キメラになったヴィデン
魔術陣から降り注ぐ光は次第に輝きを増していく。
その時、魔術陣の中央がぱっくりとワレタ。
そこからぎょろりとした黄色い目玉がのぞく。
その大きな目玉は、真下にいるヴィデンを睨みつけた。
「くそっ!!」
俺は慌てて灯火瓶を放り投げ、ヴィデンのもとに走り寄ろうとするが、魔術陣からのびる光のカーテンに行く手を阻まれた。
「いてっ!」
その光の壁に額をぶつけ、立ち止まる。手でなぞる。そして、何度もたたくがびくともしない。
光に包まれたヴィデンは、ゆっくりと天井を見上げて、つぶやく。
「ウル様……どうやら魔術陣は天井に描かれていたようですね……ぬかりました」
「落ち着いている場合か!! 魔術陣が発動してるぞ!! 早くそこから抜け出せ!!」
「……無理です。おそらく、あれがキメラの錬成陣かと……ウル様、ここは私を置いて、はやくお逃げください。賊がどこかに潜んでいるかもしれません」
「覚悟するのがはやすぎるんだよ、おめーは!! もっとあがきやがれ!!」
ヴィデンと俺を隔てる薄い光の壁を何度もぶったたくが、びくともしない。
まるで分厚い鋼鉄の壁だ。
その時、ヴィデンを囲むように転がっていた魔獣どもの死体がもそもそと動き始めた。そして、ぐらりと浮き上がったかと思うと、一気にヴィデンの体めがけて飛びついた。
ヴィデンは、両手で何とか魔獣どもの死体を押しのけようとするが、魔獣の体はヴィデンにどんどんとのしかかっていく。まるでヴィデンの体を押しつぶし、一体化しようとするかのように。
次の瞬間。
魔獣の死体の一部が、ヴィデンの体にめり込みはじめた。
「ぐううぉおおおおおおおおおおああああああ!!」
ヴィデンの口があり得ないほどに開き、発せられる耳をつんざく雄たけび。
魔獣どもの死体はぐちゃりと押しつぶれ、血と肉がはじける。ヴィデンの皮膚が破れて、その傷口から魔獣どもの肉が、入り込もうと凝縮されていく。押しつぶされていくヴィデンの体中から、血が噴水のようにふき出しはじめた。
床が真っ赤に染まる。ヴィデンの体と魔獣の死体が混ざりあい、徐々に卵のような楕円の肉塊と化していく。
「くそう!これがキメラの錬成術なのか!?」
魔獣どもの死体の隙間、わずかにのぞいていたヴィデンの顔が、徐々にいびつにゆがんでいく。目玉が飛び出し大きくふくらむ。肉の塊が盛り上がり、四本の腕を形作っていくのが見えた。
このままでは、ヴィデンが魔獣どもの死体と合体しちまう。
ヴィデンが、キメラに、なってしまう。
「くそう!! どうすれば!! どうすればいんだ!! ヴィデン!!!」
「ウル!!!」
その時、俺の袖を引いたのは。リラだった。
俺はリラに目をやった。
リラは魔獣どもの死体と合体しようとしているヴィデンを見てつぶやいた。
「……ウル! 魔術を使うよ!?」
「え!? リラ! なんとかなるのか!?」
「わからないけど! 転移術をつかってみる!」
「て、転移?」
リラは右手の人さし指を口元にあて、何かを唱えた。そして、カット目を見開く。
リラの体から黄金の光が発せられ、白銀の髪がふわりと浮いた。
「空間転移」
となえ終えた途端、リラの体が煙のようにたち消えた。
かと思った次、リラの体は光のカーテンを飛び越え、肉塊になりかけているヴィデンのまん前に立っていた。俺は、その場で固唾をのんでリラの行動を見守る事しかできなかった。
「リラ……たのむ……ヴィデンを……」
リラはその肉のかたまりに手をつっこんだ。
そして、魔獣どもの死体に押しつぶされかけているヴィデンのむくれた手を引っぱりだす。そして、しっかりとつかんだあと、ふっと、消えた。
