ただの人形にこころはあるのかい?
優しげなおじい様、そんな雰囲気を醸し出しているポープ先生だが。
この人はここ、マヌル紋章師養成院の院長先生なのだ。
しかも“時の紋章”と“呪いの紋章”を授かった二つの紋章持ちだという。
はるか昔は、それはそれは相当な魔術師として名を馳せた人らしい。
ポープ先生はニコニコしながら、俺に話を促した。
「ウル、なんでもきいてみよ。わしにこたえられることならば、教えてやるぞい」
「はい……ポープ先生……傀儡人形に。その……なんていうか、心は……あるのですか?」
「ほう、傀儡人形に、こころ、とな?」
「はい、俺……」
俺はクレタの事を思い出しながら、なんとなしに口を開いた。
その時、ある視線に気がつく。ポープ先生の隣に座るレギーの強いまなざし。レギーはこちらを睨み、ぐっと口元をひきしぼる。
「あ、いや……」
俺は慌てて口をつぐんだ。
そうだ、クレタ達との旅は、秘密なのだ。そもそも、密入国してきたクレタを助けたこと自体がこの国の法律違反。その挙句、養成院の休み期間中に俺たちも密入国していました、てへっ、なんて話せるわけがない。
もしも、そんなことが先生にばれたら、懲罰を受けるどころか、一発退場。この紋章師養成院を間違いなく追い出される。
俺は言葉を慎重に選びながら、傀儡人形の事をはなした。そして、聞きたいことをポープ先生に投げかけた。
ポープ先生は、ふむふむ、と軽い相槌を打ちながら、俺の話を聞いてくれた。そして、少し眉にしわを寄せた後、口を開く。
「ふうむ。本物のヒトのような傀儡人形をみたのじゃな」
「はい、本当にヒトとしか思えなくて……」
「まるでその子に心があるように感じた、ということじゃの?」
「そうなんです、いまだに、その子を思い出すと、なんともいえない気持ちになってしまって」
「なるほどのう……で、その子は、女の子かな?」
ドクン、と、俺の心臓が跳ね上がった。女の子だなんて一言もいっていないのに。俺は返事のしようが浮かばず、しどろもどろに返す。
「あ、え? いや、べつに女の子だとは、まぁ、そうでもあるんですが」
「ほぉ、ほぉ、ほぉっ。図星かな。ウルや、お前の顔に書いてあるぞい。ボク、その子の事が好きだったんです、とのう」
「そ、そそ、そんなんじゃないんですよ。別に好きとかじゃなくって」
レギーが冷ややかな横やりを入れる。
「ウル、いつも青白いハズのあなたの顔、いま、もぎたてのトマトみたいに真っ赤なんだけれども」
「う、うるせーよ! レギー、てめぇ!」
レギーがペロリと舌を出す。それを見ていたポープ先生が「まぁまぁ」とたしなめる。そして仕切りなおす。
「すまん、すまん。ウル、冗談じゃよ。まぁ、傀儡人形ならば本物と姿かたちがそっくりなのは言うまでもないが……実際に会って、話して、そのうえでも本物だと感じることができるというのは、そうそうない経験じゃがな。どうやら、かなり精巧な傀儡人形に会ったようじゃのう」
精巧な傀儡人形、か。
“あの旅”で出会った傀儡人形は、なにもクレタだけではない。
追手の賊、それに、テマラですら、ふたを開ければすべて傀儡人形だったのだ。
そして、そのどれもが、まるで本物に見えたのだ。
俺は続ける。
「なんというか。俺も一応は呪いの紋章師ですし、これから傀儡人形を作り出す側になると思うんです。だから、そいつらの事をどう考えればいいのかなって……もしも心があるんなら、かわいそうというか……なんというか」
「かわいそう……とな。ふうむ、ウル……お前は、あまりにも精巧な傀儡人形に、触れてしまったのかのう。その感覚は、この先しばらく尾を引いてしまうかもしれぬが……ま、慣れていくじゃろうて」
