いた。
それを見たシュウリンが飛び跳ねる。
「あ、さっきの取り消し! やっぱかわいい! ありがと船頭さん!」
その後、俺たちは皆を追って陸地に向かう。隣のシュウリンは白氷海豚を見ることができたからか、ご機嫌のようだ。三角帽子を揺らしながら踊るように前を歩く。
ふと、シュウリンがこちらを振り返り、ふふ、と笑う。
「ありがと、ウル。その背中の大きな荷袋、見た目はイケてないけど、中身はイケてるのね」
「褒めているのか、けなしているのか」
「ヒトの話を聞くときは、一番、最後の言葉だけを信じなさいな。そこが本音よ」
「あっそ。じゃ、その御言葉、ありがたく頂戴するよ」
シュウリンは悪戯っぽい視線を向けて話す。
「それにしても……あのバオが初対面の相手に、あんな風になつくなんて珍しいわ」
「……誰の事だ?」
「今、話しているのは私とあなただけよ」
「あいつが俺になついている? そうな風には到底思えんが?」
「いいえ。私にはわかる、バオとはそれなりに長い付き合いだもの」
「そうなのか……そういえば、二人とも珍しい響きの名だよな」
「あなたの国ではそうかもね。私たちは東方の国からきたの。私の国では菅文字とよばれる難解な文字が使われている」
シュウリンはそういうとつつとこちらに歩み寄り、俺の手のをつかむとくるりと上にかえす。そして俺の手の平に指で透明の文字を書いた。
朱羽凛
瑪噁迂
俺は手のひらを眺めてぽつりとつぶやく。
「まるで古代文字のごとく……だな」
「あったばかりの人に、こんな風に、ホントの名前を教えるのは初めてかも」
文字を書き終えたシュウリンは俺の手をそっと閉じると「秘密よ」とつぶやいて、にこりと笑った。
氷の大地クリーブランドに降り立った俺たちはすぐに首都に向かった。
息つく間もない。こっちに来てから、移動、移動、移動、の連続だ。
そして、その終着点は大口を開けた氷の洞窟の前だった。
ここは、沿岸の首都からそう遠く離れていない氷の山脈のふもと。
ポーラはそのまま、足を速めて奥に進む。俺たちも後に付き従う。
そして、しばらく入って目に入ってきたのは、広大な氷の空間だった。
奥まで伸びていくその空間はおそらく自然にできた空洞ではなく、人工的に作られた氷の部屋だろう。
荒く削られた天井からはところどころ、長いつららがにょきにょきと生えている。
あちこちからぼんやりと室内を照らしているのは、青白く光る魔鉱石の置かれた燭台。
まるで氷の神殿だ。
バオがぽかんと口を開けて前に進む。
「ひぇぇ……この部屋って、氷を削ってつくったのか……なんてこった」