呪具『魂の鏡』
朝一番の尋問会を終えた。
ミカエル・ステインバードとその愛人である娼婦のシルキィがどのような処分を受けるのか。
マルコはじっくりと考えるそうだ。
ほどなく、俺は身支度を整え、客間を去る。
今日でこのルルコット城下町ともおさらばだ。
晴れ晴れとした陽気の差し込む緑の中庭を抜け進むと、目の前には開いた城門。
ふと見ると、門のすぐ外に、真っ黒に塗装された箱馬車が横づけされていた。
周囲を数人の騎兵隊が囲んでいる。
俺は近づいて騎兵の一人を見上げる。
「えと、この馬車で送ってくれるのか?」
「ん? お前が呪いの紋章師か……中には槍の紋章師と仮面の女も乗っているが、貴様も一緒に入りたいのか?」
「い……いや、結構だ」
勘弁してくれ。今、あの二人とこんな狭い空間に入れられたら気まず過ぎて消えてしまいたくなりそうだ。
俺は騎兵に頼み、大馬を一匹用意してもらい、それに飛び乗った。
騎兵たちはランカのいる箱馬車を囲むように、隊列を組んだ。先導する騎兵の男が振り向きざまに告げた。
「さ、行こうか」
もはや、誰一人口を開くことなく、押し黙った隊列はルルコットの城下町を後にした。
俺は隊列の後ろから、カタコト揺れる箱馬車を眺めていた。
俺には、どうしても、あの箱馬車の中にいるふたりに見せたい呪具があった。
それを、いつどこで、どう切り出すべきかを考えている。
あのふたりはこの先、どこへいき何をして生きていくのか。
そんなことをぼんやりと考えていると、ふと胸ポケットからキャンディがのそりと顔を出した。
「ふわぁぁ……あら、いつの間に外にでてたの。それにしても気持ちのいい空ね」
「お前は、ほんとにいつもいつも、都合よく……」
「あらわざとじゃないのよ……でもさ、マルコだっけ? あの人、いったいどうするのかしらね」
「マルコは多分、何食わぬ顔してシルキィと結婚するんじゃないか?」
キャンディが耳をピンとはね上げる。
「へぇ?! 騙されたのよ? ふつうは相手を八つ裂きにでもしたいでしょ」
「普通はな、でもあいつはそんな事よりも領主の息子として何が必要なのか、利害を考えて振る舞うことができそうな男だったよ。聞いてみたがよ、マルコはシルキィとは、今までほとんど顔も合わせたことがなかったそうだぜ」
「へぇ……結婚相手だっていうのに、そんなに冷え切っていたのね。アタシにはよくわかんない関係ね」
俺はシルキィの容姿を頭に描く。白い首筋から下に伸びるあの豊満な曲線。
「ま、実際リゼの”ニセモノ”のシルキィは男から見れば、ある意味魅力的な女だ」
「アンタの場合は、胸がでかいからって理由だけでしょ。きんもーっ!」
「うるせー! ったりめーだ! キョヌー(巨乳)は正義!」
俺がキャンディと小声でふざけていると騎兵の一人がこちらに寄ってきた。
なんだか不機嫌そうな顔で話しかけてくる。
「おい、ルルコット城下町から離れて久しい、一体どこまで連れて行けばいいのだ?」
「え? どこまでって俺の家までだが?」
「だから、貴様の家はどこにあるのだ。我々はマルコ様からお前の言うとおりにせよとの命令しか受けておらん」
「ジャワ渓谷だ」
騎兵の男はぶっと噴き出した後に目を丸くする。
「ジャ、ジャワ渓谷ぅ!? こんな箱馬車では、まる5日はかかるではないか! ふ、ふざけるな!」
「ふざけてはいない」
「バカバカしい! ここで引き返すぞ」
「おい、お前さん、マルコぼっちゃまからの命令をきけねぇってのか?」
俺は騎兵の男の顔をわざとらしく睨みつけて見せた。騎兵の男は分が悪そうに言葉につまる。
「うっ、そ、そういう意味ではない……くそっ」
「くそ? 俺にくそというのは、マルコぼっちゃまにくそと言ったに等しいのだが?」
「わかった、わかった! なにがマルコぼっちゃまだ」
「わかればよい。くるしゅうないぞ、しもじもの者どもよ。しっしっ!」
騎兵の男は俺をひとにらみしてから定位置に戻った。
(ったく隙あらばサボろうとしやがる)
少し先、なだらかな下り坂の脇に屋根の集まりが見えた。
