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船の上でゲロを吐く女

味気ない軽い食事の後。

その宿屋でゆっくりとできるのかと思っていた俺のささやかな期待は、見事に裏切られた。

ポーラはその足ですぐに沿岸に向かうとみなに告げる。問答無用の案内役。



俺たちは顔を見合わせる。皆どこか不服そうだがここは従うしかない。

バオはぶつぶつと文句をいいながらも、ふくれあがった腹をパンパンと叩いて立ち上がった。

俺たちもそれに続いた。








宿屋を出て沿岸に向かうと、もやの先に見えてきたのは簡易な船着き場だ。

陸地から突き出し向こうに伸びるいくつもの桟橋。

その先にひろがるのは波一つ立たない濁った鏡のような海。見るからに冷たそうだ。


その水面に小型の船がひっそりと浮かんでいる。

小舟のまわりにぷかぷかと浮かんでいる不思議な雪玉のようなものがみえるが、あれはポーラいわくこのあたりに生息する氷藻(ひょうも)と呼ばれる魔法植物の一種らしい。



俺たちはポーラに案内されるがまま。そのうちの一つの小舟に乗り込んだ。

まるで浮かぶ木の葉のように頼りないそのボロ船には帆すらついてない。

今にもブクブクと音をたてて沈んでいきそうな船の先には、船頭らしき魚の顔をした人物。

ちょこんと座り込んで背中越しにこちらを怪訝そうにうかがっている。


なんだか、この街の連中はどいつもこいつも陰鬱な空気をまとっている。

歓迎はしていないが、仕方がない、そんな消極的な攻撃性を含んだ目をしている。



全員が船に乗り込み腰かけたところで、重さのせいか船が少し沈んみ視界が一段さがる。

風よけもない狭い船に二人ずつならんで座る。

俺とイダムが隣同士、後ろにはバオとシュウリン。

そして、ポーラが一番前に座り船頭に「いってくれ」と合図した。

途端、不思議なことに、船はひとりでに水の上を進み始めた。








船着き場をはなれて、ほどなく。

肌に染みる冷たい風のせいなのか隣のイダムの様子がどうもおかしい。突然うつ向いたり、周囲をきょろきょろと見回したり。

どうにも落ち着かない。なんだ一体。

俺は小さく声をかけた。




「……イダム。何をそわそわしている」

「……私、ちょっと……」

「なんだよ」

「いや……あの……」



そんなこと言っているうちに、みるみるイダムの白い顔に青みが増してくる。

イダムは急に口をおさえた。

え、お前、まさか。

するとイダムは突然向こうを向き、小舟のへりに顔を寄せた。

そして「私……フネ、ダメなの」と言いながら、盛大にさっきの食い物を海に向かってぶちまけた。



「ぐへっ」



俺は思わず小さく叫び、目をそむける。イダムは「ご、ごめんなさ……」と言いかけて、さらに体を上下に震わせている。

後ろに座っていたシュウリンが膝を丸めて飛び跳ねた。




「ちょっと、たんま! なによ! イダムったら」

「ご、ごめ……ぼぇええ……」

「船がだめなんだったら、そう言いなさいよ! 私のローブが汚れちゃうじゃない!」

「だ、だって……そんなこと、ぼえぇえええ」

「もう、いいからしゃべらない! ゲロがとびちるから」

「ご、ご……め、ぼえぇええ」



シュウリンの横に座っていたバオが、のんきな声で茶化す。



「おーおー、さっき食った飯が全部魚のえさになっちまったな。ぶっははは。おい、シュウリン、船揺れ防止の結界魔術とかないのか?」

「バオ。アンタも紋章師ならわかってんでしょって。魔術ってのは万能でも何でもないのよ。私よりアンタはどうなのよ、曲がりなりにも祝福の紋章師でしょ。回復魔術で何とかしてあげなさいよ」

「残念ながら、ゲロをとめる魔術なんてねぇんだな、これが」

「別にゲロをとめなくたって、なんかあるでしょ、不快感をやわらげるような魔術が」

「しゃーねえな」




バオはそう言うと口元に人差し指を当てて祝詞(ノリト)(呪文)を唱えた。バオの人差し指に淡いグリーンの光が集まる。バオは大きな体を揺らしてイダムに近寄ると、その指をイダムの首元にそっとあてて、つぶやいた。



鎮静(ギー・ナー)



その言葉と共に、バオの野太い指先の光がイダムの体にじわりと染み込んでいく。

すると、イダムの上下していたからだの揺れが少しずつおさまりはじめた。

ほどなく、イダムは体を持ち上げて、くちもとをぬぐう。自分を落ち着かせるように、小さく息を吸い込んだ。

そして、後ろにちらりと目をやると、どこか照れくさそうにバオに「ごめんなさい」と謝った。バオは手をあげ応える。




鎮静(ちんせい)術だ。ヒトによっちゃ眠気が来ると思うから、せいぜい船からおっこちないようにな。そうなれば、つぎは誰が海に飛び込んで助けるのか見ものだぜ。ぶははは」









どのくらい時間が経ったのか。

藍色の海のあちこちには切り立った崖のような孤島が並んでいる。その合間をぬうように小さな舟は音もなく進みつづける。時折、真っ白に輝く氷の塊が海に浮かんでいるのが見える。あれが流氷か。


バオの鎮静魔術を受けて、吐き気の落ち着いたイダムは、バオの言葉通り、うつらうつらし始めた。どうやら睡魔と戦っているようだ。

もしもイダムが船から落っこちたら、この氷の浮かんだつめたい海に飛び込まなきゃならねぇ、そんなのごめんだぜ。

俺は仕方なくイダムの肩をそっとこちらに寄せる。

イダムはそのまま俺の肩に頭をもたれかけて、本格的に眠り込んでしまった。




うしろでぺらぺらと軽口を言いあっていたバオが先頭のポーラに声をかけた。




「おい、ポーラ。いったい全体どこまで行くんだ? さっきからずっとクリーブランドの周囲を回っている気がするんだが」




ポーラが振り返らずに答える。




「クリーブランドは見ての通り、崖と氷に囲まている。船が入りこめる場所は限られているのだ。もうじき、複雑に入り組んだ峡湾地帯(フィヨルド)にはいりこむ」

「空からいけばいいんじゃないのか?」

「このあたりに生息する飛竜がいないのだ。どこかから連れてきても寒さですぐにやられてしまい、使い物にならない」

「はぁ。そりゃ面倒だな」




バオのため息が聞こえた。ポーラは不満そうなバオに気を遣ったのか話を続ける。




「しかし、海の生物は多種多様だ。じっさいにいま我々がのっているこの船。なぜ動いていると思う?」

「何かの魔術じゃないのか?」

「いいや。潜っていて見えないが、この船を引っ張っている魔獣がいる」

「え? そうだったのか」

「この船の動力源は白氷海豚(アイス・ベルガ)とよばれるイルカの魔獣だよ。知能が高くとても友好的な魔獣だ」

「どおりで……風もないのに船がスイスイ進むわけだ」

「カワイイ子たちだ。クリーブランドの船着き場に着いたら、船の下を目をこらしてよく見てみるがいい」



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