呪具「メドゥーサの邪眼」 ★
薄汚い安宿に着くなり、テマラはレギーとクレタ達を部屋に押し込んで俺を表に呼び出した。
テマラは安宿の裏手に回ると小さな木陰に入り足を止めた。
いつになく鋭い目つきを俺に向けると、白髪混じりの髭に囲まれた口を開く。
「……どうにも嫌な予感がする、本当はこんなものをお前に渡したくはなかったが……」
テマラはそう言うと胸ポケットから小さな箱を取り出した。中で何かが転げまわるような音。テマラは、神妙な手つきでその木箱のフタを開けると俺に見えるよう傾けた。俺は促されるまま箱の中に目をやる。
「……なんだよ? これ……」
四角い箱の中には小さな指輪。中央についている宝石は毒々しい紫いろの光を放っている。宝石の中央に真っ赤な丸い模様がある。まるで、大きな目玉のような。
「これは“呪具”だ。以前教えたことがあるだろう。呪具は、単なる魔道具ではなく、呪いのかけられた、いわくつきの魔道具だ」
「ああ……魔道具の中でも、とりわけ強い力があるって……」
「念のために持ってきていたが、お前にこれを渡しておく。いいか、万が一の時は可能な限り時間をかせげ、そしてもう駄目だと思った時にこれを左手の小指にはめるんだ。ハメる前には必ず“呪具をはめるための呪詞”(呪文)を唱えろ。あとでおしえてやる」
「ああ、わかったよ。でも、呪具って、装備すると呪われるんだろう? 自分自身にもいろいろな呪いの効果があらわれるって聞くけど……大丈夫なのかよ……」
テマラは小さくため息をついて、指輪の入った小箱のふたを閉めると俺に手渡す。
「ウル、これは“蛇頭女の邪眼”と呼ばれる呪具だ。この指輪を小指にはめて目の前の物をにらみつけると、そいつは一瞬にして石化する。その代償として、使用者の片目も石になるといわれている」
「自分の目が……石に?」
「そうだ、つまり、“普通”の使用者ならば、この呪具は二回しか使えねぇ。両の目が石になっちまえば二度と“見る”ことができねぇからな……」
「……はぁ……聞いただけで、ゾッとするよ」
俺はじっとその小箱を眺める。テマラが続ける。
「ウル。前にも言った事があると思うが……お前には“呪いの耐性”がある。俺のかけた最高位の複合魔術である“黄泉がえりの呪法”をはじき返したんだからよ」
随分と前の話だ。俺とテマラが出会う事になった、あの日の出来事。いまだに鮮明に覚えている。
テマラはひと呼吸あけると、俺の目をじっと覗き込んだ。
そして確かめるように力強くはなす。
「いいかウル。お前は“黄泉がえりの呪法”をはじき返し、そして……よみがえった。あれは魔術の失敗なんかじゃねぇ。俺の魔術が失敗するはずがねぇんだからよ。俺の読みが正しければ、お前は呪いの影響をもはじき返す素質がある。つまりだ、お前は呪具の一番の欠点すら無効化する可能性がある」
前にテマラが言っていたことがある。
呪具における作用と反作用と呼ばれている現象。
一般的な魔道具を装備すると、その装備者には様々な効果が表れる。
例えば魔力が増幅したり、攻撃力が上昇したり、自分の身体的な特性や限界値を超え、大きな力を得ることができる。
魔道具にも様々な効果を持つものがあるが、その中でも“呪具”とよばれるものはとりわけ強い効果を持つものが多いそうだ。
そしてその反面、欠点がある。
その呪具にかけられた呪いである“よくない効果”もその身に降りかかってくるのだ。
強い力を手にすることに対する代償。
何かに力を加える時、必ず逆向きの力が現れる。
これになぞらえ、呪具の装備者に起こる現象の事を“呪具の作用と反作用”と呼んでいるのだ。
テマラの真剣な眼差しにおされながらも、俺はたずねた。
「でも、いったいどうして急にこの呪具を俺に?」
