帝国からの逃亡奴隷 ★
その日の夜。
夕食のあと、食器洗いを手伝い終えてから俺たちは再び食堂に戻り少し話そうという事になった。
しかし、クレタは早々に食堂から出ていった。もちろんのこと、ミュウを一緒に連れて。
クレタの背中を見送った後、どことなく白けてしまった空気がながれた。
俺は沈黙を破り、目の前の席に座っているレギーに聞いてみた。
「なぁ、レギーは、俺達三人の一つ奥の部屋だったよな。その部屋でクレタと一緒なのか?」
「いいえ。あの部屋はわたしひとりよ。さっきデリアナさんに聞いたんだけど……クレタちゃんは、このお屋敷の裏手にある納屋に寝泊まりしているんですって」
「な、なや!? 納屋って馬とか羊とかを飼う小屋の事だろ?」
「ええ。ミュウちゃんがそこにいるから、自分もそっちに泊まるっていってきかないんだってさ。デリアナさんが、それならばミュウちゃんを屋敷に連れてきなさいって言ったみたいだけど、納屋でいいって言ってきかないんだって」
どうして納屋なんかに。いくらミュウが大事だといっても、それはさすがに。
俺の気持ちをそのまま、シールズが口に出した。
「言葉はわるいけど。クレタのミュウに対するあのかまいっぷりは普通じゃないよね。最初は大事にしているんだなって思ってたんだけど、あそこまでいくとちょっと気味が悪いよ」
レギーが俺の目を見てたずねる。
「何か事情があるんだろうなっておもってたから、聞かないようにしてたんだけど。クレタちゃんってどういう子なの?」
俺はバルトロスとシールズに目くばせをする。二人ともが小さくうなずいた。レギーに事実を話すことに異議はなさそうだ。俺はレギーにクレタをここに連れてきたいきさつを話した。もちろん他言は無用との条件付きで。レギーは一通り話を聞き終わった後、かけていた大きな丸メガネをくいっともちあげる。メガネの奥の瞳に真剣な光が宿る。
「アスドラ帝国から来たクレタ……でもこの国の隣は砂の国ダールムールでしょ? アスドラ帝国を抜けだして、ダールムールを超えて、さらにこの国に入って来たってわけ? 女の子ひとりでできる旅じゃない気がするけど」
俺の隣に座るバルトロスが腕を組んで答える。
「いや、クレタにはどうやら従者がいたようだ。しかも獣人族の従者が。残念ながらそいつは俺たちの目の前でワイバーンと一緒に墜ちていき、そして死んでしまった」
「クレタちゃんと、あのミュウちゃんだけが生き残ったの?」
「俺達が見た限りではそうだ。もちろん俺たちの知らないこともたくさんあるだろうけど」
「ふーん。アスドラ帝国はもともと獣人族が建国した、獣人族たちの国だからね。あの国ではわたしたちヒト族はしいたげられているってきくけれど……クレタちゃんは見る限りわたしたちと同じヒト族よね」
たしかに。レギーの言う通り。
アスドラ帝国の初代皇帝は獣人族の種族のひとつ獅子人だ。
獣人族によるの獣人族の為の国ともいえる。そこでは俺たちのようなヒト族はかなりひどい扱いを受けているともいわれている。何の理由で逃亡したのだろうか。
可能性としては。
「逃亡奴隷……とか?」
俺の言葉に、レギーがうなずいて反応する。
「よね? わたしもおもったわ。アスドラ帝国は奴隷貿易で成長した国よ。あちこちに戦争をしかけて領土を拡大していった。そして、支配下におさめた国の人々を奴隷として使役したり、売り払ったりしているって歴史学で習ったけど。いまはだいぶん下火になっているみたいだけど……」
「ただ、クレタが逃亡奴隷だとしても、なんだか不自然なんだよな」
「何が不自然なの?」
シールズがバルトロスの向こうの席から参加する。
「クレタの所持品だよ。クレタ、魔獣除けの結界宝玉を持っているんだ。それのおかげで魔獣がうようよしている地域でも危険な目にあわずに旅を続けてこられたんだと思う。結界宝玉なんて超高価な魔道具、ぼくうまれて初めて見たんだから」
