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基礎剣術のヘレーネ先生

 日差しから逃げて木陰に身を寄せる。


 しばらく芝の上にかがみこんで乱れた呼吸を整える。

 さっきよりは、ほんの少し体が軽くなった気がするけれど、あいもかわらず、全身からは冷たい汗がにじみ出てくる。

 なんだか体の内側に氷を突っ込まれたような気分。


 ふと、首を上げて、まぶしい空を睨む。真っ白い雲が立ち上がり、偉そうにこちらを見下ろす。


 耳に届くのは、威勢のいいかけ声。

 そして木剣を打ちつけあう、かつん、かつん、という乾いた音。


 俺のクラスは、今、芝生の広場で、基礎剣術の授業中。



「はぁ……まさか、ここまで弱っているとは、これじゃまともに稽古もできない……」



 俺はため息をこぼし、額に浮き上がる冷汗をまたぬぐう。


 もともとの持病、それに加わり『黄泉がえりの呪法』という呪いの魔術を受けたせいで、俺の体は以前にもまして疲れやすく、運動に耐えられなくなりつつある。

 しびれる手足をがむしゃらに振りながら、いらだつ気持ちを込めて、芝をかかとで踏みつけた。


 その時、いつの間にか、こちらに歩み寄る人影。

 基礎剣術のヘレーネ先生だ。長剣の紋章師であり、この養成院でも数少ない女紋章師のひとり。


 ヘレーネ先生はうす緑の上衣(チュニック)からはみ出しそうなほどの胸を揺らして歩いてくる。

 すそを絞ったパンツ姿、足取り軽くニコニコと笑みを浮かべている。その左手には不釣り合いなほどの長い木剣をたずさえている。

 なんといっても、男子生徒の一番人気の先生。

 “見た目は”完璧だ。

 俺は一息ついて、なんとか体をまっすぐに立てた。

 叱られる準備をする。


 目の前まできたヘレーネ先生は、その整った顔立ちをゆがめ、口の片方だけを引っ張り上げて、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 美人が台無しになる、瞬間。




「あらぁ、ウル君。少しは()()()になったぁ?」

「はい……さ、さっきより、めまいは……ましになりました。すみません」

「男のくせにっ、な~んていうつもりはないから、安心してね。ワタシもさんざん女のくせに、という言葉を聞かされてきたから。男だろうが女だろうが強い子は強いし、弱い子は弱いの」

「……俺は弱い子、ですかね……ははは」

「あら、そんなつもりで言ったわけじゃないのよ。でも、まぁ、少なくとも剣術においての体力というものは魔術においての魔力と同義だからねぇ。ウル君のその体は、剣術においては不利にはなるかしら。ただし、弱いかどうかは……ウル君次第よ」




 そういうと、ヘレーネ先生は突然、表情を消して真顔になる。左手の木剣をくるりと回すと、その剣先を俺のあごの下に差し込んだ。俺はどきりとして、背筋がピンと伸びる。

 


「ウル君。前から言おうと思っていたけれど。あなた……どこかで剣術を習っていたことがあるわよね?」

「え? はい、あの……見よう見まねで……少しは」

「うふっ、ワタシが一体何人の生徒を見てきたと思っているのかしら。あなたの(たい)さばきや剣の持ち方。それにふとした時の体重移動。あれは、昨日今日、自然と身につけたというものではないわ。誰かに“コツを教わった動き”よ」



 俺を捕らえて離さない鋭いみどりの眼光。俺の体の芯がぶるりと音を立てた。

 俺は、過去に剣術を習っていた事がばれないよう振舞っていた。が、ヘレーネ先生にはすべてお見通しだったようだ。

 もはや観念するしかない。



「す、すみません……実は」

「……あらぁ、別に謝らなくていいの。誰に教わったかを白状しろだの、あなたの素性を明かせだのとはいわないから。ただね、これだけは言わせて。ワタシの授業で、手抜きは許さないわ」