ポープ先生は少し心配そうな目で俺を見た。そして、すっと表情を切り替えた。
「さて、それでは、最初にあった、お前の質問。果たして、傀儡人形に心はあるのかについてじゃが……まず、考えてみよ」
「……え?」
「心とはなんじゃ?」
「心……心っていうのは、なんというか……ううん、そういわれてみると……」
ポープ先生は口元を緩めた。
「ウル、今のお前が答えを出しておるぞ」
「今の俺が?」
「そうじゃよ。いま、わしに質問されて、お前はどうした? お前はいまどんな状態におる?」
「……どんな状態っていわれても、答えを考えているっていうか……」
「もうひとこえ」
「どう返事しようか、迷っている……というか」
ポープ先生は深くうなずいた。そして続ける。
「その通りじゃ。迷う、これが心の動きというものじゃ。さて、ここで、明確に言えることは一つ。傀儡人形には今のお前のような“迷い”は生じない。傀儡人形達の頭の中にあるのは、役割の達成のみじゃ。たとえ表情では迷っているように見えたとしても、それは何らかの目的があっての行動じゃろうて」
「傀儡人形には“迷い”が……ない」
俺は思いかえす。クレタやテマラの傀儡人形たちとの出来事を。彼ら彼女らのあの表情はすべて、計算されたものだったってことなんだろうか。
朝焼けの森の中、足元に一輪の花を見つけた時のクレタのあの微笑み。
そんなクレタに悪態をついていた、テマラのあのいらついた表情。
あれらもすべて、周囲を騙す為の作り物だったっていうのか。ならば、それをすっかりと信じこんでいた、俺は一体。
「俺は……とんだ間抜けだったってことか……」
なんだか随分と自分がみじめに思えてきた。あの旅そのものが、どこか嘘っぱちみたいに思えてくる。結局、あの旅の中で本物のヒトだったのは、俺とレギーだけだったのかもしれない。なんだかな、いやになっちまう。
黙り込んだ俺に何かを感じたのか。それとも沈黙を気遣ってなのか、レギーがささやいた。
「……たとえ相手が偽物だったとしても、わたしたちの心は、本物、でしょ?」
それを横目で見たポープ先生がうなずいた。そして、優しく話を続ける。
「ウル、いささか冷たい言い方ですまんかったの。もしも、お前が傷ついたのならば謝ろう」
「いえ……いいんです、そんな、先生が謝るだなんて」
「しかしのう。レギーのいう事も一理ある。ウル、考えてもみろ。実際にわしに心があるかどうか、お前にわかるか?」
「え?」
「わしには、わしの心があるという事をお前に証明する術がない。つまりは、判断はお前にゆだねられている。お前が、わしに心があると感じ取ってくれれば、心があるし。心がないと感じるのならば、心がないのかもしれぬぞい」
ポープ先生は一息ついて、さらに続けた。
「ウル。心というものは交流の中で生まれ、思いやりの中で育つもの。一方通行ではない、双方向の絆により発生する見えない結晶のようなものなのじゃ。もしも、お前が交流を通して、ある傀儡人形に心を感じたというのなら、その傀儡人形には心がある。そう思うことをわしは否定したりはせんぞよ」
心は交流の中で生まれ、思いやりの中で育つ、か。
たとえクレタがただの人形だったとしても、すくなくとも俺にとってはそうじゃなかった。そう思ってもいい。
ポープ先生は俺にそう言ってくれている。そんな、気がした。
俺は小さくうなずいた。
「ポープ先生、ありがとうごいます」
ポープ先生は再びニコニコと笑った。
そして、俺に告げる。
「さて、ウルよ。自習の後は少しばかり呪いの魔術に関しての授業をしようかとおもっているのじゃがの。一人きりの本格的な魔術の授業になるが、覚悟はいいかな? ほぉ、ほぉ、ほぉっ」
ポープ先生は不敵に笑った。