呪具『呪鎮(じゅちん)のタリスマン』
疑い深いマルコの視線を横に浴びながら、俺は背中の荷袋をドスンと床におろし中から正方形の木箱を抜き取る。寝台の横で腕を組んで見守っていたマルコが堪らずという感じで口を挟む。
「……その馬鹿でかい荷袋は何なのかと思っていたが、呪いを解く七つ道具でも入っているのか?」
「ええ、まぁ、そんなところです」
「しかし、こんな何の変哲もない寝室で、魔術を使った儀式など行えるのか?」
「大丈夫ですよ。おれのはちょいと我流でしてね……これを使うんです」
俺は木箱の中から、手のひらほどの小さな呪具を取り出して見せた。マルコは右に首を傾けて眉をひそめる。
「……ペンダントか?」
「いえ。これは”呪鎮のタリスマン”と呼ばれる呪具でね。いわゆる護符やお守りの一種です」
「それにしても、奇妙な形をしている。なんだかゾッとするな」
俺はふっと息を吸い込んだ。
俺は呪詞(呪いの魔術を使う時の呪文)を口元で小さく唱える。
スキル『呪具耐性』の発動だ。
天地万物 空海側転
天則守りて
我汝の 掟に従う
御身の血をやとひて 赦したまえ
俺はタリスマンがぶら下がっているチェーンを首の後ろに回し、かちりと留め具をつけた。
金に輝くタリスマンが俺の胸もとでキラリと揺れる。
効果:解呪の儀式を行う事ができるきわめて特殊な呪具。
「このタリスマンの形は炎と蛇を模しています。魔力の根源であるとされる業力の青い炎。このタリスマンにより精神を研ぎ澄ませどんな場所でも解呪の儀式を行えるように……」
「わかった、わかった。説明はもういい。なんだかよくわからぬが、すごい物なのだろう」
「え……あぁ、そうですかい。ちぇ、これからがいいところだってのに……」
マルコは「それ以上は無用」と顔の前で手を振った。俺は気を取り直して儀式の準備を進めた。
木箱を”祭壇”として寝室の片隅に置く。そして祭壇の上に青銅製の古びた香炉。俺の愛用品だ。その香炉の脇に羊皮紙で出来た、簡単なヒトガタを捧げる。
俺は自分の小指をガリりと噛んだ。傷口から流れ出る鮮血で、そのヒトガタに名を書き与える。
”Rize Stain bird”
このヒトガタに呪いを移し、そして”祓い清める”ことで呪障を消し去るのだ。
俺はヒトガタを供え、祭壇を見下ろして一息ついた。
俺は床の一点を指さし、マルコに告げる。
「マルコ様、そこに”偽物のリゼ”を寝かせてください」
「ん? あ、、あぁ、わかった」
マルコは不安げな言葉をつぶやくと、寝台に眠る彼女をすっと抱え上げ、俺の指さす場所にひざまずき素早く寝かせた。すぐに立ち上がり、数歩後ずさる。不思議そうに俺にたずねる。
「これでいいのか?」
「ええ。ありがとうございます。ちょうど、そこが魔術陣の中央です」
「魔術陣? わたしには何も見えぬが」
俺はゆっくりと祭壇に振り返る。目を閉じると周りは闇に包まれる。
俺は、自分の額を指でちいさくつついた。
「すでに……俺の頭の中にはこの部屋中に魔術陣が敷かれていますよ」
暗闇の中に立ちすくみ振り向く。俺は創造する。俺の体の中央。青い火がぽっとともる。
それは小さくゆらめきながら徐々に細長く上に伸び、蛇を形づくる。青い炎蛇は俺の胸から飛び出して、素早く部屋中を這いまわっていく。
するると線を描きながら、蛇の軌跡は魔術陣を描く。
三角、四角、それから正円。シンプルなはずの図形がそこかしこに組み合わさり、重なり合い複雑怪奇な幾何学模様を形作る。その隙間に蛇は魔術に使う、古代文字を次々に彫り込んでいく。
太古の神々、地底の悪魔、様々な名を借りた不思議な文字が混ざり合う。
魔術陣を描き終えた青い蛇は、役目を終えたあと、悠然と魔術陣の中央で眠る女に近寄り見下ろしている。