 ヘレーネ先生の持つ剣先が俺の喉ぼとけに、ほんの少し、近づく。



「は、はい……これからは真剣に取り組みます……」

「おっけい。許してあげる。あなたの疲れやすい体質は仕方がないとしても、できるくせにできないふりをしたり、稽古試合で手を抜くというのは、我慢ならないわ。それは自分自身に対する侮辱よ。いつでも、どんな時でも、真剣勝負をしなさい。負けるとわかっている時でもよ。いいわね?」




 俺は言葉につまり、うなずきで返答した。

 とたん、ヘレーネ先生は木剣をさげ、やわらかい笑顔に戻った。




「ウル君、あなた試験でいい成績をとったって聞いているわよ。剣術も頑張りなさい」

「はい……」




 俺は思い切って聞いてみた。



「ヘレーネ先生、やっぱり剣術でも魔術でも、貴族出身者が有利なんですか?」

「当然ね。だって貴族出身者は、この養成院にくるまえからそれなりの学習をしているからね。聞くまでもない事よ」

「じゃ、平民出身者は不利じゃないですか? そんなの不公平です」

「それも当然ね。聞くまでもない事だわ。でもね、貴族出身者が有利なんていうのは、基礎授業の時だけだから、心配しなくてもいいんじゃないかしら。後半になれば、努力し続けるものが、おのずと頭角を現してくるわ」




 ヘレーネ先生は剣先をすっと視線の先に向ける。その先、木剣を打ちつけあう生徒達の姿がある。



「ここから見れば、彼らのうちで誰が貴族で誰が平民かなんて、わからないでしょ。でもね、ここから見ても、今、木剣での打ち合い練習に対して、誰が真剣か、誰が手を抜いているかはわかるわ」




 俺はさっき先生に言われた言葉が脳裏によぎる。手抜きは許さない、という言葉が。ヘレーネ先生は続ける。




「ウル君。だからね、この養成院では、手を抜いている暇なんてないのよ」



 ヘレーネ先生はそういうと「さ、稽古に戻りなさい」と俺に告げた。




俺は小走りに生徒たちの波に入り込む。

 周囲の皆が木剣での打ち合い練習をする中、一人きりで素振りの練習をしているシールズを目指す。シールズがふと、こちらに視線を向けた。




「あ、ウル。体の方はもう大丈夫なのかい?」

「あぁ……わるいな。俺のせいで素振りの練習なんてさせちまって……」



 俺はそういいながら軽く手を挙げた。シールズは木剣をすっと下におろした。



「いいさ。僕の相手をしてくれるのは、ウルぐらいしかいないからね」

「ま、いろんな意味でお前は“脅威”だからな」

「ちぇ、ウルまでそんなこと言うのかよ」

「ははは、悪ィ、悪ィ。冗談だよ」




 オレはそう言いながら、呼吸を整え、剣を構えてシールズと向き合う。

 今、シールズの事を“脅威”と表現したのは、あながち冗談とも言い切れない。

 なにせシールズはこのクラスで一番体が大きく、一番腕力が強い。

 剣術の打ち稽古で使う打ち込み台を、すでに三つ破壊済みなのだ。

 間違いなく戦士としての素養はピカいち。 

 まわりからは破壊王とあだ名されているほどだ。 

 

 ただ、その勇ましいあだ名とは裏腹に、惜しむらくは、その臆病な性格だ。

 俺の目の前で構えたシールズはすでに、どこか腰が引けている。



(対人になると、途端に気後れするのは優しさからだろうか……)



