呪いの魔術の授業① 重たい話はいやなんですが!★
大食堂での昼食の後。
俺はいつもの教室から離れてポープ先生に案内された教室で待っていた。
さっき、唐突に告げられた一人きりでの呪いの魔術の授業とはいったい。
しかも教師は院長のポープ先生。
なんだかやけに緊張する。
レギーと一緒に勉強する時の教室とは違い、ここは少し広い。
中央にデンと大きく構えた机。空いていた、近くの椅子に腰をおろして、ふいっと周囲を見渡す。
古びた机に並んでいるのは、何やら怪しげな道具たち。
水晶に首飾り、奇妙な動物らしき置物。サラサラと流れる砂時計もある。
その中で特に目についたのは、傀儡術に使うであろう“ヒトガタ”だ。人の形を模した人形。呪いの魔術における基礎的な魔道具の一つ。
いまから傀儡人形制作の訓練でもするというのだろうか。
その時、いつものように音もなく教室のかげからすぅっと浮かび上がるポープ先生の姿。
ポープ先生は机をはさんで前に立つと、不思議そうな目で首を傾げた。
「なんじゃ、ウル。いつになく引きつった顔をしておるのう」
「だって、先生と一対一の授業だなんてはじめてなので……いつものように、レギーと一緒の方が気が楽です」
「これから、お前に教えるのは魔術書には書かれていない事柄なのでのう、呪いの紋章師のみに教える座学じゃて」
「呪いの紋章師のみの座学……?」
まさか、他の紋章師には教えられない秘密の奥義的な何かだったりするのか。
ちょっと期待しちゃうのだが。ほんの少しだけ、緊張がほぐれた。
俺がそんなくだらない妄想を、あれやこれやと考えている間にポープ先生は俺の目の前に分厚い魔術書をドスンと置いた。何百ページとありそうな本。
古代文字の辞典か何かだろうか。
俺は、どうすればいいのかわからず、身動きできない。そんな俺を横目に、ポープ先生は俺の向かいの席に座ると、ゆっくりと口を開く。
「さて、ウルや。わしの教育方針は知っておろう。その時、その時、生徒が、興味のある事を優先して教えている。お前は今、傀儡人形に関して興味があるようじゃ。だから、今話しておこうと思う事があってな」
「……いったいどんなお話ですか?」
ポープ先生が一瞬、身構えたように見えた。間を置いてから、話しはじめる。
「ふむ。では、本題に入る前に。傀儡人形について、今までお前が学んできたことを述べてみよ」
俺はポープ先生の言う通り、今まで自分が吸収した知識を簡単に述べていった。時々先生から知識の上書き修正が入るものの、ポープ先生は俺の話を聞くことに徹してくれていた。
そして、一通り、話し終えた。
「ふうむ。よく学んでいるな。上出来だ。では、ウル、ここで一つ質問じゃ。火の紋章師の扱う基本的な魔術は何だと思うかの?」
「え? 火の紋章師でしたら……そのまま火の魔術だと思います」
「その通り。火の紋章師にとっては火の魔術こそが基礎であり、終着点でもある。そして、呪いの紋章師にとっての基礎的な魔術は傀儡術、いわゆる“傀儡人形”といえる。傀儡人形こそが、呪いの紋章師にとっての一番の基礎魔術であり、なおかつ、終着点ともいえる」
「傀儡人形が基礎であり、終着点……? 呪いの魔術にはいろんな種類があるのに?」
ポープ先生はうなずく。
「そうじゃ。火の魔術が火の紋章師の専売特許であるのと同じく、傀儡人形は呪いの紋章師の専売特許じゃからの。それに傀儡人形は、その精度をあげていけば、たとえば……ひとつの国を亡ぼすこともできるほどの力になったりするかもしれんのう」
俺はその言葉に少し戸惑う。傀儡人形でひとつの国を亡ぼすだなんてまさか。
誰かに似ている人形をあやつる魔術に、なんだってそんな力があるのだろうか。
しかし、よくよく考えてみれば、そういう事もできるのかもしれない。
俺はパッと思いついたことを述べてみた。
「……傀儡術で操る人物によっては、一国をも滅ぼすことができるってことですか?」
