新種のキメラ
さてさて。
しばらくは、ウルの幼少期の頃のお話でしたが。
ふたたび、おっさんに戻ります。
時は流れて、十数年後。
おっさんになったウルの視点へと・・・・・。
ではでは・・・。
新緑鮮やかな森の奥での渓流づり。
これが、俺が最近はまっている、癒しだ。
ひと気のないひっそりとした小川の前に無心で佇んでいると、そのまま自分が川と一体になったような気分にひたれるのだ。
さらさらと、光を弾く小川を眺め、つり竿をゆるくしならせる。
俺は呪いの紋章師ウル。
わけあって貴族家を追われて、ふらふらしている独り身のアラサー男だ。
時々俺のもとを訪ねてくる客の呪いを解いて、金を稼ぎ、こうして勝手気ままに暮らしている。
「……嗚呼、ひとりって、さいこー……」
その時、俺のひとりの時間をさえぎる声。
リラの声は、どこか不服そうだ。
「ねぇ、ウルったら。いつまでやってるの。もうお昼過ぎだよ。市場に行けばお魚なんていくらでも売っているじゃない」
俺は振り返らずに答える。
「か~っ、そういう事じゃねぇんだよな~」
リラがすっと俺の隣にしゃがみこんだ。
白銀の髪に薄く輝く黒い肌。とがった耳を持つダークエルフ族のリラが、俺の今の同居人だ。
昔、ちょいとコイツの呪いを解いた縁で、今は一緒に暮らすようになっている。
外見こそ、かわいらしいが、こいつはとびぬけた魔術の才覚の持ち主。
それこそ、一瞬でこの目の前の小川を干上がらせることもできるほどの、恐ろしい小娘なのだ。
つり竿を握る俺の隣。リラは、何も言わずにキラキラ光る水面をじっと見つめている。
そのまましばらく、心地よい沈黙が流れた。
どれくらい経ったか、ふいにリラが口を開く。
「ウルってさ、つりが好きな割には、あんまり……」
「おっと、俺の悪口はそこまでだ。リラ、帰りたいんなら先に家に帰っててもいいぞ、せめて二匹はつって帰るようにするからよ」
「は~い。期待しないで待ってま~す」
「おまえよぉ……俺を見くびってると……」
____ザリッ、ザリッ
川べりに転がる石を踏みつけるかすかな音。背中の方から響いてくる
リラがつぶやく。
「……ウル、お客さんみたいなの……」
「リラ、お前それを伝えに来たのか」
「うん。真っ赤なマントを羽織った、背の高い男の人だよ」
「……まさか、宮廷魔術騎士団か」
「そうみたい」
「はぁ……こりゃまた、厄介な客だな」
案の定、ひそかな足音が、こちらに徐々にちかずいてくる。
そしてほどなく、とまる。
男の低い声。
「あなたが、ウル様ですね。さがしました」
男の声はどこか控えめに響いた。
俺が振り返らずに、そのまま黙っていると男は続けた。
「もと、マヌル領宮廷魔術騎士団、キメラ調査・討伐部隊師団長、呪いの紋章師ウル様、で間違いはないでしょうか?」
そのながったるい肩書をきいて、反応したのは俺ではなく、リラだった。
リラは顔をこちらに向けて俺に問いかける。
「ウル、何の事?」
その声に、かすかに驚きが含まれている。
無理もない。リラには“そんなこと”は一切話してはいなかったのだ。
だというのに。この男はべらべらと。初対面から余計なことを。
俺はリラにむかってぼそりとつぶやく。
「……人違いだろ」
「でも、呪いの紋章師ウルっていってるよ?」
「ウルなんて名は、この国じゃ珍しいもんでもねぇよ」
「もう……そんなことばっかり言って……」
リラは俺の態度に耐えかねたのか、急にたちあがる。
そして、俺の代わりに振り返り、男に挨拶をした。
「あ、こんにちは。すいません。お客様……ですよね」
男はリラと会話をはじめた。
しかし、その声は明らかに俺に向けられている。
「このような場まで押しかけて申し訳ありません」
「いえ。いま、この人、ちょっと釣りの最中で……っていっても朝から一匹も釣れてないんですけどね」
「そうなのですね。釣りは簡単なように見えて難しいですから。わたくしも、釣りは好きですよ」
「へぇ、釣りなんかのどこが……あ、いえ、そ、そうなんですね。あははは……」
けっ、リラの奴。妙に態度がぎこちないな。
俺は背中のまま男に告げた。
「あのよ。どこの誰だか知らねぇんだけど。ひとに名前を聞くんだったら、まず自分から名乗るのが筋ってもんじゃねぇのか? つりの最中に来て、いきなり人様の素性を確認するだなんて、無礼にもほどがある。お前さんは、生まれてこのかた、礼儀作法っちゅうもんを学ばなかったのか?」
男の慌てたような声。
「あ、も、もうしわけありません。わたくしはマヌル領宮廷魔術騎士団、双剣の紋章師、ルギルテと申します」
「あっそ」
しばしの沈黙。それに、耐えかねたように、ルギルテの困惑した声。
「あ、あの……」
「見ての通り、今は、つりの最中なんだ。わるいが後にしてくれねぇかな」
「……し、失礼しました。わたくしとしたことが、急いでいたものでつい……しかし、今回の依頼はエインズ王国、国王様からの命令でおたずねしておりまして、できれば早急におはなしを……」
俺の釣り竿がぴくんと触れる。
国王。
だと。
おいおい、エインズ王国の国王といえば、アルグレイ・べリントン陛下。
それって、つまりは、俺の父。俺をべリントン家から追い出そうとしたばかりか、命まで取ろうとした、その当人。
釣竿の先っぽから、つたわる重みが、増してくる。
それはどこか不吉な調べ。
次第に、つり竿の糸がピンと張りつめる。
今、俺の後ろにいるルギルテと名乗る男。
コイツの依頼はいったいなんだ。俺は汗ばんだ手でつり竿をぐっと引き絞る。
そして、問うた。
「国王からの依頼ってぇのは、一体……なんだ?」
「はい。新種のキメラが発生したのです」
「新種の……キメラ、だと……」
「はい。その調査の依頼を、もとキメラ調査・討伐部隊を師団長として率いていたあなた様に……」
「……あ、しまった」
緩んだ手から釣竿がするりと抜け落ちた。
手から落ちた竿はそのまま、カラカラと引きずられ、川に誘い込まれていく。
俺は、慌てて竿をつかみ上げたが、その時にはすでに、獲物の手ごたえはなくなっていた。
「あぁ……くそっ、にげられたか……」
俺はため息をついて振り返る。
そこには片膝を地につけ、丁寧にからだを折りたたんだ大きな男の姿があった。
こうべを垂れたその姿。
なるほど、リラの態度がぎこちなかったのはこのせいか。
こんな態度をとられたんじゃ、話しにくくて仕方ねぇ。
どうにも、こざかしい野郎だ。
ルギルテは、うつむいたまま話す。
「師団長様、どうかお話だけでも……もしもすぐには無理でしたら、このまま、ここでこうしてお待ちいたします」
「はぁ……よしてくれ。それに”もと”が抜けてるよ。”もと”師団長だ」
「はい。申し訳ありません」
リラはほほを膨らませて、俺とじっとみていた。
「おおこわ、はいはい、話を聞けばいいんでしょうが」