テマラの屋敷へ ★
テマラの屋敷に向かう送迎馬車の中に男三人と、女一人。
結局、バルトロス、シールズ、レギー、みんなの圧に屈することとなってしまった。
俺たちは今、クレタ達に会うためにテマラの屋敷に向かっている道中。
紋章師養成院の中期試験を無事終えて、今は試験後の“解放の日”の期間中。この期間中は養成院に外泊届けさえ出しておけば、数日間の外泊が許されるのだ。
尻がいたい。
座布団越しにもでこぼこ道の突き上げが体に伝わってくる。
俺の目の前で、膝をそろえて上下にゆられているレギーが口を開いた。
「あぁ、そういえば、リリカちゃんはどうしてこれなかったの?」
「リリカは家に戻らなきゃならない用事があるんだってさ、今回はパスって」
「ふうん……残念ね」
「ほんとにそう思ってるのか? レギーはワイバーンに会えればそれでいいくせに」
「そ、そんなことないっ……いや、ちょっとは、あるかも」
俺の隣で大きな肩を揺らしながらシールズが口をはさむ。
「ね、二人は同じクラスで魔術の授業を受けてるんだよね。進み具合はどう? 僕は盾の紋章師だからさ、最近は“防御術”ばっかり習っているんだ」
レギーがその小さな顔をシールズに向けて興味深げに口を開く。
「へー、防御術って実際に見たことないけど……どんな魔術なの?」
「そうだな、基本的に身を守るための魔術さ。一番わかりやすいのが隔壁系だね。文字通り目の前に壁を作って敵の攻撃を防御する魔術でさ。その時の地形なんかに影響される魔術だから、例えば土に対して使うと土の壁ができるけど、水に対してつかうと水の壁になったりもする」
「ふーん。水の壁ってなんだか通り抜けられそうだけど……あ、防御術って“服”とかにもかけられるの?」
シールズは魔術について話すのが楽しいのか、身振り手振りを交えて話す。その野太い腕が広がるたびに、俺の肩をぐいと圧する。俺はちらりと見上げる。シールズは、最近また一回り大きくなったような気がする。
俺の隣に座るシールズは巨碧人族と人間族の混血種だ。こいつは、怒ると体が膨れ上がり鬼に変わる。これ以上大きくなると、馬車に入りきらなくなりそうだけれど。シールズは俺の視線を横目にレギーの質問に答える。
「もちろん、服にも防御術はかけられるよ。普通の布の服が鋼鉄よりもかたくなったりするんだ。でもさ、きちんと※呪文※を使いわけないと、服がそのままの形でカチコチにかたまっちゃったりするから、身動きが取れなくなるような、まずい状況にもなっちゃうんだ」
注釈
※この世界では紋章師のとなえる呪文の事を“ノリト”と呼ぶ ※
「えぇ! やだぁ! 今この服の状態で服がかたまったら、すわったまま動けなくなるじゃない!」
「そうそう、だから本当にいろいろな条件を付けるための呪文を全部覚えないといけないから大変さ……結局さ、紋章師っていったって記憶力とか、頭のよさとかが必要なんだなって思い知らされてさ。ぼく、なんだか最近自信がなくなってきちゃって……紋章師として活躍するぞ、なんて息巻いてたんだけどね」
シールズは肩を落とす。そしてさっきまでの笑顔はどこへ行ったのか、急に口をすぼめて黙り込んだ。
「大丈夫よ。シールズ君ならできるって。それにしても、紋章師の扱う呪文って古代文字でややこしいよね。無駄に長いし、バカみたいに書き方もむつかしいし……」
その時、レギーの隣にけだるそうに座っていたバルトロスが小窓の外を眺めながらつぶやいた。
「お、なんだか森の先に大きな別荘が見えてきたぞ、もしかしてあれかな……」
俺は席からかるく身を乗り出して、小窓を覗き込んだ。
見えた。確かにあの屋敷が。ついにたどり着いてしまった。
テマラと娼婦たちが暮らす、あの貴族屋敷に。
箱馬車から降り立ち、屋根の上に積みこんでいた荷物をおろす。それぞれのお泊りセットを詰め込んだカバンを手に俺たちは屋敷の庭に踏み込んだ。
木々の発する、澄んだ空気が充満する中、手入れされた花壇が整然と俺たちを出迎える。
みんな、口数少なに周囲を見回しながら進む。
俺の隣を歩くバルトロスがふとこちらに目をむけてささやく。
「おい。ウル。随分といい屋敷だ……お前、貴族なのか?」
ああ、と答えそうになる寸前、俺は言葉を入れ替える。
「いや。そうじゃないけど。なんだかテマラのオヤジは手広く商売をしているみたいで、金回りはいいみたいなんだよな」
「……なる……商人か」
「ま、そんなところだな」
と、適当な返事でごまかす。
みんなには少し悪いけど、テマラが呪いの紋章師だという事も伝えてはいないのだ。
隠しているわけではないんだけれど、聞かれるまで言う必要もない。と自分に言い聞かせている。
今日来ることを手紙では伝えているけれど、その手紙をテマラが読んでいるかどうかは知らない。いや多分読んでいないだろう。どういう出迎えが来るのか、まさか、いつものようにまた娼婦たちと裸で鬼ごっことかをしてたらどうしよう。
俺の中でありとあらゆる不安が渦巻き、あちこちから冷たい汗が湧きだしてくる。
ついにたどり着いた大きな扉の前。
俺は立ち止まり、つばを飲み込んで、恐る恐る、分厚い正面扉を押し開いた。
俺の予想に反し、中は薄暗く奇妙なほどに静かだった。
一歩すすんで見渡すが、衣類が散乱しているわけでもなく、酒のニオイが充満しているでもなく。見事なほどに片付いていた。
「……意外だな。もしかすると俺の為に……いや、あのオヤジに限ってそんな気遣いをするはずはない」
後ろから続々入ってきたみなが口々に感嘆の声を上げる。その声が無人のホールにひろくこだました。
妙に通るレギーの声がひびく。
「……ね、ウル。ここって完全に貴族のお屋敷よね……天井のシャンデリアなんてクリスタル製じゃないのかしら……本当にあなたの親戚って貴族じゃないの……?」
「え? あ、あぁ、ここは貴族から買い取っただけっていってたからな。ただ、それだけの話だ」
「それだけの話って……ま、ウルがそういうんなら、そうなんでしょうけど……」
俺達がゆっくりとホールの中央に進むと、正面の階段上から声がした。
「あら~、いらっしゃい。ウル」
見上げると、デリアナが階段の手すり越しからこちらに手を振っていた。




