帰る日の出来事
それから数日。
このダロッソの国境監視塔への実地研修の授業は明日で終わる。
俺たちは、この数日間、なんとかクレタを隠し通していた。
クレタと幼いワイバーンのミュウはダロッソの森の中で過ごしている。
監視塔の近くにある、せまい洞くつに身をひそめることで難を逃れる事が出来ていた。
あの魔物よけの“結界宝玉”のおかげで魔物どもに襲われる危険はまずないようだった。
そうなると、彼女と幼いワイバーンに最も必要なのは“水と食べ物”だ。
俺達3人は自分たちに支給されていた食べ物の残りを、こっそりとクレタ達へ渡していた。
今日は俺がクレタのもとに届ける順番の日。
俺は真夜中の屋上のへりに立ち、静まり返った真夜中の森を眺めていた。
「……ふぅ、明日、養成院に帰るかとおもうと、うれしいような、寂しいような……」
もうじき、クレタがワイバーンのミュウに運ばれてこの屋上に来るはずだ。
その時、ミュウの鳴き声が聞こえたかと思うと、夜闇の中にぼんやりと黒い影が浮かぶ。
その影は徐々にこちらに近づき、屋上に見事に着地した。
俺は腹に隠し持っていた麻袋を取り出して、歩み寄るとクレタに差し出す。
「悪いな、クレタ。今日はあんまり量がなくて、でも肉があるから少しは腹がふくれると思う」
クレタは小さな手でその麻袋を受け取りながらこちらを見上げた。
「……ほんとに、ありがとう。ウル達がいなかったら、今頃、わたしもミュウも……」
「礼はバルトロスに言ってくれ、あいつが一番よくやってくれている。だが、まだ安心はできないぞ」
「明日はみんな帰っちゃう日なのよね」
「……そうだ。明日は俺たちを迎えに養成院から送迎用の箱馬車が来る。そこにうまく潜り込むことができればいいけど……正直、うまくいく保証はないぞ?」
「……わたし、こわい」
麻袋を抱えていたクレタの指に力がぐっと入る。俺たちの足元にいたミュウがクレタに身を寄せて小さく鳴いた。その声はとても不安げに響いた。俺はしゃがみこんでミュウの頭を軽く撫でる。
「お前も心配だよな……」
それにしても、ワイバーンの幼竜なんて初めて見たけれど、こんなに表情豊かだなんて思ってもみなかった。成竜のワイバーンのあの険しい顔立ちからは想像もつかないほどに愛くるしい仕草。
俺はミュウを体に抱えあげてクレタを見る。
「クレタ、バルトロスやシールズから毎日聞いていると思うけど、明日の作戦は覚えたよな?」
「……うん。一応は……」
「よし、じゃぁ説明してみてくれ」
クレタは小さくうなずいた。
俺はクレタの説明を聞きながら、明日の作成の成功を祈った。
次の日の朝。
俺たちは帰り支度を早々にすませると、荷物を抱え、馬小屋に簡単に作られた野営から出た。
バルトロスもシールズも、こわばった顔でいつになく無口だ。
俺たちは顔を見合わせる。口火をきったのはシールズ。
「うまくいくのかなぁ……」
シールズがぶっといため息をつく。バルトロスがそれに呼応する。
「おい、そんな弱気でどうするんだ。お前がうまくいかせるんだ。それが本物の紋章師ってもんだ」
「ちぇっ、僕たちはまだ紋章師でもなんでもないんだって。養成院の生徒なんだから」
「違うね、紋章を授かった時点で俺たちは紋章師だ。それくらいの気概を持て」
「そんな事言ってもさ、気持ちだけでなんとかなるものじゃないよ……」
シールズはいつものようにぶつぶつといいながら歩き出した。
俺たちが監視塔の出口に向かうと、そこには送迎馬車の馭者が1人、そしてここでの俺たちの監督役だった宮廷魔術騎士団のデヴィンさんが、馬車の前で何事か話していた。
俺たちは駆け寄るとデヴィンさんに敬礼した。
デヴィンさんはにこりと笑うと俺たちと順に握手を交わす。
「短い間だったが、何かここで得たことがあったのならば嬉しいよ」
最初に来た頃よりは宮廷魔術騎士団というものがどういうものか少しは理解できたのかもしれない。
しかしそれは、いい意味でも、悪い意味でもある。二頭のワイバーンと正体不明の侵入者の件をデヴィンさん達がどう扱ったのか、俺達には知る由もないし、こんなところで聞くこともできない。
”何事もなく”それが俺のここでの振る舞いだ。
俺はデヴィンさんの言葉をどこか白々しく感じながらも、当たり障りのない返答でその場をやり過ごした。
その時、俺の隣にいた、バルトロスの口から思ってもみない言葉が飛び出した
「デヴィンさん、あの二頭のワイバーンと獣人族の死体はどうなったんですか?」
一瞬でその場の空気が凍りついた。
俺はデヴィンさんの顔をうつむき加減でちらりと盗み見た。
デヴィンさんの口の両の端はうっすらと吊り上がっているように見えた。
デヴィンさんはゆっくりと落ち着いた声で話す。
「死体がどうなった? とはどういう意味だ、バルトロス君」
「純粋に、どうなったのかな、と。回収した後、一度も見かけないので」
「なるほど。心配してくれたんだな。では、おしえてやろう。あの死骸に対しては“しかるべき対処”をした。返事はこれでいいかな?」
「……はい、わかりました」
バルトロスはどこか不満げに引き下がった。その時。デヴィンさんが一歩踏み込む。そしてバルトロスの頬に手をあてて低くささやく。
「バルトロス君だな。しっかりと名前は覚えたよ。どうやらキミは先輩に対する礼儀がなっていないようだ」
デヴィンさんはそういうとバルトロスの頬を指でトントンと軽くこづいた。
そして憎々し気に言った。
「せいぜい道を踏み外さないように気をつけることだ」
デヴィンさんはゆっくりと手を引き下げたかと思うと、突然バルトロスの左頬におもいきり平手を食らわせた。
痛々しい音が響き渡る。
バルトロスのかみつぶしたうめき声がかすかに聞こえた。そのままバルトロスは黙り込んだ。
デヴィンさんはそのまま背を向けて、じゃあな、と投げやりに言葉を放って去っていった。
しばらくの沈黙を置いて、俺はバルトロスに目をやる。
バルトロスの左の頬はみるみる赤く腫れあがっていく。
俺はため息をついて小さく声をかける。
「あのさぁ、お前……最後の最後になにをしてんだよっ。成績に響くぞ」
「ふん、最後の最後だから言ってやったんだ。後悔はしていない」
「正義感があるのはいいが、時と場所をわきまえることも覚えるべきだ。とにかく、馬車に乗ろう」
俺たちは足早に馬車に乗り込んだ。