アリシア・ハルンのこころ ③ ウル君のことは私と局長だけの秘密に
魔力測定会が終わり、私とフューゴ局長は院長室にお邪魔していた。
私たちはソファに腰かける。
小さなテーブルをはさんで、目の前にやさしいまなざしのポープ院長が座っている。
とりあえず、世間話はフューゴ局長に任せて、私は今日一日の出来事を思い返していた。
やはり、総じて魔力が高いのは他種族の生徒達。これは本来的な性質だから仕方がない。
しかし、魔力というのは訓練をつんでいけば伸びていくのもまた事実。
今日の魔力測定会で、私の記憶に強く残っている生徒は数名。
その一人が、あのウル、という生徒だ。
あまり出現しない、呪いの紋章を授かったという男の子。
資料を見た限りは、ごく普通の経歴だった。
まず貴族階級ではない。
ここマヌル領の東の片隅にあるギージャ村という小さな村の生まれ。
両親は事故で他界しているみたいで、孤児という事だった。
村近くにある教会に預けられていたところを親戚に引き取られた。
彼を引き取ったその親戚の男がこの紋章師養成院の高額な入学費用を肩代わりしているらしい。
「ハルン君?」
突然聞こえたフューゴ局長の呼びかけに、私は思わずソファの上で軽く飛び跳ねた。
「はえっ! は、はい! なんでしょうか局長」
「どうしたんだい、ぼんやりして。おなかでもすいたのかい?」
「い、いえ。えっと……」
「今日の魔力測定会はどうだったか、とポープ院長が聞いているが……」
「あ、ああ、そうですね。みなさん、元気があってよかったですね。大きいかけ声で」
「ハルン君、大声選手権について、きいているんじゃないから」
ポープ院長は、ほぉほぉほぉと満足げに笑って、話す。
「ハルン殿、気になる生徒はいましたかな?」
「そうですね。気になったといえば、やはり……一番高い魔力を感じたリリカさんでしょうか。成績も優秀みたいですし、将来は宮廷魔術騎士団入りでしょうか」
「リリカか、あの子もよく頑張っているからのう……」
「ほかには……」
ウル君、と言おうとして、私はためらった。
今の時点ではっきりしないことを、院長に伝えないほうが良いかもしれない、と感じたからだ。
そもそもどう説明していいのかもわからない。彼の後ろに人影のような魔術光が見えて、そこから異常なほどの強大な魔力を感じた、なんて言っていいものかどうか。
こんなことを言うと、ポープ院長に偏見を植え付けてしまいかねないのだ。
それが彼にとっていい事なのか、私にはわからない。
私はひとまず、他の生徒の名を挙げていった。
ポープ院長に、ひと通りの報告を終えた後、私たちは院長室をあとにした。
夕暮れの中、紋章師養成院の先生たちに見送られ、私たちは送迎馬車に乗り込んだ。
次の目的地へ向かう為に。
馬車にゆられてほどなくして、どっと疲れが押し寄せる。
軽く目を閉じていた私の隣、フューゴ局長がそっと話しかけてきた。
「ハルン君。お疲れ様。眠ってしまったかな?」
馬車のかすかな左右の揺れが、眠りを誘う。
私は必死に眠気にあらがい、返事をした。
「……いえ、大丈夫です。なにか?」
「さっきポープ院長に、ウル君の事を伝えなかったね」
「ええ。やっぱり気にされていたんですね」
「ふむ。僕はてっきりキミがウル君の事を報告するものだと思っていたからね」
「正直、自信が持てなくて。それになんと説明していいか……変に説明するとウル君にとってもよくないと思ったんです」
「……そうか。なるほどね。ま、魔力測定会ではキミがルールさ、それでいい」
フューゴ局長の声はなぜか、いつもより優しく聞こえた。
フューゴ局長の声はまるで子守歌のように体を包む。
「ハルン君、ウル君の後ろに見えた影のようなものというのは、彼自身の何かではないのかい?」
私は、軽く目を閉じたまま、もう一度思い返す。
彼の背後に見えた影。彼とは違うとはいえど、“あれ”は彼の一部だったともいえる。
あの影は彼自身の魔術光と混ざり、重なり、一つになっていた気がする。
「フューゴ局長。あの影はやっぱり彼の魔術光の一部なのだと思います」
「ふむ……だとすると、彼の潜在的な魔力は、かなり高い、という事かな?」
「そうですね。私の見間違いでなければ。彼の魔力は高い……ケタ外れです。私よりも……局長よりも」
「これはまた、大きく出たね。我々、エインズ王国の宮廷紋章調査局員よりも、とは」
フューゴ局長の声がすこし動揺したようにきこえた。
それもそうか、宮廷紋章調査局員はこの国の紋章師のトップ集団。
宮廷魔術騎士団と肩を並べるほどの人材が集まっているといわれている。
自負心があるのは当然だろう。
でも、私は正直に伝えた。
「……だからこそ。ポープ院長には、お伝えできませんでした……なんだか、彼が恐ろしい事に巻き込まれるような気がして……」
「そうか……キミらしい賢明な判断だ。ま、話はこの辺にしよう。悪かったね、ゆっくりと休んで」
「はい……すみません」
カタコトと、小さく揺れる馬車の中。
私はそのまま、深い、深い眠りに落ちた。
今日一日頑張った自分自身を、をねぎらうように。