クレタ連れ出し作戦決行!★
二頭の大馬がひく箱馬車。
運転席の馭者の後ろに据え付けられている木製の豪華な箱は四人乗り。乗り込む扉には金獅子の紋章が厳しく飾りつけられている。
しばらくの間、俺たちは一言も口を利かずに、各々の席について“故障”が起こるのを今か今かと待っていた。
俺の隣に座るバルトロスが、こらえきれずに口を開く。
「おい、随分進んでしまっているぞ……シールズ、ほんとに馬車が故障するように細工したのか?」
「……したさ。じきに軛が折れるはず……しゃべっていると舌をかむよ、結構な衝撃があるはずだから、うまと、」
その時、突如、大きな音とともに視界が右に傾いた。俺たちは滑り落ちそうになる体をなんとか支える。そして、シールズの声。
「いふぁい(イタイ)!! ハルほろすのふぇイフェ、ぼふは、ひはをはんはふぁないは!(バルトロスのせいで僕が舌をかんだじゃないか)」
「シールズ、一体何語をしゃべっているんだ」
バルトロスは笑いをかみ殺しながら、待ってましたと言わんばかりに扉を開けて外に飛び出した。俺とシールズも後に続いて大地に降り立つ。
見上げる黒塗りの箱馬車は大きくこちら側にかたむいていた。前の運転席にいた老齢の馭者が青い顔でこちらに歩み寄り頭を下げてきた。
「も、申しわけねえです! 坊ちゃんたち大丈夫でしたかいな?」
俺はあまりにも取り乱している馭者に少し悪いと思いながらも、大げさに芝居をうつ。
「すごい衝撃でしたけど、何かあったんですか?」
「へ、へぇ……それがですね、どうしてだかわからねぇですが、大馬と後ろの箱をつなぐ軛がいまにもぽっきりと折れちまいそうなんです……今日来る前に下働きに点検させたたはずなんですが……」
「なるほど、このまま進むのは無理ですね、予備の軛を手に入れないと」
「……長年馬車を運転していますが、こんな故障は初めてで……予備の軛なんざこの馬車には積んでねぇんですよ……」
「なるほど、どうしたらいいでしょうね」
俺のわざとらしいセリフに馭者が答える。
「ここは、一旦、監視塔に戻って新しい送迎馬車を手配しなけりゃなんねぇです」
その時、シールズが話に割って入る。
「あ、あのぅ……」
困り果てた顔の馭者は、ふとシールズに目をやる。
シールズはさっき噛んだ舌がまだ痛いのか、ベロをふぅふぅと冷ました後に話し出した。
「あの……予備の軛がなくても、添え木になるようなものがあれば応急処置ができます。僕に任せてください」
「へ? いやぁ……でも、坊ちゃんたちの手を煩わせるわけにはいきません」
「いえ、大丈夫です。僕は慣れているんです。実は僕の父さんが細工屋で働いていて、僕もそういう細工は得意なので」
「で、でも、もしもまた故障しちまったら……」
バルトロスがずいっと入り込んでとどめの一押しを繰り出す。
「そういえば、監視塔の倉庫にちょどいい大きさの木やら鉄やらが置いてあったな、それを貰いにもどろう。な、じいさん、ここは俺たちに任せてくれ」
「は、はぁ……坊ちゃんたちがよろしければ、ワシは構わないですが……でも」
「よし、じゃぁ決まりだ! じいさん、馬車を路肩に寄せて少し待っていてくれ」
馭者は瞬きをパチパチと繰り返しながら、不思議そうな目で俺たちの寸劇を眺めていた。
俺は今来た道を引き返しながら、ふと後ろを振り返った。
馬車は森のあぜ道の横にとまっている。その前で馭者が額の汗をぬぐっているのが見えた。
俺は前に向き直ると、隣を歩くシールズに話す。
「はぁ……とりあえず成功だ。予定よりも監視塔から離れちまったが上出来だな」
「乗りこむ前に僕がヒビを入れていたってバレてないかな……?」
「大丈夫そうだ、あの爺さんでよかった」
「人のよさそうなお爺さんだね。なんだか少し気の毒な気もするけど……」
少し先を歩くバルトロスが振り返る。
「お前たち、ここからが本番だぞ。ウル、昨日の晩のうちにクレタ達を倉庫の中に待機させてくれているんだろうな?」
鋭い目つきでそう聞いてきたバルトロスに俺は返事をなげる。
「ああ、倉庫の中に連れて行って、一番奥の棚の上に潜んでいるように伝えてある」
「よし、急ごう」
俺たちが監視塔に続く石門まで戻ると、門の警備にあたっていた宮廷魔術騎士団員のひとりがこちらに気がついて手を挙げた。
俺たちが駆け寄ると気さくに話しかけてくる。
「おう、何やってるんだお前たち、俺達が恋しくなって戻ってきたのか?」
そう言って笑う警備兵と少しの軽口を飛ばしながら、俺たちは事情を手短に話す。警備兵は束の間、思案するような表情を見せはしたが、俺たちを中へ引き入れてくれた。俺たちはその足で倉庫へ急ぐ。ほどなく倉庫へたどり着いた。
倉庫といっても、扉も何もない。木でできた少し大きめの小屋といった感じの建物。
中には酒樽や備品、武器なんかが転がるように乱雑に並んでいる。きちんと管理しているのかどうかすら怪しい荒れ具合だ。しかしかえって好都合。
バルトロスに倉庫前の見張りを頼み、シールズは軛を補修するための材料を、俺はクレタとミュウのいる一番奥の棚へと進んだ。息をひそめて、名を呼ぶ。
「……クレタ……いるのか……」
返事がない。俺はもう一度、今度は少し声を強めて呼びかける。
「クレタ、ウルだ。出てきてくれ」
俺は棚を見上げるが、物音一つしない。まさか、移動したなんてことは。いや、ここから動くなんてことは考えられない。しかし、もしも俺たちがいない間に誰かが倉庫に来ていたら、クレタ達がどこかに逃げてしまった可能性もゼロではない。その時。けほっ、と誰かが小さく咳き込んだ。
「……ウル? ほんとにウルなの?」
クレタの声。どっと安堵の波が押し寄せる。俺は棚に呼び掛けた。
「ウルだ、シールズとバルトロスも来ている、降りてきてくれ」
棚の上から、不安げなクレタの顔がひょこりと伸びてきた。その横からミュウも顔を出す。俺と目が合った途端、クレタは今まで見た事もない、はちきれるような笑顔を見せた。
「ウル……良かった」
「さ、シールズの運ぶ荷物に紛れてここを出るんだ」
「うん」
俺がクレタに手を伸ばしかけた、その時。倉庫内に大きな声が響き渡った。
「キミたち! 何をしている!!」
クレタは慌てて顔を引っ込めた。俺が肩をすくめて倉庫の入り口を見ると人影。逆光で顔は良く見えなかったが、誰なのかは声で分かる。
俺たちの監督役だったデヴィンさんだ。デヴィンさんの声が再び響き渡る。
「聞こえているんだろう! 出てきなさい!」
俺は仕方なく一旦棚から離れて、倉庫の入り口へと向かった。