ルルコット領主の息子、マルコです
俺は女が眠ったのを確認すると、ゆっくりとランカに目をやる。
ランカは槍を右手に持ったまま、女に目を奪われ突っ立っている。
そして、震える声で、すごくまっとうな質問を口にした。
「……そ、その女に何をしたのです?」
「なぁに、ちょいとばかし眠ってもらっただけさ。添い寝の相手は悪夢だがね……ランカ、もうおしまいにしよう」
「おしまい……?」
「そうだ。この女は俺が魔術を解くまで眠り続ける。つまりこの生誕祭が終わるまで目を覚ますことはない」
「……どうして……邪魔をするのだ……今日という日の為に、どれほどの恥辱を耐え忍んできたか……」
ランカの形相が痛々しくゆがむ。血走った目は吊り上がり、乱れた髪が浮き上がる。手に持つ槍をすっと振りかざした。
「その女が役に立たぬのならば……この身を生贄にささげるだけだ! このランカが! 女どもを皆殺しにしてやる!!」
恨みに満ちた怒号が響き渡った、その時。
廊下中に並んでいた扉が次々と派手な音を立て、勢いよく開いた。
そこから一気に十数人の兵士たちが前に後ろに躍り出る。
みな、銀の甲冑に身を包み、その手には冷たく光る剣。
兵士たちは網の目のような隊列を組み、一気にランカを取り囲んだ。
俺とキャンディは突然の出来事に身動き一つできない。
辛うじて動く口からつい言葉がこぼれる。
「……なんだこりゃ……」
ランカは突如として現れた軍隊蟻のような兵士の群れにも、臆することなく険しい目つきを崩さない。
次に、素早く槍を床に突いてぐっとひと押し、天井に届くほど高く跳躍した。
兵士の輪を飛び越えて、ひらりと廊下に着地すると、後ろから兵士たちを薙ぎ払った。
槍と鎧がぶつかり合う金属音が耳に痛い。
狭い廊下の目の前で、凄まじい乱戦が始まった。
「こ、こいつらずっと待ち伏せしてやがったのか?」
俺は慌てて足元の女を両手で抱え上げて、戦闘の集団から少し離れたところに移動させて壁際に寝かせた。キャンディの声がした。
「あっ、ランカが……」
声につられてランカの方に目をやると、多勢に無勢。
いくらランカの腕が立つといっても、この狭い廊下、こんな数の兵士相手では確実に不利だ。
数名の兵士たちはランカの槍に腕や足を突かれて、倒れ込んでいたものの、すでにランカも傷だらけ。薄手の衣類はあちこちが擦り切れて、そこから真っ赤な鮮血が飛び散る。
そしてついに、ランカが片膝をついた。
その隙をついて、一斉に兵士達が上から飛びかかりランカの体中を圧して床に押さえつけた。
ひとりの興奮した兵士が勢いのまま、走り寄り、剣をおおきく振り上た。
うつ伏せのランカの首すじめがけ剣を振り下ろし、ランカの首を狩る。
その時、甲高い声が廊下中に響いた。
「もうよい! やめろ!!」
鋭い声に、その場の空気が一瞬で固まり、全員が動きを止めた。
俺は声のもとをたどり、後ろを振り返る。
廊下の一番奥の扉から、赤毛を揺らして背の高い男がカツカツと迫りくる。
重厚な盾を構えた兵士を両脇に従えて。
胸に大きな花形のブローチ。深紅のマントを羽織った男は適度な距離で足を止めると俺をちらりと見た。次に、ランカを睨みつけた。
男は隣にいる屈強そうな盾の兵士にたずねた。
「牢番を殺し、リゼを勝手に連れ出したのは、あの取り押さえられている男か?」
「はい、そうでございます。牢番の首には大きな槍の痕がありました」
「で、手前にいる、そのこきたない男は?」
聞かれた盾の兵士は、俺を見て、さぁ、と首をかしげる。
男は不服そうに鼻で笑った。
周囲の兵士たちの態度から推察するに、この男が、おそらくルルコット城領主の息子、ルルコット・マルコ、その人だろう。
短かい赤毛を後ろに流し、小奇麗な白い顔。聡明そうなまなざしで周囲の状況を鋭く見渡している。
さて、この状況をどうおさめるか。
マルコがおもむろに口を開いた。
「今日はわたしの生誕祭だ。これ以上血なまぐさい話は無しだ。取り押さえた男は幽閉塔へつれていけ、リゼは医術室でやすませろ。そして……」
全員が静かに聞いている。マルコは衆目を集める中、俺に告げた。
「そこのこきたない男には話がある。客間で待つように。以上だ!」
「はっ!」
周囲の兵士たちの敬礼を確認すると、マルコは振り向いて再び奥の部屋に戻っていった。
マルコが去ったのを見届けると、兵士たちは素早く動き始めた。
俺は廊下の端により事の成り行きを見守る。
ランカは腕を後ろに縛り上げられて連れていかれた。ほどなく、マルコの隣にいた盾の兵士が俺のもとに近寄ってきた。
「おい、おまえはこっちだ。こぎたない男」
「けっ、もっと感謝してほしいもんだね」
「なんだと!!」
「へぇ、へぇ、どこへでもついてきますよ」
「運のいい奴だ、今日が生誕祭でなければお前みたいな浮浪者は切り捨てられているところだ」
運がいいのはお前の方だ、と、俺は心の中で毒づいて、ひとまず従った。