さじの紋章師、ハウミン
テーブル前に置いてある椅子に腰かけたミルマルばあさんは、上下する胸に手を当てて呼吸を整えている。
俺は窓際の壁にもたれかかると、奴らが戻って来やしないかと、もう一度花が咲き乱れた箱庭に目をやった。
が、連中が戻ってくるような気配はなさそうだ。
ほどなく、顔色が戻り始めたミルマルばあさんは、ゆっくりと口を開いた。
「ごめんなさいね、ウルさん。あんなところを見せてしまって」
「気にしないでくださいよ……盗み聞きしたみてぇで申し訳ないんですが……この屋敷を譲るよう迫られているんですか。あの道具屋のハウミンという男に?」
「前々からそんな話はされていたのよ。でも正直、冗談かとおもっていたの。だから今日みたいなことが起こるだなんて想像もしていなかったわ」
ミルマルばあさんはか細いため息をついた。
俺はたずねる。
「ハウミンがこの屋敷を狙う理由は?」
「ハッキリとは言わないけれど、きっと、この庭に咲いている珍しい草花が欲しいのでしょうね。ここで育てている草花はすべてわたしの夫が世界中からあつめてきた草花でね。いろいろな魔法薬や、魔道具の素材として使えるらしいの。前々から、ハウミンさんには少しずつ譲ったり、売ったりしていたの……それらを持ち帰って様々な魔法薬の調合をしているみたい」
「へ? やつは調合師? ってことはハウミンは“匙の紋章師”ってことですかい?」
「ええ、そう言っていたわ」
まさか、あいつが魔術の使える紋章師だったとは。
俺は窓際から、色とりどりの美しい庭をもう一度見渡す。
「なるほどねぇ……珍しい草花を安価で譲ってもらっていたってのに、それでは飽き足らず、今度はそれを全部よこせと」
「ハウミンさんったら。昔は、あんな人ではなかったのだけれど……」
「でも、変じゃねぇですか。この庭の草花が欲しいのならば、それだけを買い取っていけばいいだけの話」
「それがね、ハウミンさんが言うにはここで買い取っていった草花を、自分の農地に植え替えてもうまく育たないらしいの。土を変えて色々やってみたけれど、ダメだったって」
「だから屋敷ごと手にいれちまおうって魂胆ですかい」
「そうなのかしらねぇ……でも、わたしはここを離れるわけには……」
そのとき、俺の頭にふと、ライラスリーのじいさんの萎れた横顔が浮かんだ。
まったく、間の悪いじいさんだ。監視を怠った日に限ってああいった不届きな輩が入り込むってんだから。
俺はミルマルばあさんにさりげなく聞いてみた。
「ミルマルさん。ライラスリーという男の名に聞き覚えは?」
「……さぁ、わたしの知り合いには、いないかしら。そのかたがどうかしたの?」
「あなたの旦那さんの日記によくその名が出てくるんですよ。もしかしたら知ってるかも、と思ってね」
「残念ながら覚えがないわ。あの人は、仕事の事は何も話さなかったのよ。知る事が危険になるかもしれないと言ってね」
「確かに。本当にあなたの事を大事に思っていたんですねぇ……」
「あらま、そんな……」
ミルマルばあさんは急に照れたように微笑んだ。
うっすらと紅色に染まる頬。こうして近くで眺めていても、このばあさんが“植物”だとは誰も思わないだろう。俺ですら、いまだに半信半疑なのだから。
まぁ、とにかくだ。
俺には呪いを解くという本来の仕事がある。明日も新しい客が俺の屋敷に来る予定なのだ。
ずっとミルマルばあさんの屋敷に入り浸っているというわけにはいかない。
だとすると、協力を仰ぐべき人物はもはや、一人しかいない。
明日、ライラスリーの家を直接訪ねてみることにしよう。




