ミルマルの寿命
乳白色に輝く石造りの小部屋。
窓から吹き込む柔らかい風にさそわれて外を見る。
出窓のすぐ下に通りが見渡せる。
俺は古びた木のテーブル席に着き、この屋敷のあるじ、ライラスリーを待っていた。
その時、部屋に入り込んできたのは小柄な山羊人族のガキ。
たしかその名を。
「よう。ピリュート、だったかな」
「へへん。久しぶりだね。まさかアンタがじいちゃんの知り合いだったなんて」
「別に知り合いなんかじゃねぇよ。お互いに会うのは初めてだ」
「え? だって、さっき名前を言いあっていたじゃないか」
ピリュートは不思議そうな顔をしながら俺の目の前に湯気のけむる小さなカップを置いた。
鼻をすすり言葉を添える。
「カカオの豆をひいた黒スープだよ。すっごくニガイから僕は苦手だけどね」
ピリュートはそう言いながら歯を見せてニッと笑った。
「なんでぇ、ニヤニヤしちまって」
「だってさ、ここに誰かが訪ねてくるなんて、滅多にないんだ。じいちゃんがくるからちょっと待っててね」
ピリュートはそう言い残して部屋から去っていった。
入れ替わるように、ライラスリーが姿を見せ、ゆっくりと俺の目の前の席に着いた。
悩まし気な表情に見えるのは眉の間に深く刻まれたシワのせいだろうか。
薄黒くしなびた角が二本、頭部から突き出し後ろにぐるりと蜷局を巻いている。
ライラスリーは落ちくぼんだ眼窩の奥にある垂れたまぶたを持ち上げて、湿っぽい視線をこちらに向けた。
「もう、知っておるんじゃろうな。ワシの事は」
「お互い様だろ」
「……アンタどこまで知っているんじゃ。あの日記を随分と読みこんでいたようじゃが……」
「ミルマルさんが、金魂球という植物から生まれた疑似人間ってところまでは理解しているよ。まぁ、あの日記の内容が事実ならば、というところだが」
ライラスリーは物憂げな表情で小さく肩をゆらした。
俺は続ける。
「単刀直入に聞くが、お前さん、子ネズミを操って俺を見ていた?」
「……ワシが見ていたのはミルマルじゃよ」
「ミルマルさんを? やっぱストーカー?」
「ち、違うわい! あの日記をもっと読み進めればその理由もわかるじゃろう」
ライラスリーはふと、窓の外を見つめる。遠くを眺めるようなまなざしで話しはじめた。
「ミルマルの“本体”はあの屋敷の庭の地下にいる」
「……本体……?」
「金魂球という植物はの、“親球”と“子球”とに分かれておる」
「……つまりミルマルさんが子球で……親球が地下にいる、という事か……」
ライラスリーは深くうなずく。
「そう。本体である親球はあの屋敷の庭の地中深くに潜り込んでいる。深く深く、じわりじわりと今も潜り込み続けているじゃろう」
「……それが“金魂球”という植物の生態なのか」
「そうじゃ。そしてその寿命はもう尽きかけておる」
「なんだって??」
「親球の方がの、腐りはじめているのじゃ」
ライラスリーの目が悲しげな光を放ち、その口元がゆがむ。
「……その影響のせいか、ミルマルの記憶は少しずつ薄れはじめておる。アイツの名も思い出せない程度にな……」
「……“アイツ”というのはミルマルさんの夫の事か?」
「そうじゃ……アイツめ、ミルマルを蘇らせておきながら、先に逝きおった。本当に罪作りでわがままな奴じゃ。再びミルマルに寂しさを残した」
そう言えば、ミルマルばあさんの口から旦那の名を一度も聞いたことがない。
いつも、あの人だとか、夫だとか、そんな風に言っていた。単に、名をいうのが照れ臭いからだと思っていたが思い出せなくなっていたってのか。
ライラスリーはしなびた両手で顔を覆い、肩を小さくすくませた。
そして、懺悔をするように顔を手で隠したまま、指の隙間から言葉をこぼす。
「……ワシはアイツを救おうとしたんじゃがな、無理じゃった」
「まさか、ミルマルさんを蘇らせたのが誰かにバレたのか?」
「あぁ、そうじゃ。死者蘇生は、いかなる場合でもこのエインズ王国では重罪……それを誰かが密告したのだ。ある日、宮廷魔術騎士団がアイツのもとにやってきてのぅ……アイツは連行された。そしてアイツは……紋章を奪われ、失意のなか、冷たい牢獄の中で息をひきとってしまった」
「ちっ、なんて事だ!」
俺は思わず拳でテーブルを強く叩いた。部屋の空気がビリビリと揺れる。
その時、部屋の隅から怯えたような声がした。
「ど、どうしたのさ……大きなこえで……」
そこにはピリュートが立っていた。
ピリュートは俺のもとに駆け寄ると、俺の服を引っ張った。
「じいちゃんを、そんなふうにしからないでおくれよ。アンタはひさしぶりのお客なんだ。じいちゃんの摘んできたカカオ豆の特性黒スープまで出したんだぜ、勘弁してやってよ!」
「いや、そういうわけじゃ……」
見下ろしたピリュートの目が黒くうるんでいる。今にも大粒の涙がこぼれそうなほどに。
はぁ、ガキの相手をすると、調子が狂う。
俺は小さく息を吸い込むと、なんとか心をなだめ、再び席に座った。
そしてピリュートとライラスリーを交互に見て「わるかった」と小さく詫びた。
ライラスリーは静かに続けた。
「アイツが死んだ後、ワシはなんとか、ミルマルと球根を救い出しここで匿っている。ミルマルまで、牢獄で死なせるわけにはいかんのじゃ」
「なるほどな、そういうことだったのか……それにしても、どうしてミルマルばあさんは俺に日記の翻訳なんて事を頼んできたってんだ」
「もしかすると、ミルマルは自分の死期を悟ったのかもしれん、だから最後にアイツの日記を読んでみたいと……」
「せめて死ぬ前に愛した夫の記憶をたどろうと?」
そんな。