呪いの魔術の授業⑤ 相性のいいヒトガタ
ここ最近、ずっと呪いの魔術の猛特訓が続いている。
ポープ先生と二人きりの教室内、古代文字がぎっしりとならぶ魔術書と睨めっこの日々。
古代文字の正確な発音、正確な書き順、文字の形。
間違えるたびに、ポープ先生から鋭い指摘が入る。
難解な古代文字を一日中ずっと眺めていると、本当に気が変になりそうになるんだ。
だってよー、一文字が三十画、四十画なんてのはザラなんだぜ。
この文字を考えた大昔の人たちは相当イジワルな奴らに違いない。
しかし、しかしだ。
今日はいつもと一味違う、俺にとっての記念すべき日になる。なぜかって。
今日、俺がポープ先生に呼び出されたのは、いつもの教室ではないからだ。
そう、今日俺が呼び出されたのは、この紋章師養成院の中央に位置する、魔術訓練場なのだ。
数々の優秀な紋章師たちが、若かりし頃、ここで練習に明け暮れた。
紋章師たちの歴史が刻まれた、そんな特別で神聖な場所なんだ。
俺は目の前に立ちふさがる、魔術訓練場の大きな扉を見上げる、そして押し開けた。
ずっしりと手ごたえのある扉がずずずと奥に開いていく。まるで俺を飲み込もうとするかのように。
ここに足を踏み入れるのは初めて。
同学年の生徒の中でここに入っていないのは今や俺だけ。なぜ俺が一番おそいのか。
俺はその理由をポープ先生に聞いてみた。ポープ先生はあっさりと、こう言った。
「呪いの紋章師は数が少ないからの。後回しにされるのはしかたなかろう。まぁ、数の倫理じゃて」
ひどくないっすか。そんなの。
でも、ようやくの事、俺は念願の魔術訓練場にはいりこんだ。
ぐるりと見渡す。
四方を囲むのは分厚い石壁。剣や盾のレリーフが刻まれている。天井はなく彼方までひろがる青い空がまぶしい。ゆるやかに泳ぐ雲が優雅にこちらを見下ろしている。
足元の床には魔術陣が彫り込まれている。
視線を移すと、そこら中に奇妙な人形が並んでいる。
これらは、戦闘訓練用の疑似標的かなにかなのだろうか。
「ふう、ここに入って、ようやく一人前だよな」
俺は一歩ずつ、大地を踏みしめ中央に進む。
もうじきポープ先生も、ここに来るはずだが。
「ウルや」
「きゃーーーー!」
突如、耳元で聞こえたポープ先生の声に、俺は肩を震わせ飛び跳ねた。
振り返ると、そこにポープ先生がいた。
ニコニコ顔は相変わらずだけど、いつもと雰囲気が違う。
教室で見るときのポープ先生は、襟の高いローブをまとっているはずだけど、今日のいで立ちは随分と若々しい。
白いブラウス、腰に巻くのは革ベルト。すらっとした紺のパンツ姿だ。
長い白髪は後ろにくくり、綺麗にまとめている。
「ほぉほぉほぉっ。久しぶりに驚いてくれたのう。ウル。これは、ゆかいじゃ」
「やめてくださいってそれ! 今日はすっかり油断してました。あまりにもうれしすぎて」
「なんじゃ。この魔術訓練場に入るのがそんなに楽しみじゃったのか?」
「そりゃそうですよ。だって、ここに入っていないのは俺だけだったんですよ。友達たちは、とっくの昔にここでの訓練を開始しているっていうのに。だから、ようやくあいつらに追いついた気分です」
ポープ先生は目を細めて、まぶしそうに空をみあげた。
「まぁのう。この魔術訓練場は、攻撃性の高い魔術を扱う者たちの為につくられた場所じゃからな。こればかりは、仕方がないのじゃよ。正直、呪いの魔術は他と比べて、地味な魔術が多いからのう、ほぉ、ほぉ、ほぉっ」
「はぁ……俺も火球! とか言って右の手の平から、燃え盛る火の玉を出してみたかったですよ。男の夢ですよ、ファイヤボールって」
「ま、この国では火の紋章師の数が一番多いし、一番人気じゃからの。でも、ウルや、こうも考えられるぞい。今日は思う存分ここつかえるのだぞ。なにせ、呪いの紋章師はお前ひとりなのじゃから。数が少ないからこそ、この魔術訓練場を独り占めできるというものじゃ」
なるほど。いわれてみれば。
この練習場にぎゅうぎゅうに詰め込まれて魔術の練習をするのも確かに大変そうだ。