村だ。ひとまずあそこで早めの昼食にしようかな。
俺は騎兵たちに声をかけた。
一団でそのまま村の中に入り込み、食事ができそうなところを探す。
ちょうど村の入り口横辺りの小屋の前に『旅人の酒場』という看板が立てかけてあった。
各々が大馬を止めて、箱馬車を小屋のすぐよこに誘導し停車した。
騎兵隊3名、馭者1名、俺とそして箱馬車の中にいるランカとリゼ、計7名。
騎兵の一人が大馬から飛び降りて、箱馬車の扉に外からかけられていた錠前を外す。
扉を手前に開けた。
警戒するような目つきで、闇の中に声をかけた。
すると、突然、騎兵たちは全員が剣をスルリと抜き箱馬車の扉に向ける。
突然のことに、俺は慌てて引き留めた。
「おいおい。お前さんたち、こんな村の中でなにやってんだよ物騒だな」
騎兵の一人が剣を身構えながら答える。
「中の男は槍の紋章師だと聞いている。抵抗されると危険だ」
「大丈夫だよ。というかよ。ランカの手にはめている枷も外してもらうつもりだが」
「なんだと!? 暴れたらどうする」
「大丈夫だっつうの。それに、聞いてなかったのか、俺はマルコ様から、このふたりの処遇を任されているんだ」
「し、しかし……」
「俺のいう事がきけないってことはマルコぼ~っちゃま~のいう事が聞けないってことかなぁ? ねぇ? どうなのそこんところぉ?」
「や、やかましい! かってにしろ!」
騎兵はそういうと、腰に掛けていた枷のカギを俺に放り投げた。
俺は鍵を片手でキャッチした。
連中は呆れたような顔つきでさっさと酒場に入っていった。
箱馬車の中から小さな物音がしたかと思うと、先に白いフードを頭からすっぽりかぶったリゼが地に降り、後ろからランカがゆっくりと姿を現した。
ふたりはどこを見るともなくうつむきがちに押し黙っている。
俺はふたりに近寄ると、その手を自由にし、酒場に来るよう声をかけた。
ふたりはどちらからともなくお互いを見て何も言わずに俺に従った。
酒場の中に入ると騎兵たちと馭者はすでに奥のテーブルにどっかと座り、給仕に注文をしている。
一緒の席はやめておいた方がいいな。
俺は連中のテーブルを避け、少し離れた壁側のテーブルについた。
給仕が注文をとりに来たが、ふたりはうつむいたまま何も話さない。
仕方なく俺が適当な注文を頼む。
給仕が去った後の沈黙、沈黙、沈黙、ちん。
「はぁぁ! もうしんきクサいったらないわ!」
キャンディが俺の胸ポケットから飛び出してテーブルに舞い降りた。
そして仁王立ちらしきポーズでランカとリゼに向かいあう。
ふたりは何が起きたのかわからず、固まっている。
キャンディは二人の反応などおかまいなしにつづけた。
「ね、あんた達さぁ、感謝しなさいよ? ウルはアンタたちの命の恩人なのよ?」
「い、いや、キャンディ、命の恩人は言い過ぎ……」
「言いすぎじゃないわ。はっきり言っておきなさいよ。お前たちを生かすも殺すもおれしだいって。じゃなきゃ伝わらないのよ、鈍い人たちには」
「お、おい」
キャンディはテーブルの上で左右にぴょこぴょこと歩きながら演説を続ける。
「リゼ。アタシはアンタの気持ち、少しわかるかも。ね、みて! アタシのこの体、ぬいぐるみになっちゃったんだから。アタシだって昔はすっごい美人だったのよ」
「お前美人だったのか? 過去の記憶がないって言ってただろ」
「アンタ、うるさいわね! 美人って事にしといたほうがこの場合はいいでしょ。いまはアタシがリゼを励ましてるんだから、じゃますんな、クソオヤジ!」
「なんだと、このくそウサギ」
キャンディが俺にむかって殴らんばかりに腕を振り上げる。
「あああん? なんだやんのかこら、くそおやじ」
「お前はいつも場をかき回すだけかき回しといて、大事な時に寝てるだろーが! 一日何時間寝てんだよ、ああああん?」
「ねみーんだからしかたねーだろ、ああああん?」
「うふふ……」
その時、小さな笑い声が聞こえた。
俺とキャンディがほぼ同時に声の方を見ると、リゼが仮面の口元をおさえて小さく体をゆすっていた。
そして、リゼが話した。