すると、魔術陣の発動が急にとまる。目の前にあった光のカーテンが途端に消えた。
その時、俺のすぐ後ろでどさりと音がした。
俺が振り返ると、そこには横たわるヴィデンがいた。隣にはしゃがみこんだリラの姿。
俺は慌てて、リラとヴィデンに駆け寄る。
リラは肩で息をしながら、俺を見上げてつぶやいた。
「ふぅ……とりあえず……」
俺は思わずリラの肩を抱き寄せた。
「……無事でよかった。すまねぇ。お前を危険な目にあわせちまった」
「ううん、大丈夫。そ、それよりヴィデンさん……」
俺はパッとリラから手を離すと、ヴィデンの方に体を向けた。
ヴィデンは仰向けに倒れている。
気を失ってはいるものの、どうやら息はしているようだった。
羽織っていた青いローブはびりびりに破け、体のあちこち傷だらけだが、なんとか死は免れたようだ。
「とにかく、はやくここからでよう」
「う、うん」
俺は周囲を警戒しながら、ヴィデンの体を自分のローブでくるむと背におぶる。
リラに先導を頼み、急いで地下採石場から抜け出した。
地下採石場から外にでると、俺たちは一旦近くの岩かげにすべりこんだ。
そこにヴィデンを横たえる。
担いできたヴィデンの荷袋をまさぐり、中から傷治癒薬瓶を取り出す。そして、それをヴィデンの横につき添っているリラに手渡した。
「リラ、こいつを飲ませてやってくれ」
涙目のリラはうなずくと、瓶のふたを開けて、ヴィデンの口もとにやさしくあてた。
ヴィデンは目を閉じたままではあったが、弱々しくもなんとかのどを動かした。
ヴィデンの体がうっすら緑色にひかりはじめた。そして、その苦しそうな表情がすこし和らいだ。
しかし、そでもなお、ヴィデンは、まだ目を開きそうにはない。
俺はその場に腰を下ろした。
「ふぅ……なんとか一命はとりとめたが……調査は一旦切り上げて、キメラ討伐部隊と合流した方がよさそうだ」
「そうね……でも、さっきのはいったい……?」
「ありゃ、時限式の魔術陣だろう。魔術陣の中に獲物がはいると自動で魔術が発動するって類のものだ」
「……じゃ、あれを作った術者はこの近くにはいないって事?」
「そのようだ。もしも術者がいりゃ、今頃、俺たちに襲い掛かっているはずだ、しかし……」
あれが、キメラの錬成術か。
あの“キメラの錬成陣”をどこかに作っておくだけで、錬成陣に入り込んだものを半強制的にキメラに錬成していくってことなのだろう。
魔術のくわしい手順は魔術書を読まなきゃわからねぇが、さすがに“禁術”に指定されるだけの事はある。
俺は死んだように眠るヴィデンの顔を眺める。
顔のあちこちに小さな傷が無数についている。
この傷口から腐った魔獣の肉の塊が、からだの中に入り込んでくるだなんて、そうとうな苦痛だったはずだ。しばらくは意識を失っているだろう。
「リラ、とにかく、早めにティアラの率いるキメラ討伐部隊と合流しよう」
俺は荷袋を整理しようと立ち上がった、そのとき。
「きゃっ」というリラの小さな悲鳴が聞こえた。
俺がそちらに目をむけると。
ヴィデンはすでに目覚め、立ち上がっていた。
そして、そのいびつに大きく歪んだ毛むくじゃらの手で、リラの首をつかみ、高く持ち上げていた。
次の瞬間、ヴィデンはその野太い腕を真下に振りかぶり、リラの小さな体を岩の床にたたきつけた。
リラの細い身体はまるで、棒切れのように床に転がり、そのまま動かなくなった。
「ヴィデン、てめぇ!!!」
ヴィデンの顔の右の半分が大きく盛り上がりはじめ、その額から、うっすらと角のようなものが生えてきた。体の右半分だけが、肥大化しキメラに変わりかけている。
まるで半人半獣のような姿になり果てたヴィデンは、苦しそうに舌をだらりと伸ばした。