さまざまな死
解呪の儀式を固唾をのんでみまもっていた俺たちは、それぞれに驚きの声をあげた。
互いの顔を見合わせるとほぼ同時に魔術陣へ駆けていく。
俺がさっき真っ赤な塗料で描いた魔術陣は燃え尽き、焦げて炭と化していた。
ぼんやりと煙が浮かんでいる。
俺は恐る恐るテマラに近づいてその背に問いかけた。
「テマラ……解呪は成功した?」
「あたりめーだろーが」
「あの……魔術陣の中央にいるのがミュウ?」
「そうだ……ミュウだった人物だな。ま、目を覚ますまでにはしばらく時間がかかるだろうが……」
「ついに……おわったのか……」
焦げた魔術陣の中央に横たわっている少女。
あれが、アスドラ帝国の姫、ニスリン王女。
長い金の髪を床に無造作に広げたニスリン王女の横顔は石膏像のように真っ白だ。
閉じられた目は長いまつ毛に覆われている。彼女の華奢な手足を包み込む薄い桃色のドレスはこの薄汚れた屋敷内には似つかわしくない高級感があった。
隣のレギーがつぶやいた。
「綺麗なドレス……なんだか、どこかのお姫様みたい」
たしかに。こんな姿ではだれがどう見てもそれなりの身分の人物というのが丸わかりだ。もしかすると、ニスリン王女が魔獣に姿を変えたのは逃亡しやすいように、という理由もあるのかもしれない。
俺はふと、室内を見渡した。不思議なことに、あの老婆ともう一人のクレタの姿がない。
いつの間にか二人とも消えていた。俺はテマラに聞いてみた。
「テマラ、あのばあさん達……いなくなっちまったよ」
「だろうな、あいつらはこの子にはさほど興味がネェんだろう。あいつらは、基本的には俺たちと同じ立場なんだからよ」
「俺たちと?」
「そう、おそらく、あいつらも仕事として関わっていただけだ。すでにあいつらの仕事は終わった。だから、とっとと、引き上げたってことだろう。この子に関係があるのは、いまから、ここにこの子を迎えに来る連中という事だ」
「迎えに来る連中……か」
「で、ウル、どうするんだ? 解呪が終わった時点で、この仕事は終わりだ、すぐにここを引き上げてもいいが……」
「そんな、せめて迎えの連中とやらが来るまでは……」
「けっ、そういうと思ったぜ……おまえみたいな甘ちゃんはよぉ、こ_____
突然テマラの言葉が途絶えた。
俺はふと、テマラの方に顔を向ける。
しかしそこに、テマラはいなかった。
いや、正確に言うと、そこにテマラの顔がなかった。
テマラの体はあるというのに、その体の上に乗っかっているはずの、テマラの顔だけがなかったのだ。
ドン、と何かが床におちた鈍い音。俺がそちらに目をやると、そこにテマラの顔が転がっていた。床にテマラの目を開いたままの顔が落ちていたのだ。
「え……おい、テマラ、なんだよ。なにかの魔術なのか……?」
よくわからない。いったい何が。
俺がもう一度テマラの体の方に視線を動かすと、テマラの体の向こう側にクレタがいた。
そのクレタの手には長い剣が握られている。その刃に、真っ赤な血がついていた。
テマラの体がゆっくりとその場に崩れ落ちた。そのぱっくりと割れた真っ赤な首もとから、俺の足元に向かって血しぶきが噴き出す。
蛇口から勢いよく流れ出る水のように血が吹きでてくる。
あっという間に、俺の足元にテマラの血だまりが広がっていく。真っ赤な血が満ち満ちていく。
俺は崩れ落ちたテマラの体の向こうから現れた、クレタを眺める。
クレタは何の表情も浮かべず、手ににぎる剣についた血を素手でふき取った。
そして今度はその刃を俺の首元に突きつけた。そしてクレタが言った。
「……ウル、わたしの役割はこれだったの」
「クレ……タ? 役割? いったい……、え、クレタが? テマラを? え?」
「……ウル、ごめんね……」
その時、俺のすぐ後ろにいたレギーの悲鳴。レギーはすぐ後ろにいるはずなのに、その悲鳴はなぜか、俺の耳にはすごく遠くからの叫びに聞こえた。言葉がうまく出てこない。なぜテマラが首をはねられているのか。なぜクレタが剣を持っているのか。わけが分からない。
