ひどい言葉はみすごせないんですが何か? ★
テマラがたてた仮説、それは、追手は少人数、かつ、今襲ってくることはない、というものだった。
そこで、俺たちの優先すべきは“足”となる移動獣を探すこと。
小さな竜“ドラクル”を急いで探すことだ。
テマラはダロッソの森についてある程度の知識があるようで、ドラクル達の住み着いていそうな場所はすでに見当がついているということだった。
俺たちは苔むした大地を踏みながら、木々をよけて歩き続けていた。
俺は、この旅が始まってからというもの、テマラを見る目が少し変わりつつあった。
だって、あの屋敷の中でのテマラと言えば、女と裸で遊んでいるか、酒を飲んでいるかのどちらかだったのだから。しかし、今俺たちの前に立ち、俺たちを先導する背中は正真正銘の“紋章師”としての背中だった。
鍛錬を積み、幾多の実戦を潜り抜けてきた、魔術師の背中。
そのテマラの背中は、俺にとってとてもあざやかに映った。
あの屋敷の中で見ていたテマラと、今目の前にいるテマラが、まだうまく結びつかなかった。
その時、俺たちを先導していたテマラが立ち止まり振り返る。
額の汗をぬぐいながらこう言った。
「ドラクルを探す前に、このあたりで腹ごしらえといくか」
その言葉に、みなの間に漂っていた緊張の糸が切れて、空気が軽くなる。
俺たちは荷物を背中からはがして、各々の場所に腰を下ろした。
俺は、近くの苔むした石に腰を下ろして、荷袋の中に手を突っ込むと干し肉を取り出す。
そして、決められた分量をちぎって、かじる。
「おわ、すごく、かたいな……」
口の中で干し肉と歯の格闘が始まる。
俺がもごもごと干し肉を噛んでいると、目の前の木陰に座っていたテマラが皆に話しかけた。
「わりぃな、おめぇら。少ししくじっちまった」
俺は隣に座っていた、レギーと顔を見合わせる。テマラに目をやり聞いた。
「なにか、まずい事でもあるのか?」
「いやな。追手がすぐに襲ってこないのならば、慌てて出発する必要はなかったかもしれねぇとおもってよ。急いで出発しちまったから食料も最低限の物しかねぇし、お前たちの武器や防具もほとんど準備できずだからよ」
「あぁ……でも、仕方がないよ。だって俺たちが早く出たほうがいいと言ったんだし。あの時はすぐに追手が現れると思っていたから」
「まぁ、そうだが……な」
俺たちと少し離れた場所に立っていたクレタが、突然何かを思い出したように声を上げた。みんなの視線がクレタに集まる。
クレタは胸元に手を差し込むと、何かを取り出した。
クレタの手に握られていたのはとても黒い、とがったもの。クレタはテマラに近寄ると、その黒い何かを手渡しながら話した。
「テマラさん、これはわたしを襲った賊が落としていった暗殺用のダガーナイフです。胸にしまい込んですっかり忘れていました。これは、何かの手がかりになるでしょうか?」
「ふうむ……やけに重いナイフだな」
テマラはそのダガーナイフを手にまじまじと眺めている。ほどなく、口を開いた。
「これは、ダークマタイト鉱石製のナイフだな。ただ何かの手がかりになるかと言われると微妙だ……ごくごく、ありふれたものだ」
「そうですか……」
「しかし、エインズ王国ではあまり見かけない。その追手も、国外からエインズ王国に入り込んだ奴なのだろう。わかるのはそれぐらいかな」
クレタはどこか残念そうな顔をすると、ダガーナイフをテマラから受け取り、再び胸元にしまい込んだ。そして話を続ける。
「テマラさん。ここからダールムールへの道順はある程度わかっているのですか?」
「ああ、何度かこの森を抜けたことはあるからな。万が一追手が迫ってくるという状況ならば、凶暴な魔獣たちがいる場所を選んで進むつもりだったが、今のところ、追手が迫ってくるような心配はなさそうだ。少し楽な道で行けるから大丈夫だろう」
「わかりました。本当にありがとうございます」
