キメラ襲来!!
ふと、目が覚めた。
視線の先にあるものは、薄暗い宿屋の天井。
静まり返った部屋にひびくのはシールズのいびき。
まだ朝にはなっていないようだ。
いつもの、あの“白い部屋”の夢を見ていたような気がするけれど。
どうにもはっきりとしない。
しばらく目を閉じてみたけれど、眠れそうにない。
「はぁ……妙に目が冴えちまったな……」
俺は仕方なくベッドから抜け出す。
つま先でたち、足音を立てないように窓際に近寄り、静かに窓をひらく。
そして、裸足のまま、ベランダにでた。
「うおっ、さむっ……」
俺はブルりと肩を震わせ、両手で肩を抱き込みさする。
目の前に広がる湖のせいか、夜風のなかに湿気が混ざりこみ、肌に冷たく吸いついてくる。
昼間とは違い、夜の湖というのは真っ黒で、とても不気味に見えた。
その時、どこか遠くのほうから風に混ざって何かが聞こえる。
俺はふと視線を右に移す。
湖沿い。向こうの方まで家々が並んでいる。
さらにその先、ひときわ高い建物が月明かりに照らされてくっきりと浮かび上がる。
青白く光るその建物から、煙が上がっている。
「……ん?」
たしか、俺たちをここまで運んでくれた荷馬車の馭者が言っていたっけ。
この街の奥にある一番高くて大きい建物は教会だ、と。
だとするとあれが教会だろうか。
俺は、目を凝らしてじっと焦点を合わせた。その時、月明かりとは別に、教会を下から照らすように真っ赤な光がまたたいた。つぎに炎がたちのぼり、それと、同時に。
____ズズズズズゥウン
と地響きが足元から這いのぼる。
これは、なにかまずいことが起きている。
直感的にそう悟った俺は急いで皆を叩き起こし、装備を整えて宿を出た。
俺たちが、はや足で教会に向かう道すがら、教会の方から町の人々らしき影がこちらに向かって走ってくるのが見えた。みな着の身着のままといういで立ちで、息を切らしている。
中には小さな子供をその腕に抱えている人もいた。
俺はその中のひとりの男に声をかけた。
「あの、すみません、教会で火事か何かがあったんですか?」
その男は立ち止まり、息を切らしながら言った。
「はぁ……魔物だ、魔物が……町に、現れた……はぁ」
「魔物!?」
「そうだ。あんな不気味な魔物は見た事がねぇ、で、でっかい目玉の魔物だ」
「目玉の……? まさか、あのキメラが……町に?」
「お前たちも早く町の反対側に逃げろ、いま傭兵たちが、なんとか魔物を教会へ追い込んでくれているが、まだ数匹いるらしいぜ」
男はそう言うと、汗をぬぐい、あわてて走り去っていった。
それをきいていたバルトロスがつぶやく。
「目玉の魔物だと……まちがいない、あのキメラの事だ」
バルトロスはそういうと、俺たちを押しのけて、突然走りだした。
引き留めようとする、俺たちの制止も聞かずに一人で先へ先へと。
シールズの戸惑った声。
「どどど、どうするのさ。あんなキメラが数匹もいたら、ボクたちの手にはおえないよ」
ファイリアスがその言葉に応じる。
「そ、そうだ。今回の俺たちの作戦は貨物部隊の護衛だぞ。キメラの討伐じゃない。それにあのキメラは、宮廷魔術騎士団でもてこずる相手のはずだ」
「だだ、だよね。こ、ここは傭兵団にまかせたほうが……」
そのやりとりを、リリカが強引にさえぎった。
「あのね、そんなこと言ってる場合なの? バルトロスが向かったのよ。わたし達もいかないと」
俺はリリカに同意する。
「そうだ。バルトロスは……キメラを憎んでいる。あいつは、止められない。止められないならば、共に戦うまでだ」
俺たちは再び教会を目指した。
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町の家々を抜けて大きな通りに出ると坂道が続いている。
その先、なだらかな丘の上にこの町の教会は立っているようだ。
教会まで続く道端に数人の人影がちらほらと。
仰向けに寝そべる者、座り込んでうなだれている者、様々だ。
よく見ると、さっきまで道ですれ違っていた人たちとは違い、みな武器を持っている。
どうやら、ここにいるのは、みな傭兵団の連中のようだ。
俺は傭兵団の一人にかけより、膝をついて確認する。
