ストーカーの正体は
ふっと意識を戻して、目を開く。まばゆい外の光が視界に入り込んでくる。
いましがた、ミルマルばあさんの屋敷の書斎で、俺の分身が子ネズミを捕まえ、そして、逃がした。
その子ネズミの瞳を覗き込んだほんの束の間。その瞳の奥に何者かの目が見えた。
子ネズミではない、明確な意思を持った、誰かの目。
「……ビンゴってなもんかねぇ……」
本物の俺は木陰からすっと顔を出し、ミルマルばあさんの屋敷のほうを見やった。
今、ミルマルばあさんの屋敷の書斎で日記を翻訳しているのは“俺の分身”だ。
“傀儡術”によって生み出された俺の傀儡人形。
最近、あの屋敷に入り込むたびに何者かの視線を感じていた。
それを確かめる為に、ここ数日のあいだ、俺は自分の傀儡人形をあの屋敷の中に送り込んでいた。
そして、本物の俺はあの屋敷を外から監視していたのだ。
そして、まんまと獲物が罠にかかったってなもんさ。
「まちがいねぇな……あの子ネズミは監視役、そして動物をあやつる紋章師となると……“獣の紋章師”ってところか……」
俺の勘は間違いではなかったようだ。
今、屋敷の外にいる“本物の俺”の視界に移りこんでいる、とある人影。
まぶしい日がさす昼間だっていうのに、赤茶けたフードローブを頭からすっぽりとかぶっている怪しげな人物が一人いるのだ。
そいつはミルマルばあさんの屋敷のそばを、ふらりふらりと行ったり来たり。
このあたりは街はずれ。
人通りが少ないものだから、あんな不審な行動をしていたら嫌でも目につく。
「けっ……まさか、自分が監視される方だとは思いもしないようだ。滑稽な」
そいつは自分が操っていた子ネズミが見つかってしまったからなのか、どこか不貞腐れたように踵を返した。
そして屋敷から離れると、どこかに向かって歩き始めた。
方向からして、どうやら街へ向かうらしい。俺は腰を上げるとそいつの尾行をはじめた。
革製の丸帽子を目深にかぶり、距離を取りつつそいつを尾行する。
背中から推測するに、かなり小柄な人物のようだ。
どこか動きが緩慢で、足を引きずるように歩いている。怪我でもしているのだろうか。
ミルマルばあさんの屋敷から離れて、聖都市フレイブルの街なかに入り込む。
すると、そいつは安心したのか、警戒を完全に解いてしまった。
すっぽりとかぶっていた頭のフードを後ろに剥いだ。
下から現れたのは、白く濁った灰色の髪。その頭の両側からは小ぶりな黒い角が後ろにぐるりと伸びている。顔の両側からはとがった耳がツンと飛び出す。
この容姿。
「……あいつ……山羊人族だってのか……でも、どうして俺の監視なんか」
山羊人族の男は尾行されているなど思いもしないようで、こちらを全く気にせず街の中央に入り込んでいく。
そして、ほどなく石造りの建物の前で立ち止まると、その建物の扉の中に吸い込まれるように入っていった。
俺は身を潜めてしばらくその建物を眺めていたが、さっきの男が出てきそうな気配はない。
どうやらここがあの男が住んでいる場所のようだ。
「あっけない。このまま強行突破もいいが、急いてはことを仕損じる。今日のところはこれくらいにするか……相手の素性がまだわからんが……ふんっ、これで立場が入れ替わった」
俺はその石造りの建物の場所を頭に叩き込んだ。
俺は引き返す道すがら、頭をひねる。
何をどう考えても、さっきの山羊人族の男の顔には覚えがない。
もちろんの事、監視されるような心当たりもない。
まさか、新手のストーカーか。俺は頭をぶんぶん振りかぶる。
いやいやいや、じいさんがおっさんをストーカーするとか、この世の終わりのような妄想はよすとしよう。
「ふうむ……だとすると、ミルマルばあさんのストーカーか?」
そう考えたほうが、まだしっくりくる。あの男は体格や歩き方からして、随分と年老いているようにも見えたし。
俺はふと、立ち止まった。せっかく街の中まで来たのだ、ちょっと寄り道でもしていくか。
俺はその足でこの街の冒険者ギルドに向かう事にした。