冒険者ギルドポイント
冒険者ギルドを後にし、俺とベルアミはそのままの足で市場区に向かった。
夕飯の買い出しだ。
市場区、目の前には石畳の大通り。あふれんばかりの人だかりだ。
通りの両脇に並ぶ出店から威勢のいい物売りたちの声が響き渡り、男女の笑い声が乾いた空にこだまする。
肩を並べて歩いていたベルアミがふいに、首にかけていた銀のペンダントをきらりとかざした。
「見てくだせぇ、これが『冒険者ギルド証』ってやつらしいですぜ」
縦長の長方形にかたどられたペンダント。その銀に輝く表面にはベルアミの名と、数字が刻まれている。俺はきいてみた。
「お前の名前の下にある、その数字は何なんだ?」
「これがオレの『冒険者ナンバー』ってやつらしいですねぇ。冒険者ごとに振り分けられている識別番号みたいなもんでしょう」
「ふうん……さっき冒険者ギルドの掲示板にあった募集をいくつか見てみたんだが……」
「何か気になる事でも?」
俺は、ぼんやりと思い返す。
「……どの募集にも書かれていた『冒険者ギルドポイント』って、なんなんだ?」
「ああ、あれですかい。さっき受付の時に簡単な説明を受付嬢から聞きやしたが……あれは依頼を成功させた時に、冒険者に与えられるポイントらしいんですよ」
「ポイントがたまると、どうなるってんだ?」
「冒険者ランクってのが上がっていくそうです。俺は登録したばかりだから、一番下のランクなんですがね。依頼を成功させていくとポイントがたまり、冒険者ランクが上がっていくって仕組みのようです。いわば、その冒険者の『信用』を数値化したものって考えれば」
「なるほどねぇ……」
ポイントやランクをつけることで、冒険者のヤル気を引き出そうってのか。
なかなか考えられているな。もしかすると冒険者ギルドの創設者は商人なのだろうか。
ベルアミが続ける。
「それに、冒険者ギルドポイントと引き換えに、様々な特典やサービスを冒険者ギルドから受けることもできるらしいですよ」
「んん……? よくわからんな。貯まったポイントをつかっちまったらせっかく積み上げた信用が減っちまうし、ランクが下がるんじゃねぇのか?」
「そうです。ですからまた信用を積み上げるために依頼をこなしてくってことですよ。あれ、まさか、ウルのだんなも、冒険者ギルドに興味がでてきやしたか。登録待ってますぜ」
「なに言ってんだよ。お前、すでに冒険者ギルドの回し者になってるじゃねぇか」
「へぇ、へぇ、へぇ」
ベルアミはいつものように甲高い笑い声をあげた。
俺たちは、話しながらヒトの波をかき分けて奥へとすすんでいく。買い物をする目的の店は決まっている。俺は、ここだと決めた店以外での買い物はしない主義なのだ。
決まった道で、決まった手順で、決まったものを買う。回り道はしない。
それが俺の性分だ。
だって面倒くさいんだもん。
俺は馴染みの出店の天幕を見つけると、足早にその天幕のかげにすべりこんだ。
夕飯の買い出しが終わり、ベルアミと別れた後、俺は市場区を抜け自宅のある東の郊外に足を向けた。
その途中、大きな噴水広場を通り過ぎようとしたところ。
そこで、なにやら人だかりができているのが見えた。人の輪の中央、大きな男がなにやら騒いでいる。
俺はふと、足を止め、その輪の中心に目をやった。
腹が前に突き出たでっぷりとした大男が野太い声で叫んでいる。
「おい! ガキ! 覚悟はいいか?」
男の声の先、そこには小柄な少年の姿があった。
「あたりまえだ!」
叫んだのは小さな少年。薄汚れたぼろをまとったその少年の頭部からは、小さく曲がった角が後方に伸びている。
犬のように突き出た口元に黒い鼻頭。あの容貌、山羊人族だ。
メェン族の少年は力強い目で大きな男を睨みつけていた。
俺は近くで見物していた野次馬のひとりに近寄り、後ろからこそっと声をかける。
「……おい、どうしたんだい……?」
「……ん? あぁ、いまから、決闘裁判が始まるぜ」
「け、決闘裁判だって……?」
「ああ、なんでもあのメェン族のガキが、あのブタ男の店から商品をかっぱらいやがったらしいんだが、どうしても盗んだことを認めねぇんだよ」
「……だからといって……決闘なんかしたって、あんなガキに勝ち目があるわけねぇと思うんだが……」
「それがな、ガキの方から決闘裁判を申し込んだんだよ、馬鹿なやつだ」
決闘裁判。
罪を問われているものがその罪を否定し、その罪を問うている相手側が納得していないときに行われる裁判。
しかし、当然のことながら、こんな街中で行われるようなものは、正式なモノじゃない。しかし、こうした私的な問題解決方法はいつしか領民たちの間で広まり、今では当然のように行われているのだ。
いま、目の前で行われようとしているのもその一例だ。
ハッキリ言って、これは裁判などではなく単なる見世物という意味合いが強い。
一部の領民達の間に娯楽として広まった、ただのごっこ遊びなのだ。
野次馬の誰かが、男と少年の前に剣を二本、放り込んだ。
足元に転がった剣を、双方が素早く手に取り身構えた。
それを見ていた周囲のやじ馬どもの声が、ひときわ大きく盛り上がる。
あちこちから、争いをたきつけるようなヤジが飛び交う。
