呪いの基礎は言霊にあり
あの偉そうな女が現れて以降、数日たつが特に何も起こらない。
てっきり、すぐにでも俺の屋敷を訪ねてくるかと思ったのだが、俺の身の回りに転がる日常はいつも通りだ。
あの女、俺の正体を知っているだのなんだのと大層な事を言っていたが。あれはただのハッタリだったのだろうか。
そもそも、俺が現国王の“死んだはずの実の息子”だなんて話を誰が信じるっていうんだ。何か決定的な証拠でもない限り、そんな話を持ち出す奴のほうが逆に危ない奴認定されるってもんだ。
それこそ不敬罪にでも問われそうなものだ。
あの日以降、実は、内心すこしビビっていたのだ。しかし、大きな剣を身構えた宮廷魔術騎士団に取り囲まれるでもなく、謎の刺客に夜中に襲われるでもない。
雲のように日々は無言に通り過ぎていった。
まぁ、それに越したことはないのだけれど。なんだかどうにも落ち着かない。
まるで軽い呪いをかけられた気分だ。
呪いの基礎は言霊にある。
呪いの魔術を扱う俺としたことが、どこの馬の骨ともわからない女の言霊にこれほどまでにとらわれてしまうとは情けない。
「げふっ……なんたる不覚」
俺は午前の仕事を早々に切り上げて、昼飯を食った後、聖都市フレイブルへと向かった。
この大きな都市の東に位置する商人地区は、いつも様々な種族たちでごった返している。
商人地区には実に様々な店が軒を連ねている。食料品から衣類、雑貨屋、武器や防具屋までなんでもこいだ。そんな商人地区の片隅。ほんの小さな曲がり角の一角にリラが開いた“リラのポーション屋さん”の扉がひっそりとある。
扉には小さな木の看板が引っ提げられている。大抵、どの店でも、店の名前にはその店の店主の名前を冠としてつけるのが慣例になっているらしい。
俺はそのかわいらしい看板を眺めつつ、そっと扉を押し開く。
ドアベルがカラリと響く狭い店内には、何人かの客がいた。
みな、棚にならんでいる小瓶を手に取りながら、瓶の中身を調べるようにくるりとかざしている。
その客人の横につくのは小さな“店員”たち。
彼ら、彼女らはこの街の中央にある大聖堂から来ている。
フレイブル大聖堂内にある孤児院に預けられている孤児たちなのだ。
もともと、リラはその孤児院で奉仕活動として子供たちの世話をしていた。
その縁もあって、今はその子たちが、リラの店の手伝いをしてくれているというわけだ。
リラが言うには、最近、このカワイイちびっこ店員たちの接客に癒されるという話が客たちの間で評判になっているようだ。この店のいい宣伝になっているらしい。
何気なく出した俺の提案だったが、ここまでの効果が出るとは思いもしなかった。我ながら商才があるのかも、と内心では自画自賛している。
俺が店内に進むと、一番手前にいた孤児のレイミラがこちらに気づき俺に走りよってきた。
レイミラは大きな目をパチパチと俺を見上げる。
「ウル、いらっさいませ!」
「レイミラ、この前もいったろ、いらっしゃいませ、だ」
「うう、い、いらっさい、い、いら、いらっしゃいませ!」
「そうそう。うまいぞ」
「えへへ、きょうは、どういたの?」
「……はぁ……まぁ、いいか。リラはいるか?」
「リラねいちゃんなら、奥の工房にいるよ!」
「おお、そうか。ありがとな」
俺はレイミラの頭をくしゃりと撫でると奥へと進む。カウンターを乗り越えてさらに奥に続く扉をそっとひらいた。
工房の奥、長く伸びた銀色の髪を後ろに束ねているリラの背中が見えた。
リラは魔法薬の調合に集中しているのか、声をかけるのをためらってしまうほどに、微動だにしない。
俺は、薄暗い工房に足を踏み入れて後ろ手に扉を閉める。
とたん、室内には驚くほどの静寂が広がる。
リラはこの工房の周囲に“音けし”の結界術をかけている。
その魔術のおかげで、この工房内には外のからの音が入り込んでこないようになっている。
見事なほどに外の物音が一切聞こえなくなる。
ここまで遮音効果が高いのは、魔術の始祖ともいえる、ダークエルフ族の生き残り、リラだからこそ。
俺は、できる限り小さな声で「よう」と、声をかけた。
「……きゃ!」
その俺の声に、よほど驚いたのか、リラは慌てた様子でこちらを振り返った。
そして、大きく目を見開く。しかし、すぐに俺だと悟ったようであきれたような表情を浮かべた。
「もう。ウルが来た時の合図におしえたノックの仕方があるでしょ。相変わらずなんだから」
「わりぃな、ついつい忘れちまう」
「どうしたの? 今日は店番お願いしてなかったと思うけど」
「いや、なんとなく……ね。なぁリラ、最近、白いローブの女の客とか来てねぇか?」
リラは目の前のテーブルの上に置いていた何かの小瓶を端に寄せると、椅子の上で体をこちらにむけた。そしてひざにかけている作業用の前かけで手をふき取りながら話す。
「白いローブの女のヒトっていわれてもねぇ……最近はお客さんも増えてきたから。なにかもっとその女の人の特徴とかないの?」
「そうだなぁ、エメラルドの宝石みたいな緑の髪に、緑の目。あとは、なんかこう、偉そうな感じというか……」
「あんまり心当たりはないかな。わたし、薬の調合の作業をしている間は店番をあの子たちに任せているから」
「そうか……じゃ、仕方ねぇな」
俺はふと周囲を見回す。
リラの工房内。実は表の店内よりも、こちらの工房内のほうがはるかに広かったりする。
天井からぶら下がった鉢植えに乗ったしなだれたツタの葉っぱ。あちこちにところ狭しと並ぶ奇妙な桶や瓶の数々。いったい何に使うのか見当もつかない、いびつに曲ったブラス製の装置などが整然と並んでいる。
俺はリラに視線をもどすとつぶやいた。
「それにしても……なかなか……」
「え?」
「いや、さっき、声をかけるのをためらっちまうほど、集中していたみたいだからよ」
「……うふふ、ここにいるとついつい、時間が経つのを忘れちゃうの。コポロさんの遺した魔術書や日記を眺めていると、特にね」
「コポロじいさんか。会ったことはないけど。お前にとっては師匠にあたるって感じかな」
「ええ。ほんとに、一度会ってみたいな。でも……」
リラは何かを言いあぐねた。
しかしその言葉の先を俺はなんとなく感じた。
そう、このエインズ国では“死者の蘇生”は、いかなる方法と言えど禁じられている。
リラはそれを言いかけたのだ。
しかし、実際のところ、裏の社会ではそういった禁忌を破る連中が跋扈している。
実際に、俺自身もかつて、この身に“黄泉がえりの呪法”という禁術を受けた。禁忌を犯す片棒を担がされたのだ。
あの頃の俺は15歳。自分の意思ではなかったにしろ、俺は死者の蘇生というこの国の禁忌に手を貸したのだ。
その結果、俺は”一度死に”俺の実の兄がよみがえった。
その実の兄は今でも当たり前の顔をして生きているのだ。現国王の、長男として。
その時、工房の扉からノックがしたかとおもうと扉が薄く開いた。
扉の隙間から、赤毛を揺らしながらレイミラが顔を出す。
レイミラはリラをみやると「リラおねいちゃん、なんかね、おきゃくさんがね、おねいちゃんに話があるって」と告げた。
リラはにこりと笑うと「あいがとう、レイミラ」と立ち上がった。