クレタの逆鱗 ★
青空を背に、クレタが走り寄ってくる。
その姿がはっきり、大きくなるにつれて、俺の記憶がぶれてくる。大きく振る俺の手が自然と、とまる。
「……あれ? クレタって……こんなに……」
かわいかったっけ、という言葉は心の中だけに留め、口をつぐむ。
最初、監視塔で出会ったとき、クレタは土にまみれたローブを身にまとっていたし、正直髪の毛も乱雑にくくられていただけだった。なんだか本当に気の毒な少女という印象しか持てなかった。
でも、今、俺の目の前にいる少女からは、清々しい可憐さがあふれ出ていた。着飾っているわけではないけれど、簡素なドレスからのぞく白い肌からは異国の色香があふれ出ていた。やはりというか、なんというか、少し肌色が多い服を着ているような気もするが。
俺はクレタの後方で佇むデリアナにちらりと目をやる。デリアナは露出多めの格好だ。
「やっぱり、デリアナの趣味か……」
クレタは満面の笑みで首をかしげる。
「え? なにか言った?」
「い、いやぁ、別に。それにしても元気そうでよかった。テマラのオヤジからひどい扱いを受けたりはしていないか?」
「ううん。ひどい扱いなんて受けてはいないわ。でも、テマラのおじさまはちょっと……怖いかな。わたしとはほとんど口をきいてくれないから。でも、デリアナさん達はとっても良くしてくれているわ」
「そっか、それならよかったよ」
その時、俺のすぐ後ろからバルトロスとシールズが飛び出してきた。二人とも我先にとクレタに歩み寄り再会の喜びを互いに伝えあっていた。俺はその場を離れて、レギーに目をやる。レギーはまるで違う空間にいるように、俺たちの方には目もくれず、じっと後方にいるデリアナと隣にいる大男を見つめていた。
俺がレギーに歩み寄ると、レギーは目を輝かせた。
「ね。ウル、あの男の人が背中に担いでいる籠の中にワイバーンの幼竜がいるのよね?」
「ああ、たぶんな。ちょっと見に行くか?」
「もちろん!」
俺達はデリアナとあいさつを交わし、軽くレギーの紹介をする。レギーは普段俺と接する態度からは想像もできないくらいに礼儀正しくデリアナとその従者に挨拶をかわす。デリアナが従者に耳打ちをすると従者はその大きな肩に背負っていた四角い籠を地に置いた。
木の箱には空気を通す為か、四角い穴がいくつか空いている。従者は木箱のフタを上からむんずとつかむと、ガバリと一気に持ち上げた。
木箱のそこには小さなワイバーン。かげに身を潜め目を閉じてじっとしている。
レギーは恐る恐る中を覗き込む。ワイバーンは一向に動かない。レギーは隣で一緒に覗き込んでいた俺にちらりと目をやりつぶやいた。
「うごかないね。この子……眠っているのかしら」
「みたいだな……」
「なんだか気持ちよさそう、起こすのはかわいそうね……」
「うん……」
俺がはじめてみた時と、大きさはそんなに変わっていない気がする。テマラに聞いた話だとワイバーンの成長スピードは早く、あっという間に大きくなると言っていたけれど。レギーは興味津々にワイバーンのミュウを眺めている。俺は少し顔を上げてデリアナにきいてみた。
「デリアナ、このワイバーン。ミュウっていう名前なんだけど、やっぱり食事の量ってすごいの?」
「え? いいえ、今のところそんなでもないわよ」
「そうなの? テマラの話だとそのうち一日で牛やらブタやらを一頭食べちまうって」
「あら、そうなの。食事の量というより、気になるのは食事の質ね。この子、生ものを食べないのよ」
「え? 飛竜は基本的に生肉をたべるってきくけど」
デリアナはミュウを少し眺めつつ話す。
「でしょ。だから生肉を準備してたんだけど全く受けつけなくてね。いろいろな肉を試したんだけど全然ダメ。それで試しに焼いた肉を出してみたら食べたの。それにね、変なのよ」
デリアナは続ける。
ミュウはどうやら調理された食べ物しか口にしないという事だ。生肉はおろか生野菜ですら嫌がってしまうらしい。要するに、いわゆる料理、デリアナ達と同じ食事を準備するとおいしそうに食べるらしい。
「へ~、そんなことがあるんだね」
「だからね、みんなで言っているのよ。この子は、きっとお上品なところで育てられた箱入り飛竜ってね」
デリアナはそういって、うふふ、と口元をおさえた。
その時、穏やかな時間の流れを断ち切るような声が響いた。
「おい、お前たち、何やってんだ? こんなところで」
この声。また“あいつら”か。ファイリアス率いる嫌味な貴族軍団だ。
この先の展開にめまいがする。俺が声のほうに顔を向けると、少し先、ぞろぞろと制服を着た連中の影が並ぶ。
中央のファイリアスがいつものように得意げな顔でこちらに歩いてきた。
俺は一歩踏みだして、近づけまいと肩を張った。
ファイリアスは前髪をいじりながらわざとらしい口調で話しかけてきた。
「よう、ウル。そのでかい箱は何なんだ? 差し入れでももらったのか?」
「はぁ……いったい何の用だよ」
「なんだよ、水臭い態度だな。同じ成績優秀者として、仲良くしようぜ」
俺がファイリアスに気を取られているといつの間にか、連中の一人がミュウの入った木箱を覗き込みながら大声で叫んだ。
「うおお! これワイバーンだぜ!! しかもすんげぇちいせぇ!」
「え、マジか! 俺もみたい!」
数人がいきなり木箱の周囲を取り囲んだかと思うと、そのうちの一人が手を伸ばしてミュウを強引に抱えあげた。俺はあわててそいつに手を伸ばす。
「おい! やめろっ!」
俺がそいつの手元からミュウを奪い返そうとした瞬間。
俺の真横に人影。
俺が、パッと人影に焦点をあてると、その白い横顔はクレタだった。
クレタは冷たくつぶやいた。
「その子を、はなしなさい」
ミュウを抱え上げた制服の男は、取られまいとミュウを高々と両手で空のほうに持ち上げた。そして、クレタを見下ろして舌打ちをする。
「ちっ、なんだこの女、その格好だとうちの生徒じゃねぇな? これはお前のペットか?」
クレタはまるで無表情に、もう一度同じ言葉をつぶやいた。
「その子を、はなしなさい」
そして、言葉をつけたした。
「これが、最後の警告よ」
男は応じない。鼻で笑いながらこう言った。
「警告だと? 何を言ってんだこの女、馬鹿じゃねえのか」
その言葉に、クレタは警告をやめた。
その長い髪がさらりとなびいたかと思うと、クレタは体を大きくひねり、まるで跳ね上げ橋のように右足をしたから振り上げ、男の腹に直撃させた。クレタの足は男の体を突き抜ける程にめり込む。
男は奇妙な声を上げ、体を二つに折り曲げた。
その時、男の両手に抱えられていたミュウがその手からこぼれて、地に落ちる。
クレタはすかさずミュウを素早くその手に抱き込んだ。
ほんの一瞬の出来事だった。
クレタは男からミュウを取り戻すと安心したように表情を緩める。
クレタの手の中で、ワイバーンのミュウは何事もなかったかのようにすやすやと眠っていた。クレタはミュウの頭を宝物のように優しく撫でながら、つぶやいた。
「ウル、悪いけど。もう、帰るね」