「ふっ、礼を言うのはまだ早いだろう……しかし、クレタ。忘れちゃいねぇだろうな。この作戦を終えたら、報酬としてお前さんの持つその結界宝玉をいただくぞ?」
「はい……わたしは、構いません。もともとわたしをつくった主は万が一の場合はこの結界宝玉を手放してもいいといっていましたから。手放すのならば、せめてお世話になった人に譲りたいんです」
「なんだか、随分と……ま、それにしても、お前さんをつくった呪いの紋章師は相当に優れた紋章師のようだ。ここまで“人間のように”振舞う傀儡人形はなかなかお目にかかれない。恐れ入るぜ」
「ふふ……それは誉め言葉でしょうか、それとも……」
その時、テマラの声が突然、鋭くなった。
「おいクレタ。俺たちの心をあまりもてあそぶんじゃない。お前さんは、ただの人形なんだから」
空気が一瞬にして凍る。
そして、クレタの表情がすこし曇った。
と同時に、俺は立ち上がり叫んだ。
「テマラ! 急になんてことを言うんだ! クレタに失礼じゃないか!」
テマラは座ったまま、俺をじろりと睨みつけた。俺も見返す。テマラは俺から視線をそらさずゆっくりと口を開く。
「……ほら、みろクレタ。ウルのやつはお前さんにのぼせちまっている。俺のさっき言った言葉の意味が分かったか?」
「テマラ! 取り消せよ! クレタに謝れ!」
「ウル、頭を冷やせ。クレタはただの人形だ。心なんて持ってやしないし、何を言っても傷つきはしない。クレタはいま悲しんでいるんじゃない。悲しい顔を作っているだけだ。こいつを作った呪いの紋章師の決めたルールに従ってな」
「そんなことはどうでもいい!」
腹の底が燃えるように熱かった。湧き出る怒りが零れ落ちてくる。しかし、その時、クレタが一歩進み、テマラと俺の間に割って入った。
俺は悲しげな表情のクレタを見つめる。
「クレタ……」
「ウル。いいの。テマラさんの言う通り。わたしはただの人形なの。だからわたしの事で怒ったりしないで、お願いよ」
「そんな……でも……失礼じゃないか……キミに、失礼だ……」
その時、クレタの後ろに座り込んでいたテマラが立ち上がりこちらに進んだ。
「わかった、わかった。俺がわるかった。クレタに謝る。わりいなクレタ。許してくれ、口の悪いオヤジの冗談さ」
ふざけているのか。その謝り方。テマラ。俺の怒りに油を注ぐ気か。
この旅が始まってから、少しテマラを見直しかけていた。俺はそんな自分が恥ずかしい。
やっぱりテマラは根っからのクズだ。
クレタに失礼な態度をとったことに腹を立てているのか、自分の期待を裏切られたことに腹を立てているのか、よくわからない。けれど、俺はとてもテマラに腹が立った。抑えきれないほどに。
俺がもう一度、怒りに任せて、口を開こうとした時、それをさえぎったのはレギーだった。
「ねぇ! なにか、聞こえない? ほら、なにかの鳴き声」
その言葉に、全員が水を打ったように静まり返る。
耳をすましていると確かに聞こえる。甲高い何かの鳴き声。
この鳴き声。
クレタが口を開く。
「この鳴き声……ワイバーンよ。空の方から聞こえる。この森の上……まさか追手が?」
その時テマラが告げる。
「おい、おめぇら、とにかく身を隠せ!」
俺たちはひろげていた荷物をあわててかき集めて近くの木陰に飛び込んで身を潜めた。
まさか、すでに追手が。俺たちは互いの位置を確認しながら、しばらく息をひそめて、じっとしていた。嵐が通り過ぎるのを待つように。
ほどなく、ワイバーンの甲高い鳴き声は遠くなり、そしてついに聞こえなくなった。
去っていったのだろうか。
俺たちは警戒しながらも、木陰から身を乗り出して、空を見上げる。
空といっても野太い木々の枝に阻まれて、青色が見えるのはところどころだ。空から見て俺たちの姿が見えるとも思えない。
しかし。
テマラが口を開く。
「追手かどうかはわからんが、早めに動いた方がよさそうだ。とっととドラクルを探そう」
俺たちは食べかけの食料を荷物にぶち込み、移動を開始した。