俺は、解呪の呪文を口ずさみながら、蛇が描いた魔術陣を指さし、なぞっていく。
なぞるたびに古代文字が浮き上がり、光を増していく。
上△と、下▽、六芒星の中央に横たわる偽物のリゼに青い蛇がよだれを滴らせ、長い舌を伸ばした。
その時、女の左手小指の指輪から、真っ赤な光が放たれる。聞こえてくるのは誰かの悲鳴。この声は、あの奇人の館で聞いた、あの石牢の中で聞いた叫びに似た笑い声。
白い仮面の女、リゼ・ステインバードの断末魔だ。
青い蛇は大きく口を広げると、その赤い光をガブリと丸呑みした。
そしてそのまま俺に一直線に襲いかかる、蛇は俺の胸の中を貫通した。
まばたきをするほどのひと時。
リゼ・ステインバードの記憶が俺の頭に流れ込む。断片的に千切れて浮かぶ場面、場面。
幼いリゼが弟をたかいたかいとあやす姿。
父と母に寄り添われ、看病を受けるベッドに横たわるリゼの姿。
年頃になり、父に何かを訴えるリゼの姿。
可憐な姿で、周囲の男たちの目をくぎ付けにするリゼの姿。
黒煙に包まれ、焼け落ちる屋内でうなだれるリゼの姿。
そして、目の前で、じっとこちらを見つめる、ランカの絶望のまなざし。
(間違いない、これは本物のリゼ・ステインバードの真実だ)
青い蛇は、俺を突き抜けた後、祭壇に置いてあったヒトガタにしゅるると吸い込まれた。
俺はパッと目を開いた。
暗闇はあけ、そこはさっきの寝室。
床には偽物のリゼが横たわり、その先、マルコが冷ややかな目つきでこちらをじっと見ていた。怪訝に口元をぐっと引き締めている。
俺は伝えた。
「終わりました」
「……おわった? わたしにはお前がそこに突っ立ってぶつぶつ何かを言っていたようにしか見えなかったが……?」
俺は何も言わずに振り向き、祭壇の香炉の横にささげていた羊皮紙を手に取る。
そのヒトガタにはリゼ・ステインバードの名の下に、ある呪印が刻まれていた。
あの指輪に呪いをかけた、呪いの紋章師の呪印。
俺はそのヒトガタをマルコに見えるようにかざした。
「マルコ様、呪いが解けました。ってことはつまり……」
マルコは鼻で笑う。
「この女は偽物のリゼであり、娼婦であり、ミカエルの愛人、お前に聞かされた話は全て真実だったという事か」
「ええ。残念ながら」
「なるほどな……ミカエルのガマオヤジ、このつけをどう払わせてやろうか……ふむ。こうしよう。明日の朝、尋問会を開く」
「尋問会?」
「そうだ、お前も来るがいい。ミカエルとこの女が、わたしをだましていたことをどう申し開きするか見届けてやろうではないか」
「で、でも……いんですかい? そんなことをすれば今回のルルコット家とステインバード家の婚礼の儀はご破算ですぜ?」
「いや。この尋問会は秘密裏に行う。ごくわずかな側近しか呼ばぬつもりだ、公の発表など、どうとでもできるのだ」
マルコはそういうと、何か考えを巡らせるような目つきで、毒々しい笑みを浮かべた。
その後俺は偽物のリゼにかけていた睡眠術を解こうとしたが、マルコに止められた。
マルコ曰く、明日の朝までは眠らせておいてほしいという事だ。俺はしぶしぶその言葉に従う。
「でも、マルコ様、彼女にかけている睡眠術は悪夢の呪いなんですよ。早く解いてやらねぇと……実はね、この睡眠術は時間が経てばたつほどにその悪夢の内容がえげつないものになっていくんでね」
「いいではないか。わたしを騙した罰だと思えばいい。見てみろ、わたしは今、悪夢のような現実にさらされているのだから、夢の中でくらい思う存分に苦しむがいいさ」
「い、いや……まぁ」
正直、俺にはあんまり関係ない話だし。一応、今回の俺の客はこの偽物のリゼなんだがな。
俺はどこか釈然としないまま、城内の客間に戻り夜を明かした。