時の紋章師、イダム
あれから幾ばくかの日が過ぎる。
ついにあの女が満を持して俺の屋敷に現れやがった。
俺は女を我が家の応接間に通すと、ソファに座らせ向かい合う。
女をすっぽりと包み込むそのローブの襟のふち、竜の鱗を模したような銀の刺繍がぐるりととぐろを巻いている。
女は室内をぶしつけに見回すと、何かを推しはかるようなにため息をついた。
「ふぅん。随分と質素なところに住んでいるのね。この国一番の大貴族なんでしょ? べリントン家というのは」
「俺の何を知っているのかはしらんが、俺はただのウルだ」
「ま、そういう事にしておきましょうか」
「……けっ。しかし、お前さんとあってから、随分と日が経った気もするが……」
「私が探している紋章師はあなただけじゃないの」
「ほかにも何人か紋章師を探しているってことか?」
「ええ。野良の紋章師っていうのは大抵が素性を隠して生活している人が多いのよね。探しだすのもひと苦労よ。それに……」
女はワザとらしく足を組むと、こちらに向かって身をかがめた。
「……ある程度の秘密を守ってくれる人じゃないとね。なにせこの国では禁忌とされている、禁術の依頼なのだから。その点、あなたは報酬さえ渡せば大丈夫だと聞いている」
「金額によるがな」
「うふふ……」
「なんだよ」
「あなたテマラに随分と借金をしているようね」
「ぶっ……そんなことまで知っていやがるのか。ちっ、テマラから聞いたのか?」
「……まぁ、ね。本当は、テマラが見つかれば一番だったんだけどね」
「悪いね。二番煎じで」
「あら。そんなことないわ。私たちが求めているのは“傀儡術”のエキスパート。そういう意味ではテマラよりもあなたの方が適任ともいえるのだから」
女はしなやかな手つきでローブの内ポケットから何かを取り出すと目の前のテーブルの上にそっと置いた。
それは腕輪だった。
ぼんやりと青白い光を放っている。
表面には古代文字らしき模様が彫られているが取り立ててなんて事はない腕輪に見える。
俺はそれを手に取りぐるりと眺める。何かの魔道具のようだが検討がつかない。俺は女に目をやる。
「これは?」
「遠距離移動に必要な魔道具よ。私たちは“ポート”と呼んでいるけれど」
「……ポート……?」
「ええ。わたしたちが目指すのはこの国のはるか北にある氷の国クリーブランド」
「は、はぁ!? クリーブランド!? そんなところにいくなんて一体何日かかるってんだよ?」
女は、あなた馬鹿なの?とでも言いたげに手を広げる。
「だから、今言ったでしょ。それは遠距離移動の際に必要なポートなの。私たちの仲間が遠距離移動用の結界場を作っているわ。そこからそのポートを使って一気に、クリーブランドへ“渡る”の。“異空回廊”を使ってね」
「異空回廊……?」
「はぁ……大丈夫かしら……どれもこれも、この国では禁術とされている魔術だから聞いた事がないというのならば、仕方がないんだけど」
こいつが変なのか俺が無知なのか。
なんだか、ぶっとんだ話に頭がついていかない。
遠距離移動用のポートだの、異空回廊だの、そんな魔道具や魔術の話なんて今まで聞いた事がない。俺にとっては未知の世界でチンプンカンプンだ。
この女や、その仲間とやらは、いったいどういう連中なんだ。
こんな危なっかしい話に乗っかって大丈夫なのか。
俺は青白くひかる腕輪を手に取り、なんとなく手首に嵌め込もうとした。
「ちょっと! ダメよ!」
「へ?」
「それは必要な時にだけ装備して。一回使うと効果がなくなるのだから」
「あ、あぁ、そうなんだ」
「急に心配になってきたわ。もう一度テマラを探したほうがいいのかしら……」
女は腰をあげるとこう告げた。
「ま、今日はここまでにしましょう。詳しい内容は追って説明するわ。その時までに旅の準備をしておいて。出発の準備ができ次第、また声をかけるから。あ、それと、私は“時の紋章師”イダムよ。ま、名前なんてどうでもいいけれど……それじゃあね、呪いの紋章師さん」
イダムはそういうと、応接間を出ていった。俺の手の中に不思議な腕輪を残して。