最初で最後の握手になるんでしょうか? ★
テマラは俺とレギーに目をむけると、部屋のすみっこで待つように言った。
そして俺たちに背を向けて、老婆となにやら話しこんでいる。
テマラは、自分が知り得た呪いの内容は他者には教えない主義らしい。
仕事上の守秘義務があるから、というよりも、関係のない者が不用意に何かの呪いの内容を知ることはよくない事なのだそうだ。
なんらかの予期せぬ危険が身に及ぶ可能性がある、というのがテマラの考えのようだった。
つまりは、俺とレギーの身を守るため、という事だ。
俺に解呪を手伝え、と言っておきながらその呪いの内容は教えてくれないだなんて。
なんだか拍子抜けする。
俺はなんとなく納得がいかないまま、部屋の隅にあったボロボロのソファに向かい、腰かけた。
尻にジメっとした感触。お世辞にも座り心地がいいとは言えない。
レギーはソファには座らず、俺の隣に静かに立った。そして、不安げな眼差しでじっと彼らを眺めていた。
部屋の中央では、テマラとローブを羽織った老婆が向かい合う。そして、それぞれの後ろにお互いのクレタ達が静かに控えている。まるで護衛騎士のように。
それはなんとも不思議な光景だった。
俺はなんとなく、胸ポケットから手のひらくらいの木箱を取り出し、ゆっくりとふたを開けた。
これはテマラからもらった呪具。蛇頭女の邪眼と呼ばれる指輪。
この指輪を自分の指にはめて、標的を睨みつけるとそいつを一瞬して石にしてしまうという代物だ。
そして、標的を石にすると同時に、自分の片目も石になる。
使用できる回数は”必然的”に二回。なぜなら俺には目玉が二つしかないから。
だとすると目玉が四つある種族ならば4回つかえる、ということか。
俺がそんなことをぼんやりと考えていると、レギーが俺の前に回り込み木箱を覗き込んできた。
「あら、素敵な指輪ね。なにそれ?」
「ん? あぁ、これはテマラから預かった呪具だよ」
「へぇ、呪いのかけられた魔道具ね……なんだか、その指輪、よく見ると……中央の模様が猫の目みたいに見えるね。とっても不思議だけど、とっても綺麗」
「綺麗なのはいいけどさ。これは蛇頭女の邪眼といって、相手を石化させる呪いがかけられている指輪なんだってさ、おっかねーよな」
「へぇ……たしか、魔道具の中でも、呪具と呼ばれる物は特に強力な効果を持つものばかりってきくよね。階級としてはいくつくらいなの?」
「テマラがいうには……階級2、らしい」
「階級2!? それってめちゃくちゃ強力じゃないの?」
そう。この指輪には強力な呪いがかけられている。
呪具や魔道具はその効果に応じて便宜上の階級がつけらている。
ランク1から10まで、数字が小さくなるほどランクが高くなり、その効果が確かなものとされている。
今、俺の手にあるこの指輪。蛇頭女の邪眼はランク2。
おそらく、使用すれば、ほぼ100パーセントの確率で標的を石化させるだけの力があるのだろう。そして、自分の目も、100パーセントの確率で石となるに違いない。
一体誰がこんな物を使用するというのだろう。
そして、なにより、一体誰が、こんなものを造りあげたのだろう。
レギーの視線は、さっきと少し違っていた。まるで、その指輪をおぞましいものでも見るような目つきになっていた。ま、そりゃそうか。
俺はそっとその木箱を閉じた。
その時、空気の揺れを感じた。俺達に誰かが近寄る気配。
俺とレギーはそちら視線を向ける。
そこにはクレタが立っていた。クレタの腕の中には体を小さくくるめ、すやすやと眠っているワイバーンのミュウがいる。
俺は思わず立ち上がり、話しかけた。
「クレタ……ここで、クレタの旅は、終わりなんだよな?」
「ええ、今、すべてを聞かされたわ……ミュウが誰で、“本来のわたし”が誰なのか、すべてを、ね……」
「……そうなのか……、クレタは、その……もうすぐ、魔術が解けてしまうのか?」
「そうね……わたしの役目が終われば、わたしは消える」
俺は、次に何を言えばいいのかわからず、言葉につまる。
さよならとか、お疲れ様とか、いろいろと頭を絞って考えたけれど、なんだかどんな言葉もふさわしくない気がした。
そして、俺はしばらく黙り込んだ後、クレタに右手をすっと差し伸べた。
