血塗りの魔術陣
俺たちは、洞窟のなかで一晩過ごしたんだっけ。
俺の隣には、マントにくるまってすやすやと眠るリラの顔。
俺は、リラを起こさないようにゆっくりと立ち上がると、浅い洞窟からぬけだした。
パッと開く山沿いの視界。俺は新鮮な空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
「ぷっはーーーーっ、すがすがしい」
緑の葉が、もやになでられ、キラキラと輝いて見える。
その時、近くでガサリと音がした。俺が目をむけると、ヴィデンが山道の草を踏み分けてこちらに歩いてくるのが見えた。
「ウル様、随分と早起きですね」
「俺は、あんまり眠らいないタイプなのでね。てか、お前さんのほうが早起きじゃねーか」
「少し周囲を見てきましたが、気になるモノを見つけました。こちらへ……」
俺はヴィデンに付き従い、少し歩いた。
ヴィデンは大きな木の前に立ち止まると、その曲がりくねった太い幹を指さす。
見た途端、俺の背筋に悪寒がはしる。
「な、なんでえ、こりゃ!?」
そこには四角の巨大な羊皮紙が垂れ下がっている。
その表面には赤い文字で何かの図形と古代文字。
赤い文字は下に流れた後がある。が、すでに乾いているようだ。
俺はそばにより目を細めてながめた。
「何かの血で書かれているな……キミがわりぃぜ……」
「……魔術陣の一部でしょうね。古代文字で何かの祝詞(呪文)が書かれています。……ウル様は何かわかりますか?」
俺は円形に沿って並んでいるその古代文字を眺める。たしかに何かの魔術の為のものだが、正直よくわからない。
俺は視線をヴィデンにもどす。ヴィデンは渋い表情でその羊皮紙を見上げている。
俺は正直に伝える。
「わりぃな。俺には、よくわからん。剥がして持っていくか?」
「いえ、ひとまず、このままにしておきましょう。何か意味があるのかもしれません」
「……ま、お前さんがそういうならば、そうしよう」
俺とヴィデンは、その怪しげな紙切れをそのままに、一旦洞窟に戻ることにした。
さっきの洞窟に入り込むと、奥から、香ばしいにおいが漂って来る。
俺達が焚火の場所まで戻ると、リラが焚火前に座りこみ、なにやら手をせわしなく動かしている。焚火の周りには、串に刺さった、ブロック肉がならぶ。
朝から焼いた肉かよ、お口がお上品な俺はパスだ。
「おう、リラ。お前、朝めしの準備をしてくれていたのか?」
「うん。洞窟のすぐ外に丸々した”マリモトカゲ”がいたから、つかまえたの」
それを聞いたヴィデンが目を丸くした。
「あの、すばしっこい、マリモトカゲを捕まえるだなんて。リラ様は狩りもお上手なのですね」
「えっへん。なにせ、ウルの助手ですから」
「これは、これは……おみそれしました」
俺はリラをチラと見る。リラは俺に向かって、小さく舌を出した。
こいつ、マリモトカゲを仕留めるのに、魔術をつかいやがったな。
だがまぁ、ヴィデンの前では使うな、という約束を破ったわけではないか。
俺たちは焚火の周りに腰を下ろして、串にささった肉をくるりと裏返しながらまんべんなく火を通していく。
リラがガサゴソと後ろの荷袋をまさぐっていたかとおもうと、手のひらサイズの小さな壺を取り出した。
それを見ていたヴィデンが、興味深そうに聞いた。
「リラ様、なんですか、それは?」
「私がつくったお肉用の特製たれです。お肉につけるとすんごくおいしいんですよ。ええっとね、黄金玉ねぎと草ニンニク、それに七色生姜をすりおろしてコトコト煮込んでね、お塩と胡椒で味をととのえて……」
「へぇ、リラ様は狩りに、料理に、なんでもできるのですね」
「えっへん。ウルの助手ですから」
ヴィデンはくすっと笑った。
あら珍しい。無表情なヴィデンが笑うとは。