「さっきも言っただろう、いやな予感がする、とな。俺の本来の目的は、さっきの屋敷にクレタとミュウを連れていくことだった。そしてクレタをあの屋敷のジジイに引き渡し、報酬を手に入れ、お前たちをエインズ王国に連れ帰る事だったんだ。でも、今は、それがかなわなくなった。正直、ここからは、何が起こるかわからねぇ……念の為さ」
俺はなんだかテマラの妙な言いまわしにひっかかる。
何だろう、なにかがいつもと違う。珍しく気弱なセリフを吐くテマラに対する違和感だろうか。俺がちらりとテマラに目をやると、テマラはきまりが悪そうな顔で視線をそらした。
そして、気まずさを打ち消すように言った。
「ウル。ここは一度、エインズ王国に戻ったほうがいい……このままじゃあ……」
「いまさら!? どうしたんだよ、テマラ。ここまで来たってのに! どうせ戻るならクレタの連れているミュウの呪いを解いてからだろ?」
「そりゃ、それが一番だが、相手が悪すぎる。いいか、俺たちはいま、正体不明の“黒いナイフの追手”だけじゃなく、ダールムールの宮廷魔術騎士団達にまで追われるハメになったんだぞ」
「そりゃそうだけど……じゃクレタ達はどうするんだ? もちろん一緒に戻るんだよな?」
テマラは鼻でふふんと笑った。
「クレタとミュウとはここでおさらばに決まってんだろうが。もう一度エインズ王国にあいつらを連れ戻してどうなるってんだ」
「こんなところで別れたら、クレタ達はどうなるんだよ!?」
「そんなこと、俺の知ったことか」
「あぁぁ、やっぱりアンタは人でなしだ! どうしてそんなことができるんだ、今まで一緒に旅してきたのに!」
テマラはすっと腕を組んだ。俺はつい身構える。いつもなら怒鳴りつけてくる頃合いだ。けれど、やっぱり今日のテマラはどこか違っていた。テマラは俺に視線をむけ、ゆっくりと話す。
「いいか、ウル。そもそもクレタ達の当初の目的地は“ここ”なんだよ。このジジの町なんだ。そこから先はクレタ達が考えるべきことだ。俺たちがいようがいまいが、クレタ達はここを目指して旅をしていた。そして今、その旅を終えたんだよ」
「……そ、そうかもしれないけど」
「ウル、まだわからんのか? お前が”クレタ達の為に”と言いながらやろうとしていることはすべて、クレタ達からすれば単なるおせっかいにすぎない。クレタ達がそれを望んでいるとでも思っているのか?」
「そ、そんなこと言われたって……それでも、ミュウにかけられた呪いを解くのが……」
テマラの声が俺の話をさえぎる。語気が強まる。
「まだわからんようだからハッキリ教えてやる。ウル、お前は足手まといなんだ」
「な、なんだと?」
「気がついてないのか? クレタからすれば、自分の身一つ守れないお前やレギーは邪魔でしかない。足かせでしかないんだよ。お前もクレタの強さを見ただろう? その辺の宮廷魔術騎士団や追手なんぞにすぐにやられるようなタマじゃねぇんだ。お前のように身の程知らずなアホがまわりにいなけりゃな」
俺が足手まとい。
返す言葉が浮かばない。だって俺自身がずっとその思いを抱えていたから。
テマラやクレタと自分は違う、と。
それでも、力になりたいと。
図星だ。俺はぐっと唇を噛んだ。
きっとクレタも、今、テマラが言った事と同じことを思っていたんだ。
俺の事を横目で見ながら、優しく話しかけながら、ああこの子はなんて非力な存在なのだとおもっていたんだ。
なんの足しにもならない、と、そう思っていたんだ。
そしてそれはきっと、事実なんだ。
黙り込んだ俺にテマラがそっと話しかけてきた。
「ウル、お前はいつか強くなる。クレタ達の旅の終わりがここであっても、お前の旅の終わりはここじゃねぇんだ。だからよ、こんなところでまだ死ぬんじゃねぇ……おっと、一度、死んだ奴に言うセリフでもなかったな……さ、エインズ王国に戻るぞ」