それよりはマシなのか。物は考えようだな。
ポープ先生は不思議な人だ。ポープ先生と話をしていると、なぜか自分の頭がやわらかくなり、考え方が一回り広がっていくような気がするのだ。
ポープ先生は俺の方に目をやる。
「さて、ウルや。今日はここで傀儡人形を操る練習をするぞい。わしが言っていた宿題は?」
「はい、一応は……」
俺は背に抱えていた荷袋を足元におろす。
この荷袋には、今日という日の為に準備した道具が入っている。
数日前に、ポープ先生から言いつけられていた物。
傀儡人形を作るための“ヒトガタ”だ。俺は荷袋に手を突っ込み、数種類のヒトガタを足元に並べた。
羊皮紙でつくったヒトガタ
シロクスの木の幹を削ってつくったヒトガタ
数種の魔術素材を包みこんだ護符でつくったヒトガタ
俺は荷袋から取り出して、順に床に並べていく。
ポープ先生は満足げにうなずいた。
「ほう……色々と試してきたようじゃのう」
「は、はい」
俺は今日までの宿題として、ポープ先生にある課題を与えられていたのだ。
それは“自分にあった素材のヒトガタ”を見つける事。
モノとヒトには相性があるらしい。
それは自分ではどうすることもできない磁石の極のような力。
だから自分にいったいどの素材があうのかは、試行錯誤の上、自分で探り当てなくてはならないのだ。
傀儡人形を作るために必要なヒトガタ。
そのヒトガタには様々な素材(依り代)が使われる。
木片だったり、紙切れだったり、石だったり。
それらの素材を削ったり折り曲げたり、重ね合わせたりして簡単な人の形にする。
次に、そのヒトガタに傀儡人形として生み出す相手の人物の素性を
古代文字で書き込んでいく。
その人物の名前や生まれた日、好きな食べ物や好きな色、果ては親や兄弟の名前まで。
標的とする人物の情報をできうる限り多く書き込む必要があるのだ。そして、書き込む情報は多ければ多いほど良いとされている。
これは、逆にいえば、その人物の事を詳しく知らなければ傀儡人形を作ることはできないという事でもある。
“固有の個体として識別できる存在”でなければ傀儡人形として複製を作り上げることができないのだ。
顔も名前も知らないような人物の傀儡人形は作ることができない。
いわれてみれば、そりゃそうだ。すごく当然のことだろう。
その原則から考えると、野生の魔獣や獣のような存在も傀儡人形として作ることはできない。
野生の生き物一匹をつかまえたとしても、それを固有の個体として識別するのはまず不可能だからだ。
生まれた日もわからない、名前も無いような野生の生き物は、傀儡人形にはできないのだ。
それらの条件を踏まえて考えていくと傀儡人形を造り上げる標的として一番簡単なのは、必然的に自分という事になってくる。自分の情報は自分が一番よく知っているからだ。
俺は、ここ最近、自分の傀儡人形を作る練習を繰り返していた。
様々なヒトガタを使って。
そして俺が一番、相性が良いとおもったヒトガタが、ひとつみつかった。
なんだか、それを使った時が一番魔術のかかりがよかったのだ。
それは、もしかするとあまり一般的ではないものなのかもしれないけれど。
俺は”そのヒトガタ”を荷袋から取り出して床におく。
”それ”を見た、ポープ先生がつぶやくのが聞こえた。
「ほう……めずらしいヒトガタじゃのう。で、ウルや、その床にならべだヒトガタの中で、一番魔術のかかりがよかったのは?」
「……は、はい……今置いた、一番最後のヒトガタです」
「なるほどのう……ふうむ、お前はおもしろい奴じゃのう。まさか……ぬいぐるみとは」
そう。俺が一番相性がいいと感じたヒトガタ。
それは“うさぎのぬいぐるみ”だったのだ。
なんだか、すごく恥ずかしいんだが、こればっかりはしょうがない。
なにせ、神様が決めた、相性というやつなのだから。
ポープ先生は小さく笑った。
「よし、ではそのうさぎのぬいぐるみを使って、今からお前自身の傀儡人形を作ってもらう。そして……戦ってもらう。わしの作る傀儡人形とな」