「クレタ……どうして、なぜ……テマラを……」
「ウル……わたしの役割は、ミュウの呪いが解けるまでミュウを守る事。そして、呪いが解けた瞬間、その場にいた者を……全員皆殺しにすること」
「……なぜ……どうして……テマラを……」
「ごめんね、ウル。今から、あなたと、レギーを殺すわ。そして、その時わたしは役割を全うしこの世から消えていくの。あなた達と共にこの世から消えさるの。ミュウのため……いえ、ニスリン王女の為に、ね」
「馬鹿な……そんな……馬鹿な話が……あるもんか……」
体が動かなかった。
目の前に迫る死に圧倒されていた。天敵に睨まれた小動物のように。
身を震わせる事しかできなかった。
俺も、きっとテマラと同じように一瞬でクレタに首をはねられ死ぬのだ。
そして俺が死んだあと、レギーも首をはねられて死ぬのだろう。
目の前にいるクレタという死神の鎌に刈られるのだ。最初からきめられた運命のように、これは避けようがない出来事だったのかもしれない。
だって、あのテマラがたった今、目の前で、死んだのだから。俺にそれが避けられるとは思えなかった。
クレタに睨まれ動くことを忘れてしまった俺の体、でも頭は不思議なほど妙にさえわたっていた。様々な考えが逡巡し、テマラとのやり取りがふと思い出された。
なんとなく、違和感を覚えた、テマラの言葉がいくつか浮かぶ。
『ウル、どうも嫌な予感がする』
『念のためだ、もっておけ』
『できるかぎり、時間を稼ぐんだ』
時間を稼ぐ? あれはどういう意味だったんだろう。
時間を稼ぐ間もなくテマラはすでに死んでしまったというのに。
俺の手は自然と内ポケットに伸びた。木箱を探り当てすっと取り出す。
クレタのささやく声が聞こえた。
「ウル、せめて苦しくないように殺してあげるから、なにもしないで立っていて」
「ああ、そうしてくれよ……」
俺はそう言いながら、木箱を開けた。
中にあるのは小さな指輪。呪具“蛇頭女の邪眼”。
俺はテマラに教わった通りに、小さく唱えた。
ほんの短い呪具発動の呪詞(呪文)を。
スキル『呪具耐性』の発動だ。
天地万物 空海側転
天則守りて
我汝の 掟に従う
御身の血をやとひて 赦したまえ
俺は小さく唱えた後、左の小指に指輪をすっとはめた。
その時、指輪についている宝石の中央。目玉のような模様がぎょろりとうごいた。
俺が顔を上げると、すでにクレタのもつ剣の刃が首元にせまっていた。
俺はクレタの顔を見た。剣をふり上げるクレタの顔は、まるで感情がなかった。
さっきまでの笑顔はなんだったのか。
俺のことなど、きっと足元をはいまわるアリほどにも感じていなかったのだろう。
俺を殺すことになんの躊躇もかんじていないのだろう。
俺はクレタに騙されていたのだろうか。
いや、最初から俺が勘違いしていただけだ。いろいろなことを自分のいいように考えていただけだ。
だから、テマラは俺に何度も言っていたんだ。
クレタはただの傀儡人形であり、感情を持たないただの人形である、と。いまさらになってあれがテマラの忠告であったことに気がつくだなんて。
瞬間、俺の右目に激痛が走る。俺は思わず目を閉じた。
右目の痛みは、今まで感じたことがないほどの痛み。いや、痛みというよりも熱だ。まるで目の中にマグマでも流し込まれたような熱さだ。
まるで俺の目玉が溶けてなくなるような。そんな感覚。
しかし、その熱も次第に消えていった。まるで体の中にすべてを吸収するように。
俺はゆっくりと目をひらいた。
そこには、いまさっきみた光景と同じ光景が広がっていた。
無表情に剣を振り上げ、俺の首をもぎ取ろうとするクレタの姿。
クレタはその姿のままうごかない。まるで時間がとまったかのうようにピクリとも動かなかった。その全身は真っ白に輝ていた。
クレタは石になったのだ。永遠に石になってしまったのだ。