クレタは一瞬戸惑った様子を見せたけれど、わかってくれたみたいだった。
少し微笑んだ後、クレタは、ミュウを担ぎなおして、手をだし、俺の手を握った。
そして、こういった。
「ありがとう、ウル」
最初で、最後の、握手だ。
そして手を離す瞬間、クレタはこういった。
「……それと、ごめんね、ウル……」
その声は、今にも消えそうなほど弱々しく俺の耳に響いた。
俺はクレタの目を見ていった。
「ごめんだなんて、言わないでくれよ。ここまで来たのは、俺の意志なんだから」
隣にいたレギーが突然顔を覆った。かと思うと小さく肩を揺らしはじめた。
「びぇぇぇん! せ、せっかく、クレタちゃんと、ミュウちゃんと、な、仲良くなれたのに……ひぅっく、ここで、お、お別れだなんて……ひぇっく、そんなの、ひどいよぉぉ……」
レギーは突然ぽろぽろと大粒の涙を両目からこぼし、ミュウの頭を優しく撫でた。
レギーは喉をしゃくりあげながら、続ける。
「ふぇぇぇん、わたしね、もうちょっと、く、クレタちゃんと、ミュウちゃんと、一緒に、、ひぃっく……この国を一緒に見て回りたかったよぉおお!」
あまりにも泣きじゃくるレギーの姿。その姿を見ていると、俺のかなしみは、どこかにひっこんでしまった。レギーは大声で泣きながら、なんどもミュウの頭を優しく撫でていた。
クレタが小さくいった。
「レギーちゃんも、本当にありがとう。わたし楽しかった。あなたと出会えて。あなたと話せて、本当に……短い間だったけど、幸せだったよ」
「ひぇっく……そんなこと言わないでよぉぉぉ、もっと悲しくなるじゃないのぉっ、ぉおおおおお、ひえっく……」
その時、すぐそばでテマラの声が聞こえた。
「おい、もう、その辺でいいか?」
俺がテマラに顔を向けると、テマラはバツが悪そうな顔で腕組をして突っ立っている。
テマラは、俺と目が合うと言った。
「呪いの“真実”を手に入れた、あとは解呪の儀式だ。ウル、ミュウを連れて、こっちに来るんだ」
俺はその言葉に従い、クレタからミュウを受け取ると。テマラに続く。
後ろから、さっきよりも大きくなるレギーの鳴き声が届いた。
「ひえっく……ウルゥ! がんばってねぇ! ひえっく……」
俺は立ち止まり、レギーに小さく手を振る。
「ったく……そんな泣き声で応援されても気が抜けるっつうの……」
俺は振り返ると、テマラのもとに歩みよった。
テマラの隣にはあの老婆がいる。
老婆はフードの奥から、くぼんだ目で俺を睨みつけると、枯れた声で話す。
「ちっ、何をピーピー泣いてんだい、あのメスガキは……うるさいったらありゃしない!」
どこかで聞いた事のある口調に、このどぎつい悪態。
なんとなくは思っていた。今確信した、この老婆はテマラにそっくりだ。
呪いの紋章師ってみんなこうなのか、それとも、たまたま似ているだけなのか。
俺は自分の将来が不安なった。俺の思いが伝わったのか老婆は俺に向かって指を突き出した。
「なんだか、生意気そうな目だねぇ、このクソガキは。アタシの一番嫌いなタイプだ、ふんっ、さっさとおやりよ!」
「ひえっ、おっかねー、ばーさんだな」
俺の心が、口をついて表に出た。
テマラが割って入る。
「よし、ウル、まずは魔術陣形をこの部屋の床一面に描いていくぞ」
それを聞いた老婆が呆れたような声を出した。
「魔術陣形を床に描いていく!? そんな初歩的な方法で解呪するのかい!?」
「わりぃな、ばあさん。こいつはまだ見習いの身でよ」
「そんな、まどろっこしい方法、いったいどれだけ時間がかかるんだい!」
「いやなら、アンタがやるか? 解呪くらいはできるんだろう?」
「ちっ、どうしてアタシがそんな一文の得にもならないことをしなきゃならないんだよ」
「ならば黙ってな、さ、アンタらは邪魔だ。部屋のすみに行ってもらおう」
老婆は悪態をつきながら、もうひとりのクレタを引き連れて壁際に進み、そこで陣取った。
テマラが俺に向き直り、自分のこめかみに指をつんつんとあてた。
「いいか、ウル、解呪の“魔術陣形”と呪詞(呪文)はすべて俺の頭の中にある。今からそれをお前に伝えるから、その通りに魔術陣形をつくれ、いいな」
「あぁ……わかった」
俺は小さくうなずいた。