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クレタのこころ ②





わたしの名はクレタ。

呪いの紋章師の魔術により生み出された“傀儡人形(パペットドール)”という命のない人形。わたしが自分について知っている事は。今はそれだけ。

記憶、と呼べるのもは見当たらない。



わたしは、ふと、腕の中に抱いている小さくて赤い幼竜を見る。




「よく眠る子ね……」




その時、その幼い竜は、また小さく、みゅうう、と鳴いた。

寝息なのかなんなのか、とにかくわたしの言葉に応じてくれたように思えた。

その時思いついた。この子に名をつけようと。




「そうねぇ……あなたの名は、ミュウね。よろしく、ミュウ」

「……みゅうぅ……」

「やだ、また鳴いた」




その鳴き声に、なぜか笑いがこみあげ、クスリと口元を押さえる。

周囲はすでに薄暗い。私は気をとりなおし、霧が染み渡る鬱蒼(うっそう)とした森の中を急いだ。





わたしを魔術で生み出した主は老婆だった。

“呪いの紋章師”と名乗るその老婆にもらった紙切れを、胸ポケットから取り出して立ち止まる。

紙切れに目をやると、そこにあるのは簡単な地図。

その地図によると、いま、わたしがいるこの場所の近辺は“沼地”とのみかかれている。

そして、“沼地”と描かれているさらに先、地図の指し示す方向に“ワイバーン”と書かれてれているのだ。





「……ここにワイバーンが準備されている、という事なのかしら……」




ふと周囲を見渡しても、天まで届きそうなまっすぐな木々ばかりだ。

沼なんてものは見当たりはしない。けれど、この地図しか私には頼るものがないのだ。

この地図の矢印と方角を頼りに進むしかない。



周囲から魔獣たちの土臭いニオイが立ち込めているけれど、その姿は見えない。

この森に入ってから、ただの一度も魔獣たちとは遭遇していないのだ。

あの老婆にもらった“魔獣除けの結界宝玉”とやらのおかげなのだろう。

私は地図をしまい込み再びミュウに目をやる。




「……魔獣除けの結界宝玉を使用中だというのに、ミュウ……あなたは平気なのね」




きっとミュウは魔獣ではないのだろう。最初からそんな気はしていた。

だって、この子の目には知性が宿っている。きっと何かの魔術で姿かたちを変えられているのだと思う。

わたしがミュウをぐっと抱えなおし歩を進めようとした時。

ぱきり、と枝を踏みおる音がすぐそばで響いた。

わたしは動きを止め、息をひそめる。

そしてゆっくりとそちらに目をむけた。魔獣は近寄ってこないはず、だとすると。





「おひょー、こんなところにヒト族がいるぜ」




そう言いながら姿を現したのは獣人族の男。ボロをまとったそいつは木の影から飛び出してその毛むくじゃらの姿を見せた。額の両脇からは銀の角が生えている。男は手にもった大剣をこれ見よがしに体の前にかかげた。こもったような声がわたしの耳に届く。




「オイ女、こんな魔獣だらけの森の中、ひとりじゃ危険だぞ?」




そいつはどこか得意げだった。うすら笑いを浮かべてへらへらと。

わたしは素早く周囲に目をやる。見渡す限り、他には誰もいないようだ。

男はゆっくりと地を踏みながらこちらに歩み寄る。重そうな体を支えるその足元から大きなひづめがちらりと見える。その大きなひづめを湿った大地に食いこませて男はさらに近づいてくる。そしてまた、話しかけてきた。




「怖がらなくても、大丈夫だ、この森は危ないからよ。俺が一緒に目的地まで行ってやるぜ」




わたしは男をじっと眺める。

この国の国境警備隊というには、みすぼらしすぎる格好。だとすると盗賊の類かもしれない。

わたしは胸元に抱いていたミュウをそっと足もとにおろした。

なぜ突然足元にミュウをおろしたのか、自分でもよくわからなかったけれど、ただ体が自然とそうした。わたしは小声でミュウに告げる。





「ミュウ、少しだけ、じっとしていてね……」





わたしは立ち上がり男と対峙すると、口を開いた。





「この森にある“沼地”を目指しているのですが、この先でいいのですか?」





男は立ち止まり目をまるくした。




「沼地? この先の沼地っていやぁ飛竜の谷にある沼地の事かぁ? あんなところに女一人でいくとは、死にに行くようなもんだぜ?」

「……でも、どうしても行かなくちゃいけなくって……」

「ほう、そうかい。じゃ、俺が道案内してやるよ」

「いいのですか?」

「いいってことよ。こまった時はお互い様だからなぁ」





男はそういうと、さらにその巨体をゆらりと動かしこちらに、にじり寄る。

相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべて。かすかに開く男の口元から黄色い牙が見えた。

男はその湿った牙を見せながら、続ける。





「困った時はお互い様ってことでよぉ……道案内はしてやるが、俺のたのみもきいてくれるかぁ?」

「……あなたの……頼み?」

「そうそう……俺のたのみだ」

「……ええ、私にできる事ならば、聞きますけど……」

「それはよかった、俺のたのみはなぁ……オマエの持ち物全部よこしてくれねぇかって頼みなんだがなぁ。そうすればなぁ、命まではとらねぇよぉ?」




盗賊、か。

それにしも、なんて回りくどい盗賊だろう。

わたしの命と荷物が欲しければ、見つけるなりにその手にもつ大きな剣を振り上げればよかったのに。

男はへらへらしながらついにわたしの前に立ちはだかった。

わたしのゆうに3倍はあろうかというくらいの大きく盛り上がった体。その体中から獣のニオイが発散されている。

男はわたしを見下ろしながら、勝ち誇ったようにつぶやいた。




「大丈夫だ、女。痛くないように、してやる」




わたしは男を見上げた。

普通ならば、勝ち目はない勝負だろう。

でも、わたしの心のどこにも恐れは沸いてこなかった。



どうしてだろう。

わたしが魔術により作り上げられた“傀儡人形(パペットドール)”だから?

わたしにはもともと心がないから?

わたしが、ただの人形だから?




いや。そのどれでもない。

わたしは自分の名前しか知らなかった。

でも、いまもうひとつわかったことがある。

それは。わたしがこの獣人族の男よりも“強い”ということ。

わたしにはわかる。この男はわたしに傷一つつけられない、と。




わたしには思い出せるような記憶がない。

けれど、体得し、体に染みついた戦いの記憶というものは自然とその身から滲み出てしまうものなのだろう。



なぜ、さっき、わたしがミュウを足元におろしたのか、今わかった。

わたしは自然と、闘いの準備をしていたのだ。

目の前の、この獣人族の男が道案内などせず、わたしを殺そうとしてくるとわかっていたのだ。



わたしは男に目を向けて、にこりと笑い、つぶやいた。




「……あなたわたしを見てから、ずっと笑っていたよね。わたしの見た目は、あなたにとって、さぞ気分のいいものなのでしょうね」

「……? 何をいってんだ?」

「か弱いヒト族の奴隷の女……とでも思っているのでしょ。命乞いでもすると思った?」

「なんだ? お前はぁ?」

「うふふ……」

「何がおかしい!! この奴隷女め!!」




獣人族の男は大きな剣を両手につかむと、私に向かって一気に振り下ろした。

数秒後には、その剣で自分が切り裂かれるハメになるだなんて、思いもしていないのだろう。

その滑稽な結末を知って、誰が笑わずにいられるっていうのかしら。






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