昼間の魔術練習 ★
昼食の後、俺とバルトロス、シールズの三人で屋敷近くの森を散策する。
しばらく歩くうちにみつけた、少し開けた場所。
木々の密集が少し薄らいで、青い空が見渡せる。ちょうどいい広さ。
俺とバルトロスはあたりをぐるりと見回し、互いの顔を見合わせ、うなずいた。
ここは、魔術の練習場所にぴったりだ。
少し遅れてきたシールズが、情けない声を上げる。
「おえっぷ……お昼ご飯食べ過ぎたよ……ここで魔術の練習するの?」
バルトロスが肩にかけていた荷袋を地に置いた。
「シールズ。お前は盾の紋章師だろ。最前線に配置される紋章師のくせに、後れをとるとは何事だ」
「ちぇっ、大げさな……でも本当に魔術なんて使っていいのかな。養成院の中じゃ魔術の使用は厳しく制限されているのに」
「だからこそ、だろ。お前は試験後の“解放の日”の本来の意味を理解していない」
シールズは額をぬぐいながら、まるで興味がなさそうに顔を上げる。
「解放の日の意義だって? そんなの、ただの試験休みってことだろ?」
「わかってないな。もちろん息抜き期間という意味合いもあるが、“解放の日”の本来の意義は、すべての制約から解放される期間というのが養成院のしきたりだ」
「つまり?」
「なにをやっても自由ってことだよ」
バルトロスはそういうと腰にかけていた鞘から長剣を引き抜いた。伸びた銀の剣身は陽を跳ね返しギラリと光る。バルトロスはおもむろに剣を構えて、空気に一振り。かすかに剣に触れた足元の雑草がパッと散る。
「ふう、ようやくだ。ここで思いきり剣の紋章師としての力を試すことができる。シールズ、相手を頼むぞ」
草むらの上に座り込んでいたシールズは荷袋から魔術書を取り出しながら不思議そうにバルトロスに聞いた。
「相手を頼むってなにが?」
「お前は盾の紋章師だろ。俺の“剣”とお前の“盾”で実戦さながらの稽古をすれば一石二鳥だ」
「じ、実戦稽古? いったい何を言っているのさ! 僕はここでゆっくりと魔術書を読むつもりで来たのに!」
「馬鹿な。座学などいつでもできる。今はここでしかできないことをするべきだぞ」
「だからって。実戦稽古だなんて。 そんなのはウルとやってよ」
俺はシールズの適当な提案を即座に却下する。
「俺はパス。いいか、俺は呪いの紋章師なんだ。戦闘の最前線に立つような紋章師じゃないし、そもそも実戦向きじゃないんだから。まぁ審判ぐらいはしてやるよ」
「そんなぁ……」
泣きそうなシールズを気にする風でもなくバルトロスは勇ましく剣の素振りをはじめた。今朝からずっと沈んだような表情をしていたバルトロスだったが、いつもの顔に戻ってきたようだ。
剣の紋章師も、盾の紋章師も、呪いの紋章師も、扱う魔術の種類は違えど“魔術師である”ことに変わりはない。
紋章師の扱う魔術の基礎として呪文の詠唱がある。その呪文は“ノリト”と呼ばれる。
魔術の発動には“呪文”の詠唱が必要なのだ。
しかし、この“呪文”というやつが実に厄介なのだ。
はるか昔に考案された古代語が基本となる。
その古代語の性質として、まず、発音が難しい。そして長い。そこに加えて表記にするとさらに難解な文字列になる。これらをすべて覚えなくてはいけないのだ。
例えば、俺たちの話す言葉ならば数文字で済むような内容ですら2、3行の文章になるといえばいいだろうか。
当然ながら、最初のうちは魔術書を片手に練習するはめになる。
何十回、何百回と練習する。そして、自然と口ずさめるというレベルにまで達しないと、とてもじゃないが実戦では活躍できないのだ。
予想通り、俺の目の前ではその滑稽な光景が繰り広げられている。
実戦稽古だ、なんて大口をたたいたバルトロスですらその例外ではない。
右手に剣、左手に魔術書。バルトロスは魔術書を眺めながらぶつぶつとつぶやいている。
「ヌアースティ・ディ・ディアハゥーラ、ええと、あ、ええとっていたらダメなんだな。また最初からだ、ヌアーゥスーティ・ディ・ディアウハーラ、あれ? あ、また最初からだな」
バルトロスの目の前には大きな土の壁が立ちはだかる。シールズの防御術による土の隔壁だ。それをなんとか維持しているシールズが隔壁の後ろで手をかざしながら、バルトロスを急かす。
「なにやっているんだよ。バルトロス。いつになったら試し切りがはじまるのさ。僕の魔力は無限じゃないんだ……あぁ、もう、だめ。集中力が切れる!」
シールズはついに掲げていた両の手をおろした。途端にシールズの体ほどの大きな土の壁は一気に土塊にかえり足元に崩れ去った。シールズはたまらずその場にお尻から倒れ込んだ。肩で息をしている。かなりの魔力と体力を使ったようだ。
「ハァ……バル、トロスったら。全然呪文をおぼえて、いないじゃないか。まったく」
肩を落としたバルトロスが消え入りそうな声で謝る。
「す、すまん。もっと覚えてるはずだったんだが……」
「ちょと、休ませて……くれる?」
「あ、あぁ。俺はあっちで剣の素振りでもしてくるよ……」
「わかった……じゃ、ちょっと休憩するね」
シールズは重そうな体を何とか持ち上げて、俺のもとにたどりつくとドスンと隣に座り込んだ。俺はちらりとシールズを見る。シールズは大きな口を開けて目いっぱい森の空気を体にとり込んでいる。相当疲れたようだ。
「シールズ、お前すごいな」
「……え? 何が?」
「詠唱をして、手をかざすたびに目の前に様々な防御隔壁が立ち上がってた。土の隔壁、木の隔壁、草の隔壁。すでにいろいろな防御隔壁を使い分けられてる。それに、呪文もある程度は覚えているみたいだし。まるで本物の紋章師みたいだったぞ」
「……ふふ。何を言っているんだよ。僕たちは、みんなすでに紋章師だろ。まだ養成院の生徒ではあるけれどさ……」
シールズはすこし体力が回復したのか、息が整ってきた。俺たちの座る木陰から、少し先。向こうのほうで剣の素振りをするバルトロスの背中がどこか寂し気だ。
さっきまでの勢いはどこへやら。あとで慰めてやらないとダメかもしれないな。
シールズが座りなおして話す。
「ウルは呪いの紋章師だろ。今はどんな魔術の練習をしているの?」
「今は“ヒトガタ”っていう人形を使って“傀儡術”の練習をしている」
「くぐつっていうと、操り人形? みたいな?」
「そうそう。生き物の体の一部とヒトガタをくっつけて魔術をかけると姿形がそっくりそのままの人形ができるって魔術だ」
「ひえ、ちょっとおっかないね。もしも自分とそっくりの人形がいたらとおもうと」
しかし、これがなかなか簡単じゃなかったりする。
その対象の特徴をすべて古代語に置き換えて、呪文の中に入れ込んでいかなければならないのだ。必然的に、恐ろしく長い呪文になってくるのだ。
気が遠くなるほどの長さの文章が出来上がってしまう。使いこなせるかどうか今はまだ自信が持てない。
少し落ち着いたのか、シールズがぼそっと言葉をこぼした。
「はぁ……なんだかバルトロスがかわいそうになってきたから、また相手をしてくるよ」
シールズはそういうとのそりと立ち上がり、バルトロスの方にかけていった。




