コポロのこころ ②
金魂球を手に入れた後。
エインズ王国に戻ってからすぐ、私はある人物を訪ねた。
この国の隅っこ、辺鄙な森の奥に住む、あるエルフ族の老人のもとへ。
彼の名は、ハスバル。
何を隠そう、彼こそが金魂球という不思議な植物の存在を私に教えてくれた張本人だ。
様ざまな種族の中でも特に寿命の長いといわれるエルフ族。しわくちゃな彼が、いったい今いくつなのかはよく知らない。
その素性も詳しく聞いた事はないが、ハスバルは実に博識で、魔法植物の知識にも精通していた。
山小屋の小さな一室に案内された私は、古びたテーブルの席に着くなり木箱に潜ませた金魂球をハスバルに見せた。ハスバルは白く長いまつ毛のかかった目をさらに細めて、木箱をすっと覗き込んだ。
そして、私を見やる。
「たしかに……よく見つけてきたのう」
「苦労しましたよ」
「……しかし、オヌシ、本当に“黄泉がえり”を行うつもりなのか?」
「……はい。その為に何十日も旅をしたのです」
「いうまでもないが……このエインズ王国では、死者の蘇生はどのような技法であろうとも禁忌じゃ。特にオヌシは宮廷魔術騎士団員という身の上。もしもバレればオヌシは紋章を奪われ、魔術を奪われ、場合によれば、国を追われるか……最悪、死刑じゃぞ」
ハスバルは不安げな声で、まるで私をたしなめるように話す。
しかし、私の心はもう固まっている。
私の愛する妻、ミルマルは、23歳という若さでこの世を去ってしまった。
契りを結んでからも私は宮廷魔術騎士団の調合師として世界のあちこちを飛び回る日々だった。彼女と過ごす時間はとても限られていたのだ。
だというのに、私は調合師としての研究を最優先し、彼女と過ごす時間をあまりにも大切にしなかったのだ。
旅先から手紙を書いたり、戻った時には土産を持ちかえったり。
そんなことくらいで、彼女が満足してくれていると思い込んでいたのだ。
しかし、間違っていた。それで満足していたのは、彼女ではなく、私の方だったのだ。
彼女は私が旅に出ている間に、不慮の事故で亡くなった。
綺麗な湧水を汲み上げようと、いつものように山のふもとにむかった、その帰り道で。
彼女が雨降る森の中で、ひとり、この世を去る死の間際。
その苦しみの間も、私はのんきに旅先にいた。
はるか遠い彼方の地で、彼女にあてて手紙をかいていたのだ。
何と間抜けで、愚かしい男なのだろう。
黙り込んだ私を気遣ってか、ハスバルは何も言わず金魂球の入った木箱のふたをそっと閉じた。
そして小さくため息をついた。
「……コポロ。この球根を育てるには“特製の水”が必要じゃ」
「みず?」
「そう。ただの水ではこの球根はすぐに枯れる。調合術で作った魔素のたっぷり入った特製の水を作らばならぬ。その材料を集めるだけでもひと苦労じゃぞ、できるか?」
「覚悟の上です」
「よし……それと、もう一つ必要なのは、時間じゃ」
「何年かかろうとも」
ハスバルは続ける。
「この球根で行う黄泉がえりの技法は、最低でも20年、いや30年はかかるかもしれぬ。ワシらエルフ族にとってはさほどの年月ではないが……オヌシのようなヒト族にとってはかなりの年月となろう。その数十年の間、オヌシは、この球根に亡き者の思い出を話し、その亡き者に対する愛情と同じだけの愛情を注がねばならぬ、オヌシにそれができるか?」
「できます……いや、私は、しなければならないのです」
ハスバルは私の目をじっと覗き込んだ。
エルフ族の銀色に輝くまなざしが、私の本音を見透かすように奥まで鋭く突いてくる。
私はその視線を真正面にじっと受け止めた。
ハスバルは根負けしたとでもいうように、肩を小さくすめるとつぶやいた。
「いいじゃろう……では、金魂球を育てるための手順をオヌシにおしえよう」
私はハスバルから教わった技法を使い、来る日も来る日も、金に輝く球根の世話に明け暮れた。最初は鉢植えから、そして庭へ。
宮廷魔術騎士団員として様々な作戦をこなしながら。ある時はハスバルの手を借りつつも、なんとか金魂球の世話をつづけた。
そして、私も年を取り、いつしか30年近くが過ぎようとしていた。
そんなある日の朝。
私がカーテン越しのあさのひかりに薄く目をあけると。
なんだか懐かしいニオイがどこからともなく漂って来る。
「何だろう……」
私はベッドの上に体をもたげた。
いつもの一人きりの寝室だ。ゆっくりとベッドから足をおろし、立ち上がると大きく伸びをする。最近はどうにも腰が痛い。私は腰を裏手でポンポンと叩きながら、寝室を抜け出した。
その時、ふと、気がついた。
さっきからかおる、このニオイ。
これは紅茶のかおりだ。
そう、ミルマルが好きな、あのリンゴ紅茶の甘酸っぱい香りだ。
私はニオイにつられて階下に降りる。
ゆっくりと、居間に入り込んだ。
居間のテーブルには、湯気の立つカップが二つ仲睦まじくならんでいる。
喉の奥がぐっと閉じられた。私はこみ上げる何かを震える口元でくいしばった。
まさか。
その時、声がしたのだ。
私が何十年も待ち望んでいた、あのやさしい声。
少し枯れたようにも聞こえるが、これは間違いなく彼女の声だ。
ミルマルの声が、輝く朝の食卓に響いた。
まるでいつも通りの挨拶のように。当然のように。
「あら、おはよう、コポロ。きのうは、よく眠れた?」
私は震える声で、こう答えるのが精いっぱいだった。
「眠れたよ」