呪具『つらぬきの短剣』★
俺がかける言葉を失い固まっていた、その時。
突如。ひそやかに地を這うような獣たちの息遣いが耳に届いた。
それもあちこちから。
俺は慌てて男の子の肩に手を押し当てて低い姿勢をとらせた。
「動くな」
小声で男の子の耳元に告げる。
男の子は目を丸くしながらも、うなずいた。
恐る恐る周囲を見回しながら岩陰に身を低くする。
ゴクリ。
男の子の喉の下の方から、生唾をのむ音が聞こえた。
男の子は怯えた表情を見せながらも、まるで母親を守るように、その体に覆いかぶさりひざをつく。
俺は周囲に視線を走らせる。
ほんの先、木のかげから死肉狼が長い下あごを突き出して、のそりのそりと姿を現した。
灰色の毛を逆立て威嚇するように牙をむく。
くの字に曲がった後ろ足が滑稽にみえるが、見た目からは想像できないほど狂暴な魔獣。
まっ黄色の目玉が、寝そべる彼女に向いた。やつらは常に死肉を求めている。
うなり声と、地を踏みしめるざりざりという不吉な音。恐怖の気配があたり一面から忍び寄る。
どうやら、群れに囲まれたようだ。
俺は奴らを刺激しないようにゆっくりと立ち上がって、じりじりと足を進める。
2人から少し離れるたところで、指笛をふいた。
やつらの耳が驚いたようにピンと伸びて、注意をこちらに向けたのがわかった。
カリヨンウルフどもは黄色い視線を、糸のように俺に絡める。
俺は、ゆっくりと距離を取りながら、腰にかけていた短剣にすっと右手を伸ばす。
次、左手を口元に添えて印を結んだ。
スキル『呪具耐性』の発動だ。
俺は呪具拝借の呪詞を唱えた。
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天地万物 空海側転
天則 守りて 我汝の掟に従う
御身の 血をやとひて 赦したまえ
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呪具:つらぬきの短剣
盗賊ダマルの大腿骨(ふともも)の骨を削って創られた両刃の短剣
効果:奪命の一突き、短剣の一突きが相手の急所に必中する
戦いの火ぶたは音もなくきられた。
死肉狼どもは俺を中心に円形に間をつめてきたかと思うと、あちこちから一斉に飛びかかってきた。
本来ならば短剣は戦いの終盤で使う武器。
とどめの一撃の為に抜かれる。
しかし、この短剣は最初の一突きが、最期の一突きとなるのだ。
俺は『つらぬきの短剣』に身を任せるように力を添える。
まず、右斜め前方から一匹。
俺は下からゆるい弧を描き短剣を前に動かす。
一匹目の前足の付け根へ刺しこむ。さらにぐっと一押し心臓へ。
ぎゃんっと小さく鳴いてそいつは動きを止めた。
次は真後ろから一匹。
俺は短剣を引き抜き、両手に握り右の肩越しから斜め後ろに体をかたむけ、喉元へ一突き。
的中。
つぎ、左から一匹。
わき腹の下から体の中心を一突き。
つぎ、左斜め前から一匹。
大きく開いた牙だらけの口の中から心臓まで一突き。
つぎ、右後方から一匹。
振り向きざま頭の上から頭蓋骨を下に貫く一突き。
俺を中心に死肉狼の死骸が円を描き、どさりどさりと俺の足元にかさなっていく。
そしてついに、最後の一匹と真正面に対峙する。
飛び掛かってきた一匹の眉間にまっすぐに腕を突き出した。脳天を一突き。
瞬間、短剣の柄に鈍い感覚。
「ちぃっ……割れちまったか」
頭をつらぬかれた最後の一匹は声もあげずに足元に崩れ落ちた。
俺は力が抜けた死肉狼の眉間から短刀をゆっくりと抜いた。
顔の前に持ってきた短剣を掲げてくるりと確認する。
「……やっぱり」
柄から剣先にかけて、黒い裂け目ができていた。
もともと人骨で出来た古い呪いの短剣だ。破損は近いと思ってはいたが意外とはやかったな。一つの呪具が今その寿命を終えた。
俺は背中の荷袋から布を取り出す。骨の短剣についた真っ赤な血を丁寧にふき取った。
そして、新たな布に包んで荷袋におさめた。