レギーが目を丸くする。
「結界宝玉? そんな高価なもの普通の人じゃ持てないわね……クレタちゃんが、アスドラ帝国のなかでもそれなりの身分の人ってことかなぁ……ってかさぁ」
レギーが急に話をきる。俺たちを厳しい目つきで見渡して続ける。
「あのね。わたし思うんだけど。こんなところで、あれこれ言っていないでクレタちゃんに直接聞けばよくない?」
図星。
俺達三人がなかなか言い出せなかったことを、ついにレギーが指摘した。俺が答える。
「それがさ、聞こうと思ってもなかなかチャンスがなくてよ。クレタは密入国してきたんだ。正直に話してくれるかもわからないし、話したくない事もたくさんあるだろうし……」
「はぁ? 聞くチャンスがない? ウル、いったいどの口が言ってるのよ。いつもの無神経さを発揮すればいいだけでしょ」
「なんだとっ! 俺がクレタに獣の紋章師だってバラした事をまだ根に持っているのかよっ」
「あったりまえでしょ! あれからわたしがクレタちゃんと話す時にどれだけ気を遣っているとおもっているのよ! 一生言い続けてやるから」
「めんどくせーなぁ」
「なんですって!」
椅子を後ろに蹴飛ばすように、同時に立ち上がった俺たち。
それを、すかさずいさめるように、バルトロスが強引に割ってはいる。
「やめろ、その話はもういい。クレタがどういう身の上にしろ、重要なのはこれからどうするかだろ。違うか?」
熱する前に冷や水を浴びせられた俺とレギーは喧嘩をやめてふたたび座る。
気を取り直す。
確かに、言われてみればその通り。クレタがどういう身分であろうと、過去よりもこれから先の事が一番重要だ。レギーがため息交じりに話す。
「そうねぇ……一番確実なのは、教会に引き取ってもらうって方法ね。身よりのない子たちを修道院で預かっているでしょ。それが一番だと思うけど」
バルトロスがうなずく。
「そうだな。クレタがどういうかはわからないが。その方法が一番、というよりそれ以外に方法がない気がする」
「ここから一番近い街の教会に明日みんなで行ってみる?」
「いや、なんだったら俺たちの通っているマヌル紋章師養成院のあるヒュユクの町の教会をあたってもいいかもしれない。俺たちも時々会いに行きやすいし」
ヒュユクの町の教会にある修道院に相談する。これで皆の意見は一致した。
あとはそれでいいか、クレタに聞いてみるだけだ。本人がどうしたいかが一番重要なのだ。
クレタはもう寝てしまっただろうから、クレタに確認するのは、また明日になりそうだ。
その作戦会議の後、俺たちは部屋に戻った。
少し道筋が見えると、その道がたとえおぼろげであったとしても、ある程度は気持ちが落ち着くものだ。少しだけ心が軽くなったような気がした。
部屋にはいり、ほどなく俺たちはそれぞれのベッドにもぐりこんだ。
シールズはあっという間に寝息を立てている。静まり返った室内。妙に頭がさえる。納屋にいるクレタがどうにも心配になる。冷えた夜の空気の中、納屋なんかに女の子をひとりで寝かせておいていいものだろうか。見に行ってみよう。
俺がそっと体を起こすと、隣のベッドからバルトロスの声がした。
「……どうした。ウル、眠れないのか……」
「……あ、起こしちまったか、悪い。なんだかクレタの事が心配でさ」
「実は俺もそうなんだが、レギーが護衛をつけてくれているらしいから、大丈夫みたいだぞ」
「護衛?」
「ああ、納屋の回りにいる小動物に“知らせ”の魔術をかけているらしい。何か異変があれば鳴き声でしらせてくれるそうだ。だから安心しておいて、と」
「そうなのか……レギーの奴、俺にはそんな事ひとことも教えてくれなかったのに」
「それと、レギーはこうも言っていたぞ。ウルとシールズはそんなことには気が回らないだろうから、バルトロスだけに伝えておくね、ってな」
