ミルマルばあさん
決闘裁判に出くわした後の帰り道。
俺は、寄り道はしない主義、とは言うものの、今日は違った。
そもそもだ、今日はベルアミの野郎が俺のもとに来ること自体が想定外。
本来ならば、一日家に引きこもり、呪いの魔術を研究しているはずの予定が大きく狂っちまったのだ。
「ま、行きがけの駄賃、ってことで、ミルマルばあさんのところにでも寄ってくか……」
ミルマルばあさんの住む屋敷は、俺とリラの住んでいる屋敷からそう遠くない場所にある。
俺の屋敷と同様に、町はずれにぽつりと立っている小さな屋敷だ。
彼女はその小さな屋敷に一人きりですんでいる。
何を隠そう、彼女こそ、リラにポーションや薬草、調合術の知識を植え付けた張本人。
リラにとってはお師匠さん。俺にとっては、少し離れたお隣さんというやつだ。
目の前に広がるのは、ミルマルばあさんの屋敷に続く庭。
カラフルな花たちがあちこちの花壇から首を伸ばしている。うららかな風にのり俺の鼻先にながれてくる澄んだ香りが心地いい。
庭を突っ切り、屋敷の扉にたどり着くと、俺は軽くノックをした。
ほどなく、中から「はぁい」という柔らかい声と共にミルマルばあさんが姿を見せる。
扉の向こうから顔を出した、ミルマルばあさんは、丸メガネを指でつまんで上に向けると、そのグラスの向こうにある小さな目で俺を見上げた。目じりに刻まれたしわがさらに深く波打った。
「あら、ウルさん。珍しいわね、突然来るだなんて」
「どうも。すいませんね。なんだか急にきちまって」
「いえ、いいのよ」
ミルマルばあさんは突然の来客で驚いてしまったのか、どこかいそいそとした様子で、俺を出迎えてくれた。
室内に足を踏み入れた後、俺は持っていた手土産を差し出した。
「あの、これ。いつもリラがお世話になっているので」
「あら、そんな風に気を遣わなくっても……わたしの方こそリラちゃんが来てくれるのが何よりもたのしみなのだから」
ミルマルばあさんはそう言いながら俺の手土産を受け取り、包みを開くと目を丸くした。
包みの中から出てきた瓶を取り出して、くるりと眺める。
「あら、これは……精油かしら」
「ええ。俺はそういうのに疎くてよくわからんのですが、街の薬草屋でいい香りのするものだからと勧められまして」
「ありがとう。こんなに、高価なものを」
「リラの授業料ってことで……」
「うふふ、じゃ、遠慮なくいただきますね」
ミルマルばあさんは悪戯っぽく笑うと、リラは奥の庭で本を読んでいると教えてくれた。
俺は屋敷をすすみ、奥の庭へと向かった。
言葉通り、リラは奥の庭にぽつんと置かれている小さなガーデンテーブルの前にある椅子に座り、何やら分厚い本を開いて読みふけっている。
俺が「よう」と、声をかけると、リラは大きな目をパッとこちらに向けた。驚いた様子で口を開く。
「え? どうしてウルが?」
「いや、別に。ちょっと買い物帰りに寄っただけだよ」
「ふうん。珍しいね。今日はいい天気なのに、これから雨が降るかもね」
「けっ、ひとを疫病神みたいにいいやがって」
「ふふふ」
リラは小さく笑うと、再び分厚い本に目を落とした。
俺はテーブルをはさんでリラの前の席に腰を下ろした。
テーブルに並んでいた何冊かの分厚い本を一つ手にとり、なんとなくページを開く。
ページ中にぎっしりと古代文字が並んでいる。これは、いわゆる魔術書だ。
俺も紋章師であるから、古代文字は一通り読むことができる。
その本は、手書きの古代文字で様々な薬草の種類や調合方法などが描かれている。
「へぇ……なんだか随分と古典的な本だな。お前、本気で“調合術”を学ぶ気か?」
「あったりまえでしょ」
「でも、たしかミルマルばあさん自身は魔術はあつかえないはず……紋章師ではないんだよな?」
「うん。ミルマルさんの亡くなった旦那様が“匙の紋章師”だったみたい。だから、ここには旦那様がのこした魔術書がたくさんあるみたいなの。それに、旦那様はもと王立宮廷魔術騎士団の人だったんだって……言ってみればウルの大先輩よね」
「なるほど……随分と世代は違うが先輩ってことにはなるな。あ、だからここに描かれているものは少し古いものってことなのか」
俺はリラの言葉に耳を傾けながらも、しなびた本に目を通していく。
何かの図と手書きの古代文字がつらつらと並んでいる。
とあるページに目をとめる。
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ホワイトハーブを使った邪気払い。
耐火性の強い小皿と火を使う。
なお、自然物を使用するとさらに効果が高い。
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「ふうむ。魔術以前に……こりゃ本当に古典的な薬草の使い方だな。ご丁寧にホワイトハーブの部位ごとのニオイの違いまで事細かにまとめられてるぜ。実に、興味深い」
「でしょ。なんだかすごく面白くって。これを書いたミルマルさんの旦那様ってどんな人だったのかな」
「ま、こんな分厚い本を何冊も書いてのこすような奴だ。間違いなく変人だろ」
「ちょっと、ウルと一緒にしないでよ」
「いんや、断言しよう。これを書いた奴は、おれとはまたちがったタイプの変人だ」
その時、すぐそばでクスクスと笑い声が聞こえた。
俺とリラは、パッと本から顔を上げて横に目をやる。
そこには湯気の立つティーカップの乗った盆を片手に、口元を押さえているミルマルばあさんの姿があった。
あ、しまった、今の聞かれた。俺はあわてて謝る。
「あ、ミルマルさばあさん。わりぃ、聞かれちまったな」
ミルマルばあさんはニコニコとしながら首をふる。
「いいのよ。ウルさん。確かにあのヒト、ちょっと変わりものだったからねぇ」
「へぇ、やっぱり」
「ええ。世界中のあちこちを回って色んな薬草を持ち帰って、研究していたわ。そしていくつもの本をまとめていたの。その本を読んでもらえるだなんて、あの人も喜んでいると思うわ」
ミルマルばあさんはそう言いながら、俺たちの前にカップをゆっくりと置いた。ほんのりと赤く波打つ紅茶の湯気。言いようのないさわやかな香り。リラがミルマルばあさんに目をやった。
「ミルマルさん。わたし、この本に描かれている事をすべて実践してみたいの」
ミルマルばあさんは目を丸くする。
「ええ? ワタシにはよくわからないけれど……この土地では手に入らない珍しい薬草もいっぱいあるハズよ?」
「うん、だからわたし、お金をためて色んな国を旅して、いろんな薬草を集めてくるつもり」
「そんなことって……ねぇ、ウルさん」
ミルマルばあさんは、困ったようにこちらに視線を向けた。
俺はちらりとリラに目をやる。
俺に視線を向けたリラの目はこう言っていた。「ウルがなんと言おうと、わたしはやるわよ」と。
ま、別に止める理由もねぇし、好きにしてくれてもいいんだが。
しかし。
「でもよ、リラ。お前、金をためるったってどうすんだよ」
「私ね思いついたの」
「なにを?」
「私ね『冒険者ギルド』に登録するつもりなの」
「は!? はぁああああああ!? お前『冒険者』とやらになるつもりなのか?」
「ええ」
そんな、あほな。