クレタのこころ ① ★
さて、ここでいったん視点はウル達からはなれます。
クレタの視点へと・・・・
ではでは・・・・・
ウル達に促されて、わたしは屋敷の二階にある部屋に足を踏み入れた。
奥に進み、ベッドに座ると、いつものようにミュウをひざに乗せて頭をやさしくなでた。
わたしたちがエインズ王国に逃げ込んでから、幾日経っただろうか。
わたしたちの束の間の平穏は、今朝の襲撃で無残にも破られてしまった。
わたしのひざの上でミュウはすやすやと寝息を立てている。
「……ミュウ、あなたはいったい誰なのかしら……そして……わたしはいったい誰なのかしら」
わたしは胸の内ポケットに忍ばせていた短い剣を取り出し、窓から差しこむ白い光にかざす。抜き身のダガーナイフ。わたし達を襲った賊の落とし物。つばはなく、その剣身は黒い。その黒は、光を反射せず、鈍くくすんでいる。
いったい何の材質で出来ているのかはわからないけれど、不思議なほどに重かった。
「暗殺用の短剣……使用者の身を守る事なんて、まるで考えられていないつくりね」
わたしはその不吉な剣をそっと胸にしまう。
もう一度ミュウの頭をなでると、そっと目を閉じる。
耳をすませば、遠くから聞こえてくるのは主の声。ふいに記憶がよみがえる。
主の声はいいようもなく、禍々しいものだった。
まるで敵意を向けられたような、そんな声。
わたしが生まれた瞬間、主はその声でこういい放った。
「さっさと目を覚まさないかい! このウスノロめ!」
わたしはその怒号のような声にびくりと肩を震わせ、慌てて目を開いた。
薄暗く狭い小屋の中、わたしは立っていた。
目の前には濁ったような紫色のけばけばしいローブがゆれている。よく見るとそのローブにくるまれているのは背の曲がった老婆。
落ちくぼんだ眼窩の奥から濁った光を放ちながら老婆は言った。
「やっと起きたかい。まったく」
いったいわたしが何をしたというのだろうか。目の前の老婆はいやに不機嫌そうだった。
わたしと同じくらいの背丈の老婆は、そのしわだらけの顔をわたしの真正面に持ってきて私の目をじっくりと覗き込んだ。わたしはされるがまま、身じろぎひとつできずにいた。
しばらくして老婆は不敵に笑う。
そしてささいた。
「ふうむ……どうやら、今度はうまくいったようだね。いいかい、お前はアタシが作った傀儡人形だ。アタシのいう事をよく聞くんだよ」
わたしの口が勝手に動く。
「はい、あるじ様」
老婆はにたりと笑った。
その口は真っ赤に裂け耳まで届きそうなほどだった。
「ひひひ、さ、彼女を守れ、それがお前の生まれた理由だ」
老婆はそういうと、体を少しずらして私の足元を指さした。わたしが足元に目をやると、そこには小さな赤い竜がうずくまっている。わたしの口が再び勝手に動く。
「はい、あるじ様」
老婆は鼻をふふんと鳴らして、また不機嫌そうに顔をしかめた。
「ふん! 芸がない返事だねぇ!」
わらったり怒ったり忙しい人だ。
老婆はわたしに背を向けると、すぐ後ろにあるテーブルの上の分厚い本に手を伸ばす。胸もとでパラパラとページをめくりながらぶつぶつとつぶやいている。
「ちっ……もう少し普通に話せないのかい。そんなんじゃ怪しまれちまうさね……もう少し、“条件分岐”をやりなおしたほうがイイのカネ……面倒くさいったらありゃしない……」
その時、老婆がおもむろにわたしにむかって手をかざすと、何か複雑な言葉を唱えた。老婆の手からぼんやりと光が浮かんだかと思うと、わたしの体に飛び込んでくる。
次の瞬間、わたしの体が突然、軽くなった。それを見ていた老婆が言う。
「さ、その子を抱いて、さっさとここから逃げるんだ。お前の使命は“彼女”を守る事、ただそれだけだ」
老婆はそういうと手に持っていた分厚い本から一枚の羊皮紙を取り出してわたしの手に持たせた。
「ここに逃げ道の経路が書いてある。この手順に沿って進むんだ。そしてね、ここからが重要なことだからよくお聞き。いいかい、もしも彼女を守ることに失敗すれば、お前は愚図の用無しになる。その時、お前の体は、ただの紙切れに変わり、そのまま消え去る。お前が生き残るためには彼女を守らなくていけないのだよ。わかったかい?」
わたしは小さくうなずいた。
「ええ、わかったわ」
老婆はどこか満足げに口をゆるめた。
「ひひひ、いい返事だ。やればできるじゃあないか。これがアタシからの最初で最後のご褒美だよ」
老婆はそういうと、どこから取り出したのか手の平にすっぽり収まるほどの綺麗な宝石を握っていた。それをわたしの目の前に持ってくる。
「いいかい。これは魔獣除けの結界宝玉といってね。とても高価な魔道具だ。これを持っていれば凶暴な魔獣も尻尾を巻いて逃げていく。ただしこの宝玉は割れてしまえば効果が無くなる。大事にするんだよ。万が一どうしてもカネが必要になれば、うっぱらっちまいな。ただし裏でね」
「わかったわ。ところで、何か武器はないの?」
「武器など、どこにでも転がっているじゃないか。石ころですら武器になる。それがお前の強みだろう? クレタ」
「……クレタ? ……わたしはクレタというの?」
「そう、お前はね、泣く子も黙るアスドラの女戦士クレタだ。ひひひ……じつに滑稽なあだ名だねぇ」
老婆はわたしの名をどこか馬鹿にしたようにつぶやいた。
でも、その名を聞いた瞬間、わたしのなかに力が宿った気がした。
わたしは、ふと老婆にたずねる。
「あなたは、だれ?」
老婆はわたしをぎろりと睨んだ。生意気な、というような目つきで。そして、こう答えた。
「アタシは呪いの紋章師、名はない。そんなものはとっくに捨てたのさ」
わたしは足元の小さな赤い竜を胸に抱くと、老婆をかわして、小屋の扉を開いた。