バルトロスの過去について
_____あれ? ここは、どこだろう。
見渡す限りの白い平原。俺はただ一人、その場に突っ立っていた。
上も、下も、右も、左も、どこもかしこも真っしろけ。
俺は、確か、特別作戦に参加するために、朝早くにおんぼろの荷馬車に乗り込んだはずなのに。
なんだかここには、前にも来たような。
_____……あ、そうか。ここは、またいつもの、夢の部屋……か
そうだここはきっと夢の中。最近よく見る、あの夢なのだろう。
どれだけ目を凝らしても何も見えない。
どれだけ走っても、どこにもたどり着かない。
あの、広大な白い部屋だ。
_____ここはまるで、出口のない、白い牢獄
俺は慌てて走り出す。なぜか無性に不安になる。
ここは本当に、シールズの言っていた転生の部屋なのだろうか。
生まれる前に訪れる神様と話す部屋。
それとも、死ぬ前に訪れる、死神様と話す部屋。
どっちなんだろう。クソう。くそう。あしがすすまない。
_____どうせなら、さっさと出てきやがれ、俺をつけ狙う、クソ死神が
俺の声にならない叫びが、グワングワンと、こだまする。
その時、まるで俺の声に呼応するかのように、どこかから声が聞こえた。
俺はすべての意識を耳にあつめる。ぐっと目を閉じ、その声に焦点を当てる。
その時、後ろに気配を感じる。
俺はおそるおそる、ゆっくりと、振り返る。そこには。
「命をよこせぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウルルルルルルルルルルルルルルルルルルル!!!!!!!!!!」
「ぎゃにゃああああああああああ!!!」
俺の体がバクンっと飛び跳ねた。
俺は死神の顔を押さえつけようと、目を閉じてやたらめったら腕を振り回した。
ありったけの力を込めて。
「ぎょええええ! あっちいけ! このクソ死神いいい! へあぅ!!……って、あれ?」
まったくもって、手ごたえがない。
俺は手を止めて薄く目を開き周囲を見回す。
そこは薄暗い、馬車の荷台の中。
カタコト、ギシギシ。
小刻みにゆれる荷物の隙をぬうように、床に寝そべっているのは、シールズ。その隣にはバルトロスとファイリアスも。
みな、毛布にくるまり、小さないびきをかいている。
少し離れた場所、一番奥には膝を抱えて座っているリリカの姿があった。
リリカは、こちらをじとっとした目で睨みつけている。
まるで汚物でも見るかのように。
あ、ひとってそんな顔するんだ。なにも、そんな目で見なくたって。ぐすん。
リリカがため息交じりにつぶやいた。
「……ウル……あなた、寝言がひどいわよ。死神とか何とか……」
リリカはそう言うと視線を手元に戻した。
リリカの右手には羽根のついたペン。
リリカは、そのペンで手元の本に何かをカリカリと書き込んでいる。
俺は体勢を立て直して、その場に座り込み軽く伸びをした。
のどのおくから、あくびがこみ上げる。
「ふぁ~ぁ……」
俺たちは、今朝早くに紋章師養成院を出発し、モモロの町へと向かっていた。
俺は呼吸を整えてリリカに話す。
「リリカ、なにをそんなに真剣にかいているんだよ」
「ステータス表よ。ハルエリーゼさんが書いておくように言っていたでしょ」
「あぁ、ステータス表、ね。なにもこんなところで書かなくたって。モモロの町に着いてからでも十分間に合うだろ」
「こういう宿題は、早めに片付ける主義なの。あなた達と違ってね」
ステータス表。自分の情報を書き込み他の仲間たちと共有する。
これがハルエリーゼから俺たちに下された最初のミッションだ。
俺は、ぐるりと荷台の中を見回す。
それにしても。
「こんな荷台で運ばれるだなんて。まるで俺たちに対するあてつけなのかよ」
「え? なにが?」
「まるで“お前たちはお荷物同然”だって言われているような気がしねーか?」
「ウルはひねくれ過ぎよ。ハルエリーゼさん、言っていたでしょ」
「なんて?」
リリカが書き物の手を止めて思い返すように、顔を少し上に向けて話す。
「まさか、本当に志願してくれる生徒がいるとは思わなかったってさ。だから、あまりちゃんと準備してなかったんじゃないかしら。昨日志願して、今日移動だもの」
「けっ、自分で志願者を募っておいて準備不足だなんてよ……ったく……まぁ、でも。バルトロスがあそこまで言わなけりゃ、きっと俺たちもこの作戦には、参加してなかっただろうな」
「そうね。わたしも……そう思う……」
その時、俺たちは同時にバルトロスに目をやった。
バルトロスは鼻から上だけ毛布からだし、すやすやと眠っている。
その時、リリカがふと呟く。
「でも。バルトロスってどうして、ああまでして、この作戦に参加したがったんだろうね」
「あぁ、まぁ、確かに……」
俺は言葉を濁した。
俺はその理由を、バルトロスから今朝、聞かされたところだ。リリカの知らないその理由を。
バルトロスは小さいころ、自分の両親を正体不明のキメラに殺された。
バルトロス達が住む山奥の小さな村に、突如として現れた異形の群れ。
そいつらは、村を破壊しつくし、人々を食い尽くし、そしてどこかに消えていった。
枯れた井戸の中に身を隠されたバルトロスは、宮廷魔術騎士団の助けが来るまで、何日も何日も、暗闇の中でひとり耐えていたそうだ。
孤独の中、自分の涙で口元を湿らせ飢えと渇きをしのいだのだ。
この話は今のところ、俺とシールズしか知らない。
その時のバルトロスの話によると、今回のキメラと昔バルトロスが見たキメラは別物らしい。
けれど、バルトロスはこうも言っていた。
「今回のキメラは、俺が子供の頃に見たキメラと、どこか似ている気がする」と。
キメラの正体って、いったい何なのだろう。
あんな奇妙な生き物が、突然大量に発生するなんて事があるのだろうか。
それとも、何らかの意思が働いているのだろうか。今の俺には、知るすべもない。
「どうしたの? ウル。バルトロスの顔をじっと見つめちゃって」
「あ、いやぁ、よく寝てるから羨ましいなと思ってさ。俺、最近あんまり眠れないからさ」
「確かに。ウル、ずっと、うなされてたよ。いい夢を見るおまじないを、教えてあげよっか?」
「そんなのがあるのならばぜひ知りたいね」
「母さんのうけうりなんだけど。夜眠る前に、ミモザをすりつぶした粉を、鼻先に塗るの。そしてみたい夢を書いた紙を枕の下に入れる。効果のほどは……ま、それなりね」
「そっか。今度ためしてみよっかな」
「うふふ……また、結果を教えてね」
リリカはそう言うと、再び手元に視線を戻した。
ふと気がつくと、すでに空は明け始めていた。
闇が明けていく。太陽が昇るまでのほんの少しの間。
俺は再び目を閉じて、眠りに落ちた。