「ったく……でも、ま。それならひとまずは安全か……」
俺はベッドに体をよこたえて肩まで毛布を引っ張り上げた。
眠りに滑り込む。
しかし、太陽ののぼりきらない、朝の少し前。
沈黙を破ったのは、遠くからの、まるで助けを求めるような、動物たちのひめいだった。
ぼんやりとした闇の中、動物の鳴き声で目を覚ました俺はベッドの上で飛び起きた。
咄嗟に隣に目をやるとベッドはすでにからっぽ。反対のベッドは。
そこには大きな口を開けていびきをかいているシールズの姿。
俺はシールズを叩き起こして、すぐに屋敷裏の納屋に来るようにいうと、部屋から飛び出して納屋に向かった。
外に出るころにはすでに息が切れる。俺は自分のこのからだを呪った。
はだしのまま屋敷を回り込み裏手に回ると、靄の中に姿を見せる古びた納屋。周囲はひざ下程の柵で囲まれている。
動物たちの鳴き声があちこちから聞こえるのに、不思議と姿は見えない。
その時、視界に入ったのは草むらに横たわる人影。
あの背中。寝間着姿のバルトロス。
「バルトロス!!」
俺は乱れる呼吸を整えて思い切り叫んだ。バルトロスの肩がピクリと反応する。よかった。意識はある。俺は一気にかけよって膝まづくと、バルトロスを仰向けに肩を抱え上げた。
「大丈夫かっ!」
「……ウルか……くそう。歯が立たない。や、やつが……納屋の中に……」
バルトロスはそう言いながらゆっくりとある方向を指さした。その指の先に視線を向ける。
闇を含んだ納屋の入り口がひっそりと口を開けている。あの闇の中に、賊が。
俺はバルトロスの肩をゆっくりとおろして立ち上がる。バルトロスが俺を引き留める。
「ウル……危険だ、みんなが来るまで……まて……」
しかし俺の足は勝手の前に前に進んでいく。徐々に大きくなる納屋の入り口。
中からかすかな物音が聞こえる。その時、入口から真っ黒の人影が飛び出した。丸腰の俺は咄嗟に両手の拳を握り、体の前に身構える。人影は見事なほどの体さばきで全身を回転させて、草むらに着地した。
全身、黒のローブマントに身を包んだそいつは、ゆっくりと立ち上がった。
頭にはすっぽりとフードをかけていて顔が全く見えない。そして両手に手のひらサイズの短剣。刃から赤い血がしたたる。
賊は俺に気がついたのか、少しの間こちらをうかがうように動きを止めた。
その時、納屋の入り口から大地を踏みしめる音。クレタがゆっくりと現れた。
すらりと伸びる長剣を右手に。次、クレタは何も言わずに長剣の切っ先を賊にむける。
その挑発にのるように、賊は腰を落としたかと思うと、一気に距離をつめ、クレタに飛びかかった。
両手から繰り出される賊の双剣の軌道。クレタは手にした長剣でその流れをすべてはじき返す。まるで流水のようなあざやかな剣さばき。
あちこちから聞こえてくる動物たちの悲壮な鳴き声と剣のこすれ合う音が重なりながら、朝もや煙る湿った空気中にひろがる。
「……あれが、クレタ……?」
俺は足元がすくみ動けなかった。俺なんかが入り込む余地がないほどに拮抗した剣と剣のまじりあい。それも、一つの瞬間、がらりと流れが変わる。
キィィ____ン
耳をつんざくひときわ甲高い音が響いたかとおもうと、賊が後方にバランスを崩す。
クレタはひざまずいて、一歩前に踏み出すと、賊の首元に剣を下から一突き。あごから脳天にかけてのとどめの一撃かとおもいきや、賊は軌道のスレスレでかわし後方に跳躍する。さらに後ろに飛び下がると、柵を飛び越えて、そのまま振り向きもせず霧の中に走り去っていった。
永遠に続くかと思われた、一瞬の出来事。
呆気に取られて見守っていた俺に気がついたのか、クレタがこちらに走り寄る。
そして俺に伝えた。
「ウル……はやく。バルトロスを手当てしないと」
その言葉に我にかえった俺は慌ててバルトロスの元に戻った。