その男はかおをゆがめて右肩をおさえている。見ると、右肩には血がべっとりとついていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「な……なんだ、お前らは……ガキは早く逃げろ」
「俺たちは、紋章師です」
「紋章師だと? あぁ、例の護衛か……とすると、さっきガキが一人、教会に向かったが、あいつも紋章師だったのか。と、とにかく、早く行ってやれ。いくら紋章師と言えども、さすがにあのキメラは手ごわいぞ……」
「わかりました。とにかく、これをのんでください」
俺は腰に巻いているツールポケットから傷治癒薬瓶を取り出して、封を開ける。そして、男に手渡した。男は顔をあげると「あ、ありがてぇ……」と言いながらその緑色の薬を一気に飲みほした。
男の体の内部からうっすらと緑の光があふれだし、ほどなくすッと消え去った。
男は少し痛みがひいたようで、一息ついて話した。
「……俺にそんな大事な魔道具を使っちまいやがって。傭兵団でも何匹かキメラを倒したが、まだ数匹は残っているはずだ。特に教会の中に逃げ込んだ奴はひときわでかい、気をつけてくれ……」
「はい」
俺たちは男をその場に残し、教会へと向かおうと立ち上がった。
その時、道をふさぐように現れた黒い影。
「キメラ……」
鈍い緑色の球体の体。そのあちこちから、無数の触手が伸び縮みしている。
その触手を足がわりにして、移動しているようだ。
球体の中央には無機質な目玉がぎょろりと光る。
そして、その目玉の下。
肉の裂けめのような大きな口がぱっくりと開いている。その牙から、真っ赤な血が滴っている。
キメラの口の両端が、ぐにゃりと上にまがった。
「……こいつ、笑っていやがる……」
俺の言葉に反応したのか、突然、キメラがこちらに突進してきた。
同時に、あっという間に何本もの触手が、眼前に迫る。
その触手が、俺の首に絡みつこうとした瞬間、触手は俺の目の前でバチンっとはじかれた。
背中からシールズの声。
「ウル! 防御はボクが! ……光の盾!」
俺の体の前に、うっすらと光る壁が浮き上がった。これは、シールズの作り出した盾。
キメラは一瞬ひるんだように見えたものの、すぐさま新たな触手を繰り出してきた。
しかし、俺たちの頭上からその触手めがけて閃光が落ちる。
鋭いイカズチの連撃。黄色い光は触手を次々と打ち抜いていく。
イカズチに触れたとたん、触手はバアンとはじけ、ぶざまに飛び散った。
いまのはリリカの雷撃だ。
キメラは触手を引っ込めると、分が悪いと踏んだのかすばやく後ずさる。
「逃がすかよ!」
俺は、右手を素早く前にかざして、すかさず呪詞(呪文)を黙唱した。
一息で唱え終わると右手を大きく開く。
「呪いの鎖!」
俺の手からうきあがる、真っ黒の鎖。それらは、いっきに伸びてキメラの体の下に生えている触手をまとめて締め上げた。鎖は触手に何重にも巻きつく。
下部の触手を巻き上げられ、動きを封じられたキメラはその口を大きく開く。そして、雄たけびを上げた。
____ギィイイピィィィィィ!!!!!
悲鳴のような黄色い声。耳障りな音が俺たちの耳をつんざいた。
叫び声をあげながら、キメラの目玉全体がその色を変えていく。黄色から真っ赤に。
次の瞬間。
俺の背中越しから巨大な火の玉が一直線に伸び、キメラの目玉に命中した。ファイリアスの火球をもろにくらい、キメラの体は一気に炎に包まれた。
その炎は消えることなく、さらに、さらに強く燃え上がる。
断末魔の声を挙げながら、キメラはその場に沈んだ。
キメラが動かなくなったのを確認すると、俺は魔術を解き呪いの鎖を消した。
俺が後ろを振り返ると、みなその場にへたりこんでいる。
膝をついたシールズがこちらを見あげた。
「……ぷはぁ……こわかったぁ……」
その後ろからファイリアスが言った。
「おい、お前ら、班長である俺が指示を出す前に……勝手に動くなよ……ふぅ」
その言葉にリリカが返答する。
「指示なんて、聞いている暇ないわよ……はぁ……それにしても、よく勝てたもんだわ……」
俺たちは気を取り直して立ち上がると、再び教会を目指した。