メンヘラ・ティアラ
俺は仕方なく、釣りを切り上げて自宅の屋敷に戻ることにした。
その道中、リラはずっと俺を非難していた。
やれ、こんなに丁寧な人にあんな失礼な態度をとるな、だの、お客さんを大事にしないと、だの。
まるで子供をしかりつけるような物言いだ。
しかし。
どうにも、いつもよりもリラの言葉にトゲがあるのは俺の気のせいなのだろうか。
それとも、このルギルテという男のなせる業か。
隣を歩くルギルテは見上げる程に背が高い。真っ黒の髪をなびかせて進む姿はまるで動く彫像。
透き通る白い鼻筋、二つの目は切れ長でありながら鋭すぎず、どこか愛嬌を感じさせる。奥二重のまぶたのせいだろうか。
ルギルテのこの容姿。女を味方につけるには十分すぎるほどだ。
まるで美の暴力。
同じ男にとっちゃあ、強烈なパンチだ。しかし、女にとってはハートを射抜く一撃となろう。
リラの奴、惚れちまったんじゃねぇだろうな。
けっ、それにしても、こんなイケメンに隣に立たれると、俺がみすぼらしい脇役に見えちまうじゃねぇか。
ほどなく着いた。
俺たちが屋敷の前まで来ると、屋敷前の木に、漆黒の毛並みの大馬が二頭、つながれているのが見えた。
はて。
俺は隣を歩くルギルテを見上げる。
「おい、ルギルテ。お前さん、一人で来たわけじゃねえのかい?」
「はい。わたくしは上官のお供としてまいりました。上官はウル様のことをよくご存じだとか」
「俺の事を知っているって? そいつの名は」
「はい。マヌル領宮廷魔術騎士団のティアラ様です」
「ティアラ……え? ティアラって、あの、ティアラ?」
「……どのティアラでしょうか?」
「ティアラっていったら、あのティアラしか思い浮かばんのだが! まじであいつなのか?」
「さぁ……わたくしとしては、ティアラ様といえば、知る限りそのお方しか存じ上げませんので……なんとも」
まずい、まずいぞ、これは。
ルギルテ、こいつ、嘘ついてんじゃねだろうな。
ティアラに言いくるめられて、国王の命令だとか何とか吹き込まれて、俺を無理やり連れ戻しにきたんじゃねぇだろうな。
いや、さすがに、あの頃からは随分と月日が経っているから、もしも俺の知るティアラといえど、それなりにまともにはなっているのかもしれない。
その時、俺の耳元で声がした。
「……うーるーさーまー……」
北風のように、ひんやりとするその声。
間違いなくあのティアラの声だ。
俺はビクンと立ち止まり、前を見たまま答える。
「よ、よお……ティアラ、久しぶりだなぁ」
「ひゃくー、にじゅうー、はちー……」
ぼそっとしたティアラの声。
数字のように聞こえたが、その意味がよく分からねぇ。
俺は聞き返す。
「へ?」
「128通です」
「な、なにがだ?」
「うふふ、わかっているでしょう。ウル様。わたしがあなたに出したお手紙の数です」
「ひっ……そ、そうだったっけ……は、ははは……」
「うふふ。わたしの恋文、128通にたいして、ウル様が返してくれたお手紙は1通でしたわね……」
ティアラの声が深く響く。
ティアラは後ろから俺の耳とで、ささやき攻撃を続ける。
「でも、いいんですのよ。わたしの手紙128通に対してウル様のお返事が1通。これってわたしの愛がウル様の128倍もつよいってことの現れなんですから……そうでしょう、ウル様?」
「あ、ははははっはあ、そ、そそ、そうだな。ん? いや、そ、そうなのか?」
「うふふ。とにかく、ウル様、おさがしするのに苦労しましたわ。まさかべリントン領にいらっしゃるだなんて。それに、こーんな町はずれの屋敷にすんでいるだなんて。でも……お元気そうでなによりですわ」
「そ、そういう、お前も、元気そうでなによりだ」
「ウル様、すこし気になるんですが……そのかわいらしい女の子は、まさか、ウル様の?」
俺はちらっとリラをみる。
ここで、そうだと言ってしまえばいいのか。
それとも、そういうと俺の身に危険が生じるのか。
このメンヘラ女の行動は読めない。
ああああああ、こわいよ、僕ちゃんコワイ。
その時、俺の代わりにリラがど直球で答えた。
「あの……わたし、ウルの、子供ではないですよ」
その言葉にティアラの声が少し和らいだ。
「ほんとに?」
「はい」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに」
「ほんとのほんとの、ほんとに?」
「ほんとのほんとの、ほんとに」
「……その汚れなきまなこに嘘はなさそう……こんなにかわいらしいお子がいらっしゃるのでしたら、わたしも、もうすっぱりとウル様の事をあきらめようかとも思いました。けれども。まだ、チャンスはあるのですね」
「はい、だから思う存分にどうぞ」
あああああああ、リラ、その答えは間違っている。
ティアラを焚き付けてどうすんだよ。
リラのバカ。あんぽんたん。
その時、俺の後ろの気配がすっと消えた。
こほん、とせき込む声。
「さ、ウル様。突然の訪問で申し訳ありませんが、すこしお話したいことがございますの。よろしいですか?」
俺はゆっくりと振り返る。
そこには、あの頃の面影を残しつつも、すっかり大人になったティアラが立っていた。
宮廷魔術騎士団の真っ赤な制服を羽織ったティアラが。
ティアラは、すこしはにかんだ。
「ウル様、ご機嫌麗しゅう」