「ふうむ。あたらずも遠からず。それも一つの答えではある。操る人物が一国の王だったりすればのう。ま、そんなに簡単な話ではないが……」
なんだか煮え切らないポープ先生の言葉。
答えは他にもありそうだ。俺はポープ先生に問う。
「ほかにも一つの国を亡ぼすほどの方法があるんでしょうか。傀儡人形を使って……?」
「そうじゃ、わかるかのう?」
俺は頭をひねるが、いくつか思いついた方法も正解とは思えないものばかり。
俺は素直に観念する。
「わかりません。いったい、どうすればそんなことができるんでしょうか。正直、俺がいままで練習でつくった傀儡人形たちは、ほんの数分、長くても数十分でその効果が切れてしまいました。しかも、簡単な命令しか実行できなかった……たとえ訓練したとしても、あいつらにそんな大それたことができるとも思えないんですが……」
「ふうむ。では、お前が出会ったという精巧な傀儡人形を想像してみるがいい」
クレタの事か。テマラの事か。あの賊の事だろうか。いや、それとも全員。
俺が答えずにいるとポープ先生が続ける。
「今、お前が思い浮かべた傀儡人形。もしも、そやつが百人いたとすると、どうなると思う?」
「ひゃ、百人!? 同じ傀儡人形が百人という意味ですか?」
「そうじゃ。例えば優秀な火の紋章師を模した傀儡人形が百人いれば、どうなるか……」
百人も紋章師がいれば、あっという間に宮廷魔術騎士団のできあがりだ。
「そりゃあ……火の魔術に特化した、最強の宮廷魔術騎士団に……なります」
「そうじゃの。同じ特性を持った全く同じ火の紋章師が百人。そやつらが戦場に出ればどうなるのか。戦況に応じ、すべての者たちが同じ判断、同じ行動を素早く実行に移すことができる。さて、ここで質問じゃが、そやつらが、本物の紋章師たちと違う点は何だと思う?」
「傀儡人形たちは、眠らないし、疲れないし、食事もとらない。そして……“迷わない”」
「……どうじゃ? 想像しただけでも、なんだか妙にひやりとする、とは思わんか?」
「ええ。たしかに、最強の宮廷魔術騎士団だといえます……でも、そんな宮廷魔術騎士団を作るだなんて、可能だとは到底思えないんですが……」
百人の傀儡人形を同時にあやつるだなんて。
ポープ先生は深いまなざしを俺に向けた。その目は俺の心を芯でとらえた。ポープ先生は右手であごひげをひと撫ですると、慎重な様子で口を開く。
「たしかに荒唐無稽な話じゃ……しかしな、かつて、この荒唐無稽な話を実現させようとした男がいての。とある呪いの紋章師じゃ……」
「え?」
「ウル、この話はレギーには聞かせられん。だから、お前と二人きりになったのだよ」
俺が思っていた以上に、この授業には深い意味があったんだ。
「……でも、傀儡人形で構成された宮廷魔術騎士団だなんて。そんな話は今の今まで聞いた事がないです。歴史書のどこにもそんな出来事は載っていなかった」
「その通り。この話はこの国のどの魔術書にもどの歴史書にも載ってはおらん。載せることを禁じられたのじゃろう。実はな、わしも、この話はわが師から口頭で伝え聞いた話なのじゃ。なにせ、このエインズ王国の……時の権力者によって握りつぶされた、この国の恥ずべき暗部なのじゃから……」
いつも飄々としたポープ先生の顔に暗い影がさす。まるで苦しみに満ちている。俺は恐る恐る口を開いた。
「……そ、そんな話を、どうして……俺なんかに」
「お前が、このわしと同じく、呪いの紋章師となる宿命を背負った者だからじゃよ。お前は知らねばならぬ。知る義務がある。このエインズ王国の歴史の奥底に葬られたこの話を」
「呪いの紋章師に課せられた、義務……」
「ウル、お前も不思議に思った事はないか。なぜ呪いの紋章師や、そのほかの黒魔術をあつかう紋章師たちが、この国でしいたげられ、忌み嫌われるのかを」
「それは……扱う魔術が、あまりよくないからって……それ以外にも何か理由が?」
ポープ先生はこくりとうなずいた。
歴史の奥底に葬られた、このエインズ王国の恥ずべき暗部とは一体。