「おいおい、マジの剣だぜ!」
「いいぞ! やっちまえ!」
「おい! ガキ! 漏らすんじゃねぇぞ! ぎゃははは!」
「首をかっ切っちまいな!!」
俺はどう考えても分が悪いメェン族の少年に目をやった。
少年のほうから決闘裁判を申し込んだというから、それなりに腕に自信があるのかと思いきや。
「なんでぇ……アイツ、震えてるじゃねぇか……」
メェン族の少年は剣を持ったはいいものの、まるで構えがなっていない。おそらく、剣が投げ込まれるなんてことは予想もしていなかったのだろう。
まるで腰が引けているし、今にも後ろに倒れそうなほどに重心が後方に傾いているのだ。
対する肥満男は、手にした剣をぶんぶんと振り回し、いやらしい笑みを浮かべている。俺はおもわず独り言ちた。
「胸糞わりぃ……こんなの、ただのリンチじゃねぇか」
周囲のやじ馬どもは、まるで流血を期待しているかのように、爛々と目を輝かせている。大きな声で、ふたりをはやし立てている。
その時、少年が剣を振り上げてドタドタと大男に走り寄った。
が、案の定、少年の剣は大男の剣にはじき返されて宙に舞う。
剣を失った少年は、なすすべも無い。しかし、負けん気だけは強いようで、歯を食いしばりキッと大男を見上げた。大男は余裕をもって自分の手にあった剣を地に置くと、少年にずいっと歩み寄った。
「さて、本番はここからだ」
次の瞬間、大男は右の拳を一気に少年の顔にたたきつけた。
鈍い音とともに少年の棒切れのような体はぐらりと揺れた、しかし大男は地に倒れ込もうとする少年を逃がさなかった。少年の胸ぐらを左手でむんずとつかむと、もう一発殴りつける。そしてパっと手を離したかと思うと、次はその丸太のような足で少年の腹を、思い切り蹴り上げた。
少年の体は二つに折れて、少年はそのまま前のめりにうずくまる。
「……ヴヴゥ……う」
声にならないうめき声をあげて、少年は地に額をこすりつけた。
大男は、悠然とその少年を見下ろすと、少年の後頭部に足をのせてギリギリと踏みつける。
そして勝利宣言をおこなう。
「神の審判はすでに下された。オレが勝ったということはオレが正しいという事だ。さぁ、懺悔を聞いていやろう」
「……い、いや、だ……僕は……盗んでなんかいない……あやまるもんか。それに勝負はまだ……ついて、ない」
「何を言っていやがるんだ。すでに勝負はついているだろう」
「僕は、負けを認めて……いないんだ。だから勝負はついてない」
少年は頭を踏みつけられながらも、その小さな手を、男の足に置きぐいっと押し戻した。男は、ペッと少年の頭に唾を吐き「いい度胸だ」と不敵に笑う。
つぎの瞬間、大男は足を振り上げ、ひざまずいている少年の顔を真横に蹴り飛ばした。少年の頭は体からもぎとられそうに大きく揺れる。そして、どさりと横に倒れ込む。
少年の体が、ついに動かなくなった。
かと、おもったが、少年は手を大地に這わせ、再び立ち上がろうとしている。
大男はゆっくりと歩み寄る、そして再び足を上げた。
「……もういいだろう」
俺はそうつぶやくと、野次馬の輪から一歩、前に進む。
大男は俺に気がつくと、足をおろす。ぎろりとこちらをにらんできた。
「なんだ? お前は。このガキの保護者か?」
「ただの通りすがりさ。このガキがお前さんの何を盗んだのかは知らねぇが……これでこと足りるだろう」
俺は、腰に引っ掛けていた小袋から金貨を一枚抜き出し、親指ではじいた。
金貨は回転しながら弧を描きとんでいく。そして、うまい具合に大男の片手におさまった。
大男は金貨をかざして確認すると、ひゅうと口笛を吹いた。
「へっ、まさかこんな乞食のガキの為に本物の金貨をささげるとは。酔狂なやつがいるもんだな。ま、いいだろう」
大男は満足げにそう言うと、くるりと踵を返し、野次馬をかき分けて消えていった。
やじ馬どもは消化不良だといわんばかりの不機嫌そうな目を俺に投げかけて、各々散らばっていった。
「ふぅ……」
俺は足元にうずくまる山羊人族の少年に声をかけた。
「おい。お前が何を盗んだのかは知らねぇが、決闘裁判だなんて、分不相応な事をするんじゃねぇぞ」
「……ぼ、僕は何も盗んでなんか……いない」
「まだ、いうか。まぁ、知ったこっちゃねぇわ。あばよ」
「ば、ばかやろう……」
ばかやろうって。え、なに。いま俺に言ったのか。
俺は我が耳を疑った。もういい年ではあるが、誰かの言葉を聞き間違える程、老いてもいねえつもりなんですが。俺はしゃがみこんだ。そして、今の言葉の真意を聞こうと、うつむいたままの少年の顔を覗き込む。
「ちっ……なんだよ」
俺が覗き込んだ少年の顔はゆがみ、涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。
少年は泣き声を押し殺すためか、自分の腕にかみついていた。
そしてその腕からは血がにじんでいた。
ぐっと閉じた目からは、おさえきれない大粒の涙が次から次へとこぼれ落ちる。
顔のすぐ下の石畳に、少年の涙のしみがくっきりとついていた。
「はぁ……おじさん、いやになっちゃうなぁ」
俺は少年が泣き止むまで、しばらくその場にかがみこみ、じっとしていた。