こんがりと焼きあがった肉にリラが特製のたれを刷毛で塗りこむ。
肉のニオイに加えて、つんと鼻をくすぐる草にんにくの香り。
あんまり、食欲はないものの、俺はひとまずその肉をかじってみる。
とたん、肉汁がしみだして口の中に広がる。
「うおっ、やっぱうめぇな。マリモトカゲは。火であぶって食うのが一番だな」
「おいしいのは私のタレのおかげよ」
「はいはい、さようでございますね。料理長様」
「わかったのなら、よろしい」
俺の隣で黙々と肉を噛んでいたヴィデンがふいに口を開いた。
「ウル様。お聞きしてもいいでしょうか?」
「ん? なんだ?」
「ウル様は、マヌル領のギージャ村のご出身でしたよね」
「え? 俺は……」
と、言いかけていったん口を閉じる。
そして、頭を冷やす。
そうだ、俺はマヌル領のギージャ村の孤児という事になっていたんだったっけ。
最近、俺の身の上なんて聞いてくる奴がいなかったから、あやうく口を滑らせるところだった。くわばら、くわばら。
七大貴族べリントン家の次男である俺は、公式的にはすでに死んでいることになっているのだ。
「ん、あぁ、そうだな。俺はギージャ村の出だ。そしてマヌル領の宮廷魔術騎士団に入団した」
「その後、ウル様は、その魔術の才能を買われ、王立宮廷魔術騎士団へ引き抜かれたと聞いています。しかし……ウル様はほどなく王立宮廷魔術騎士団を退団されたと聞いています。それは事実なのでしょうか?」
「はぁ? 質問のいみがよくわからんな。それが嘘だとでも言いたいのか?」
「いえ。そういうわけでは……王立宮廷魔術騎士団は紋章師になるモノならば、ある意味憧れの部隊です。それを蹴るなどと、よほどのことがない限りは……」
よほどの事ね。
俺が、事実を言えば、コイツは納得するのだろうか。
当時の王立宮廷魔術騎士団の総帥はアルグレイ・べリントン。
つまりは現国王である俺の父親の前職。
ようするに、俺を王立宮廷魔術騎士団に引き入れたのは、俺の父だったのだ。
一度は王都で頑張ってみようとも思ったが、無理だったんだな、これが。
「大した理由なんてねぇさ。最初にいったように、俺はただ、ゆっくり暮らしたかっただけさ」
「……そうなのですね」
どうにもヴィデンの表情がさえない。
「どうしちまったんだ? 何か悩み事でもあるのかよ。お前さんのいる宮廷紋章調査局なんて、俺の身分よりもさらに上だろうに。紋章師の上澄みの、上澄み。本当に一部のエリートじゃねぇか」
「それが問題なのかもしれません。今回のこのキメラの錬成騒動の根本として……」
「どういう意味だ?」
ヴィデンは手に持っていた肉の串を焚火にかざしながら話す。
「ウル様、今の我が国のこの体制に、異を唱える者、つまり反乱分子が少なからず存在することはご存じですよね?」
「まぁな。そういう連中が今回のキメラ錬成騒動の首謀者なのだろ?」
「私はそう思っています。具体的に誰なのかというところまではまだわかりませんが。実際に今回、首謀者として疑われているマヌル家にも、それなりに疑われる理由があったりします。彼らはいま……」
「悪いな、ヴィデン」
俺は言葉をかぶせて、強引に話をさえぎった。
馬鹿者め。
コイツ、気を抜きすぎだ。
俺が、まだ王立宮廷魔術騎士団の人間だとでも勘違いしているようだ。
それに、リラの前でそんな物騒な話をしてもらっちゃ困る。
俺は肉をちびちびかじりながらヴィデンに告げる。
「ヴィデンよぉ。俺はもうこの国のゴタゴタとは全くかけ離れちまっている身だ。世間のながれもよくはしらねぇし、いまさら、興味もねぇ。そんなことはお前たちで勝手にやってくれ。俺はカネもうけできりゃ、それでいいんだから」
「……あ、失礼しました……つい」
ヴィデンは気まずそうにそういうと、再び肉を噛みはじめた。