くらやみの罠 ★
俺たちは、採石場の一番奥、真四角にえぐられた地下入り口へと足を踏み入れた。
しんとした闇の中。
俺はヴィデンにもらった灯火瓶の封をゆるめて、それを片手に、足元を照らしてみた。
「うおっ、すげぇ……これ」
何が凄いって、驚くほどあかるいのだ。
この灯火瓶という魔道具は、宮廷魔術騎士団に入団した際に全員に配られる初期装備ともいえるものだ。
今俺が手に持っている灯火瓶は、俺が宮廷魔術騎士団にいた頃に配布されていた灯火瓶とは比べ物にならない。
大きさこそ同じだが、光の強さと広がりがまるで違う。
俺の手のひらに収まるほどの小さな瓶から発せられるオレンジの光は、先まで伸びて前方数メートル先の床まで照らし出した。俺はヴィデンに聞いてみた。
「ヴィデン。ともしびん、ってこんなに明るかったっけ?」
俺とリラを先導するヴィデンはどこか得意げに振り返る。
「灯火瓶は宮廷紋章調査局の魔道具開発部により改良に改良を重ねられています。ウル様が現役の頃の物とは比べ物にならないほど性能は向上しているはすですよ」
「けっ、まるで俺が古い人間みたいにいいやがって」
「いえ。そんなつもりは」
俺の隣にぴったりと付き添っていたリラが、くすくすと笑った。
「……ウル、言われちゃったね」
「……けっ、ちょっと新しいものを持っているからってなんだってんだ。俺は古き良き時代の人間なんだよ。それに、俺が集めている“呪具”ってのは年代ものの方が価値があったりするんだからよっ」
俺は腰ベルトに引っかけている小さな鎌を指さした。リラはそれを不思議そうにながめて口を開く。
「なんだか古びた道具ね……」
「一見すればただの古びた鎌だ。だが、こいつは強烈な呪具なんだぜ。新しいものだけが良いものだとは限らないってこった」
これは『魂狩りの小鎌』と呼ばれる強烈な呪いのかけられた呪具なのだ。
この小さな鎌を標的の心臓に対して振りかざせば、相手の魂を削り取る事ができる。
立て続けに何ふりかすれば、標的はそのうちに死に至る。
いわば死の宣告を行う呪具なのだ。
こんな奇妙な道具は、いくら宮廷紋章調査局でもつくれねぇはずだぜ。
俺たちはオレンジに輝く灯火瓶を軽くかざして、暗闇の道を進んでいく。
まるで闇という巨大な魔物の腹の中に飲み込まれちまった気分だ。
ゆっくりと慎重に前を進むヴィデンが、ふとたずねてきた。
「ウル様は、リラ様の焼き菓子を食べたことがあるのですか?」
「は? なんだ急に」
「いえ。先ほどの道中でお話している際に、リラ様は焼き菓子をつくるのがお好きだときいたもので」
「なんでぇ。お前さん達、そんな話をしていたのか」
「ええ。私は大の甘党なものでして……この旅が終われば、リラ様が私に焼き菓子を作ってくださると約束してくださいました」
「かぁ~、リラ。お前、ヴィデンを屋敷に招くつもりなのか?」
俺の問いかけにリラは答える。
「いいでしょ?」
「ま、すきにしろよ」
「やった。じゃヴィデンさん、今度うちの屋敷に遊びに来てくださいね」
周囲に響くのは俺たちのそんな他愛のないやりとりと、床を蹴る硬い足音のみ。
その時、ふっと空気が軽くなり視界が開ける。
どうやらようやく長い廊下を抜けて、大きな空間にたどりついたようだ。
ヴィデンがこちらに振り返った。
「ここが最深部のようですね」
オレンジの光に照らされたヴィデンの顔がこちらに向いた。
俺は軽く周囲を見渡すが、だだっ広いだけで何もない。ところどころに、古びた燭台がたっている。忘れ去られ、ここに捨て置かれたのだろう。湿りけを帯びたかび臭い空気の中、妙なにおいが入り混じる。俺はブルりと肩を震わせた。
「きみわりぃ。さっさと調べてずらかろうぜ」
「ええ。そうですね。何もなければ、長居は無用です」
俺たちは手分けをして魔術陣らしき痕跡がないか調べる。手にもつ灯火瓶で床を順に照らしていく。しかし目に映るのは、埃っぽいデコボコとした石床だけ。時々、光に照らされるものといえば、錆びた何かの道具や、薄汚い布切れ、腐った木片くらいだった。
俺はふと顔を上げて、少し先で腰を曲げて床を調べているヴィデンにたずねる。
「よう、ヴィデン。何か見つかったか?」
「いえ。なにも。ここにはもともと何もなかったか、それともキメラを錬成した連中はすでに去っているか、ですね」
「巨大な魔術陣をさっさと消してズラかったってのか?」
「キメラの錬成を行うような連中です。間違いなく魔術の扱いに長けた紋章師たちでしょうから。それなりに色々と予測して行動しているはずです」
「たしかにな……」
俺はふと思い出した。
ここに来る道中にみた、巨大な木にはりつけられた血塗りの魔術陣の事を。
あれは、いったい何だったのか。
今回の一件とは関係がなかった、といえばそれまでだろうが。
俺は気を取り直して、もう一度、床を照らしながら歩を進めた。
床をくまなく調べるが何もない。そろそろ飽きてきた。俺は、ヴィデンの方になんとなく視線を向けた。
その時、違和感。
____?
ヴィデンの体がうっすらと光っているように見えた。一瞬、奴の手にもっている灯火瓶の光かとも思ったが、どうにも色合いがちがう。
俺はヴィデンに声をかけた。
「おい、ヴィデン、お前……なんか、へんだぞ?」
ヴィデンは「え?」と俺の声に腰を上げると、不思議そうにこちらに顔を向けた。ヴィデンをつつむ宮廷紋章調査局の青いローブが、なぜか白く輝いているように見える。
やっぱり、なにかが変だ。
俺がヴィデンにちかよろうとしたとき。
____ドサリ
と、俺の行く手を阻むように、大きな黒い影が床に転がった。
俺たちはその黒い影をはさみ、互いの顔を見合わせた。
そしてほぼ同時に、その黒い影に互いの手にもっていた灯火瓶を差し当てる。
その黒い影は、首のない何かの魔獣の死体だった。
毛むくじゃらの体から、太い四つの足を生やしている。
俺たちは、突然の出来事に状況がよくのみ込めず固まってしまった。
すると。
____ドサリ
____ドサリ
まるで、ヴィデンをとり囲むように、あちこちに黒い大きな影がおちてくる。
なんだこれは。
上から魔獣の死体が雨のように降ってきている。
俺たちは慌てて天井を見上げた。そして、灯火瓶の光をそこに向けた。
オレンジの光に、照らされた天井が露になる。
その、まっ平らな天井に、血のように赤い古代文字で描かれた大きな正円の魔術陣。
そして、その形状から推測するに、ヴィデンはその魔術陣のちょうど真下にいる。
いま、まさに魔術陣の中央にあたる場所にヴィデンは立っていた。
俺の口から「まずい」と、言葉が漏れた、と同時。
その魔術陣が一気に光を帯びた。
魔術陣の円形に添った光の柱が下にパッと、一気に伸びた。
そして、その場に転がっている魔獣の死体とともにヴィデンをその光の中に閉じこめた。