「ありがとう、うさぎさん。キャンディでいいのかな?」
「そう、キャンディよ。本名は忘れちゃったんだけどね、前の私の持ち主がつけてくれた名前なんだけど、気に入ってるわ」
「そうね、素敵な名前。きっと本当の名前も素敵なんでしょうね」
「あたりまえでしょ!」
ようやく、死にそうに重たかった空気がすこし軽くなった。
その後、ほどなくして運ばれて来た食事を俺たちは口にした。
リゼは食べ物を口に運ぶたびに仮面を前にすこしかたむけて、そこにスプーンを差し込んでいた。
ま、確かに見られたくはないだろうな。
ほどよい食事の後、早々に馬にもどっていく騎兵たちに少し待ってもらうように声をかけて俺は二人を近くの川べりに連れ出した。
村はずれの小道。足首までの短い雑草を踏んですすむ。
すると、目の前。
幅広の川は光をはねかえしきらきらとまぶしい。
俺は並ぶふたりに振り返る。見せたいものがあったのだ。それはある呪具。
結局、”ニセモノ”のリゼが依頼した呪術者の討伐依頼は達成したものの報酬を受け取ることはできなかった。
城を出る前、マルコに一応はきいてみたのだが。
今回の討伐の報酬額である金貨1000枚を出してくれるのかどうか。
でも目を丸くされた。
で、こういわれた。
「呪いの紋章師。常識的にかんがえろ、そんな量の金貨を一度に準備できるわけがない。お前……さてはバカだな?」
ええ、そうですか、常識が無くてすみませんね。
金持ちを過大評価していましたとも。あ、料金表かきなおさなくっちゃ。
ただ、その代わりというのもなんだが、マルコは商団が各地で手に入れた不思議な道具の中からなにかを持ち帰っていいと言ってくれた。
実は金貨より嬉しかったりする。呪いのコレクションが増えますもの♪
俺はマルコの許しを得て、ルルコット城にある地下倉庫からある呪具を1つ頂いた。
だが、それは俺が欲しいと思ったものというよりは、このふたりにこそ見てほしいと思った物なのだ。だからこそ選んだ。
俺は不思議そうにたちすくむランカとリゼに伝えた。
「実はな、おふたりさんに見てほしいものがあるんだ」
リゼが不安そうな声でたずねる。
「わたしたちにみせたいもの?」
リゼはそう言った後、ふと、ランカを見上げた。
ランカは能面のような真っ白い無表情。実は、今朝から一度も口を開いていない。
俺なんかと、かわす言葉もないって顔だ。
俺はランカは無視して、リゼに向いてうなずいた。
俺は腰袋から、マルコから頂いた呪具を抜き出しリゼの顔の前に持ってきた。
それは小さな手鏡。
手のひらにすっぽり収まる、しろい折りたたみ式の手鏡。
表面にはアネモネの花の模様が丁寧に彫り込まれている。
それを見たリゼはくびをかしげる。
「手鏡かしら?」
「そうだ。これは呪具のひとつだ。呪具にもいろいろあってな。危険なものもあれば、そうでないものもあるんだ、これは直接的に危害を加えるものではないが……」
「……これをわたしに?」
「ああ。これは『魂の鏡』と言われている呪具らしくてな。その人の”本当の顔”を映し出す鏡らしい」
「本当のかお……」
「そうだ、心の顔とでもいうのかな。恐ろしい心の持ち主は恐ろしい顔で映り、清い心の持ち主は清い顔で映るらしい。ちなみにだが、俺は自分を映していない。怖いからな。どうだ見る勇気はあるか?」
リゼは再びランカを見上げた。
ランカの表情がくもる。俺をちらりと見たランカの目。その目は”いったいどういうつもりだ”と雄弁に語りかけてきた。
その不安は俺にもよくわかる。
なにせ、よりもよって体中に火傷をおった人間に鏡を見せようとするなんて、無神経と思われても仕方がないかもしれない。だが、この鏡は普通の鏡とは違う何かが見えるはず。
ランカがようやく何かを言いかけたところで、リゼが俺を見て言った。
「わたし、自分を映してみます」
「……おそろしい自分の顔が映ってしまう可能性もある。相当なショックを受けるかもしれない」
「今のわたしの焼けただれた顔よりも恐ろしい顔なんて、わたしには想像できない」
「……よし」
俺は力強くうなずいた。