おじさんは熊じゃないよ?
俺は顔中を真っ赤に染めた小さな男の子と対峙する。
怯えているからなのか怒りなのか、男の子の全身は小刻みに震えている。
俺はナイフをしまうと、両の手の平を開いて見せる。
万歳のように腕を軽く上にあげ、できるだけ優しい声で話しかける。
「とって食いやしない、落ち着けよ……それより足は大丈夫か?」
俺は一番気になっていた男の子の足首に目をやる。
男の子はひざ下までの頑丈そうな革のブーツをはいていた。
俺はすこしほっとした。ブーツは擦り切れているものの、足首自体は守られていたようだ。
あの罠はかなりきつく縛り上げるようにできている。
もろい骨なら勢いでバキッといっちまうくらいには。
男の子は俺の問いには何も答えず、まるで警戒を解きそうにもない。
こちらをにらみつけながらも、少しずつ後ろに下がっていく。
俺の事を巨大熊かなにかとでもおもってんのかコイツは。
そのうち死んだふりとかするじゃないか。
(そうなる前に、とりあえず、警戒心を解かないと)
秘技、餌付け作戦始動。
俺は男の子の動きに気を配りながら、背中の荷袋をくるりと手前に回し、手を突っ込む。
手に触れた乾パンを抜き出して男の子に向かって放り投げた。
男の子は両手を上にあげて見事につかみ取る。
すると、すごい勢いでむしゃむしゃとほうばった。
「おい、お前、何も食ってないのか?」
男の子は俺の存在など気にもせず、どこ吹く風だ。
金の髪はくすんでぼさぼさ、頬も手も泥だらけ。
ダボダボのひざ下丈のパンツは薄汚れてあちこちから下の肌が見えている。
ここ数日体すら拭いてなさそうなほどに、匂う。
それなのに、上から羽織っているブラウスだけが妙に真っ白く光っている。
なんだかありあわせを着たようなちぐはぐな格好。
俺はもう一度たずねる。
「おい、さっきしゃべったんだから、言葉ぐらいわかるだろ。ひとりか?」
男の子から返事をする気配は全くかんじられない。
子供の無視って心に来る。
(ああ、だから子供ってだい嫌い。だ~い嫌い。こんなおっさんにすら、気を遣わせるんだもの)
俺はぶん殴りたくなる気持ちを抑えて、提案してみた。
「おい、俺の家に戻れば食料がもっとあるぞ。くるか?」
「……今ある分、全部ほしい」
「ほ、ようやく口をきいたねぇ。実は今、あんまり手持ちがないんだって、いったん家にこい」
「……いやだ、今ある分が欲しい」
「なんだってんだよ、しょうがねえなぁ……」
俺はひとまず要求をのむことにした。
足元に荷袋をどさりと降ろすと、手を突っ込んで、今ある食料を全部見せた。
乾パン少々、干し肉5切れ、果物2つ。水筒いっぱいの水くらいしかない。
男の子は走りよりそれを受け取ると、大事そうにポケットに入れる。
入らない分は胸に抱えた。
そのまま、後ろの木陰に引っ込んだ。そしてなぜかそこでじっとしている。
その様子を黙ってみていたキャンディが小声で話す。
「……どうするのよ……食べもの全部とられちゃったじゃないの……」
「……ひとまず、いう事をきかなそうなちびっこは置いといて、罠をもう一度設置しなおす作業に入ろう。縄も切っちまったし、意外と設置が大変なんだよなこれ」
俺が罠を設置する間、男の子は木陰から微塵も動かずじっとこちらを見張っていた。
だいたいの作業が終わる頃、俺はもう一度男の子に声をかけた。
「おい、本当に俺の家に来ないのか?」
返事はない。
俺は道具を荷袋につめて背中に抱え上げた。男の子に背中を向け来た道を歩き出す。
キャンディが少し慌てた様子でちいさくつぶやく。
「ちょっと、置いたまま帰るの?」
「いんや。ガキの一人や二人はどうでもいいが、また他の罠にでもかかられると面倒だ。だだ、ガキのほかにもたぶん連れがいるな、こりゃ」
「つれ?」
「そうだ。さっき食いもんを追加でやったのに一切手をつけてねぇ。おそらく誰かのために持ち帰る気だろう。ちょいとこっちが隠れてりゃ動き出すさ」
それにしても子供のくせに相当警戒心が強い。
こんな状況じゃなりふり構わず誰でもいいから助けを求めるはずなのに。
どこかでひどい目にでもあわされたか。それとも何か理由があるのか。
俺はその場を去るふりをして、しばらく歩く。
ちょうど、体がすっぽりと隠れるくらいの倒木の後ろに体を滑り込ませると、座り込んだ。