呪具『魂狩りの小鎌』
「……ウ、ル……サ……マ」
「……まだ意識が!?」
キメラになりかけているヴィデンは、ふらふらとした体で、足元に横たわるリラをゆっくりと乗り越えた。
そして、こちらに、じりじり寄って来る。
体の形はいまだ安定せず、あちこちの皮膚が水膨れのようにふくらんではしぼんでいく。
俺はリラをちらりと見た。気をうしなってはいるが死んではいない。
とにかく、リラから、こいつを遠ざけないと。
白目に血走ったヴィデンの目玉。そのふちから、じとりと涙のような血が滲み出してきた。
俺はゆっくりと後ずさりながら、時間を稼ぐ。俺はヴィデンにゆっくりと話しかける。
「……ヴィデン……お前はまだ、そこにいるのか?」
返事はない。
「ヴィデン……意識をしっかりともつんだ」
ヴィデンは俺の声が聞こえているのかいないのか。
ふらふらと体を左右に揺らしながら、こちらにむかってくる。
身体中のみずぶくれは、破裂と再生を繰りかえし、ぶくぶくと紫色に泡立っている。
べちゃり、べちゃりと、真っ赤な足跡をつけながらヴィデンは来る。
その時、ヴィデンの半開きの口からよだれが垂れた。
低いうめき声に混ざり、ことばらしきものが混ざりこむ。
「……シテ……コロ………シテ……ハヤ、ク……」
その時、ヴィデンの体ががくんと前のめる。そして、顔だけをこちらに向けた。
ヴィデンの白目がグルリと回転し、その裏がわから、黄色い目玉が現れた。
その黄色い目玉は俺をじっと捕らえた。
見覚えがある爬虫類のような無感情の目。
これは、キメラの黄色い目玉。あの魔術陣の中央に開いた、あの黄色い目玉だ。
「まずい」
俺は咄嗟に、右手をヴィデンにかざすと呪詞をとなえた。
「黒の輪」
俺の手のひらから真っ黒の輪がいくつも飛び出し、ヴィデンの四肢に絡みつく。
ヴィデンの四肢に巻き付いた黒い輪がヴィデンの両手、両足を締めあげて、ひとときやつの動きを封じる。
ヴィデンはバランスを崩し、その場に膝まずいた。
そして、苦しそうに前のめりになると、頭を床にこすりつけた。
次に、気でも狂ったかのように、自分のあたまをガンガンと石の床に打ちつけはじめる。
何度も何度も苦悶の悲鳴をあげながら、ヴィデンは体をくねらせて、苦しそうにもがく。床に打ちつけるヴィデンの額から、血しぶきが飛び散り、白い岩肌を真っ赤に塗り替えていく。
「……ダズゲデ……ゴロ、ジ、デグレェェェェ……」
死を懇願するヴィデンのうなり。
もう無理だ、見てられねぇ。
「……待ってろ、ヴィデン。いま、楽にしてやる」
俺は呪詞を口元で小さく唱える。
スキル『呪具耐性』の発動だ。
天地万物 空海側転
天則守りて
我汝の 掟に従う
御身の血をやとひて 赦したまえ
俺は小さく唱えた後、腰にかけていた小鎌に手をのばし、握る。
古びた鉄製の鎌が、怪しく光った。
呪具:魂食いの小鎌
効果:この小鎌をにぎり標的の心臓の上にあてて振りかざすと、魂を狩り取る事ができる。
何ふりかした後、標的は確実に絶命する。
俺は手足を黒い輪に後ろに縛られ、床に何打も頭を打ちつけるヴィデンにあゆみよる。
そして、小鎌を右手に握り、ヴィデンを見下ろした。
「ヴィデン……いいな?」
俺の問いかけに、ヴィデンは頭を打ち付けるのをやめて、すっとこちらを見上げた。
ぎょろりとした黄色い目玉の奥に、かすかに感じたヴィデンの意思。
ヴィデンはゆっくりと頭をもたげて、からだをうえにそらせる。
まるで俺に、その心臓をささげるように。
「うらむのならば……俺を恨め」
俺はヴィデンの心臓に焦点をあてて、魂狩りの小鎌を一気に振り下ろす。
その瞬間。
「……ダメ!!」
俺の目の前に、突如として飛び出してきたのはリラだった。リラは、額から流れる血をそのままに、ヴィデンの前にひざまづく。奴をかばうように、俺に向かって両手を大きく広げる。
そして俺の目をぐっと見据えて、口を開く。
「やめて!」
「どけよ、リラ。こいつは、死にたがってる」
「ダメ……ダメ……ヴィデンさんを殺すなんて絶対にゆるさないんだから」
「リラ……邪魔をするな。こいつはもうヴィデンじゃねぇ、ただのキメラだ」
「そんなことない、何か……助かる方法があるはず」
「あてずっぽうに、無責任なことを言うんじゃねぇ」
「だって……そんなの……いや……」
その時、ヴィデンの大きな毛むくじゃらの頭が、リラのわき腹を押して、リラの体をすっと横に押しやった。その行動は、そこをのけ、と、そう言っているように見えた。
ヴィデンの頭に押しやられたリラの目から、ついに大粒の涙がこぼれおちる。
リラは口元を押さえて、振り返ると、ヴィデンの名を呼んだ。
「ヴィデンさん……わたしの……わたしのせいで……」
リラはキメラになりかけているヴィデンの首筋に抱きついた。
ヴィデンは暴れることもなくただ、じっとしていた。
打ちひしがれる、リラを慰めるように。
ほどなく、ヴィデンはうなだれていた頭をもちあげて、そして牙だらけの口を開いた。唸り声のような濁った声がその口元から響いてくる。
「リラ、サマ……ハナ、レテ」
リラはヴィデンの言葉に素直にうなずいた。
すっと、ヴィデンから体をはがすと立ち上がり、ゆっくりと一歩後ろに下がった。
そして顔を両手で覆い、背を向けた。
ヴィデンはリラにやさしく目をむけると、もう一度俺に体を向けなおした。
「ウル、サマ……リラ、サマヲ……タイセツ、ニ……」
「けっ……お前なんかに言われなくたって、そんなことはわかってら……」
「……モウ……ジブンヲ……タモッテ……イラレナク……ナリ、ソウ……デス……セメ、テ……キメラ、デハ、ナク……ヴィデン、トシテ……シニ……タイ」
「……わかった。お前は、キメラなんかじゃねぇ。お前はヴィデンだ。紋章師、ヴィデン・アードラだ」
ヴィデンの口元が、すこしだけゆるんだ気がした。
「……アナタ、タチ……トハ……ミジカイ、アイダ……デシタ……」
「……ヴィデン。お前の死は……俺が見届ける」
ヴィデンは目を閉じた。そして、最後に、震える声でこういった。
「ウル様、リラ様、どうか……お達者で……」
俺はぐっと唇をかみ、魂狩りの小鎌を、ヴィデンの心臓にめがけて、振り下ろした。