 俺は上段に構えていた剣を振り上げて、右斜めから振りぬいた。

 かつっ、という小気味良い音と共に木剣の交わる振動が手に伝う。

 そのまま、左右に順に降りぬいていく。

 一定のリズムで互いの木剣を打ち付けあう。

 一通りの打ち合いを終えた頃合いに、ヘレーネ先生が打ち合いげいこを止めて、生徒たちをひとところに集めた。


 ヘレーネ先生は、円陣の中央から生徒たち一同の顔を見わたし声を響かせた。




「さ! 今日で一通りの攻撃方法と、防御方法は教えたわ! という事でねぇ、打ち合ってるだけじゃあなた達もお暇でしょ。だから、今から、恒例の稽古試合をしてもらうわ。誰か、我こそは、という人はいないかしら?」



 間髪入れず、生徒たちの中で手を挙げる者が一人。

 皆の注目を集めたその男は生徒たちの波を割って進み、ヘレーネ先生の前に一歩進んだ。

 それを見ていた俺の隣のシールズが手を添えて、小さく耳打ちする。



「バルトロス……あいつは剣の紋章だから、剣にはひときわプライドを持っている……」



 剣の紋章師、バルトロス。

 短く刈った金髪の下にあるくぼんだ眼窩からチラとのぞくのは深い海のような碧眼(へきがん)。薄手の上衣の下からも、固く盛り上がった筋肉が強靭な肉体を物語る。

 野生の獣のように緊張した空気をまとう無口な男だ。



 俺はシールズにささやく。



「なんだか、随分と老けてるよな、あいつ。同じ15歳とは思えねぇよ……」

「確かにね、どこか大人びているね……」




 俺達がそんなことを小声でつぶやいていると、ヘレーネ先生が予想外の提案をした。




「バルトロス君ね。じゃ、今日はこうしましょう。バルトロス君、稽古試合の相手をあなたが選んで」

「……誰でもいいんですか?」

「もちろんよ。ただし、分かっていると思うけど……この稽古試合では魔術の使用は禁止よ」

「はい。じゃ、俺が相手にえらぶのは……」




 バルトロスは、低い声で、俺の名を挙げた。




「……は?」



 一瞬、意味が分からなかった。バルトロスは、このクラスでは間違いなく一番剣術が強い奴だ。そんな奴が、さっきまで日陰で休んでいた俺を指名するだなんて。俺は慌てて手を振る。




「ちょっと……どうして俺なんか選ぶんだよ。俺じゃお前の相手になんかならないって」



 隣のシールズが「確かに」あいの手を入れるが、バルトロスは譲らなかった。

 そして、ついにヘレーネ先生が告げる。




「おっけい。それじゃ、バルトロス君、ウル君。防具を装備なさい」









 準備された防具をいやいやながら順に装備していく。

 体をぐっと締め付ける獣革をなめしたレザーアーマー、頭部は簡易な木製のヘルメットをかぶり、脛あて、そして左の腕には装着型の楕円の小盾。

 俺はため息をつきつつ、円陣の中央に立った。


 皆は少し距離を取ったところで、俺とバルトロスを囲むように座っている。口々に好き勝手に喚き散らす。



「ウル! 死ぬなよ!」

「バルトロスに銅貨100枚!」

「そこ! 黙りなさい! 賭けは懲罰委員行きだぞ!」



 今日一番の盛り上がりだ。

 まるで、剣闘士の試合の見物客のごとくにわいわいと楽し気にはやし立てる。

 その時、俺の目の前に立ちはだかるように審判の役を務めるヘレーネ先生がぬっと近寄った。

 

 俺の胸元に手を置くと、レザーアーマーの留め具をぐっと閉めなおした。




「ウル君。防具の留め具はきちんと閉めなさいと、いつも言っているでしょう」

「は、はい。すみません」

「……ところで……さっき、ワタシがあなたに言った言葉、覚えている?」

「え?」




 ヘレーネ先生は俺のレザーアーマーの留め具を順番に閉めなおしながら、そよ風のような声で伝える。




「手抜きは許さない……よ。ねぇ、バルトロス君が、あなたを指名した理由をよく考えなさい。大勢いる生徒の中から、あなたを選んだ理由をね」

「俺を……選んだ、理由……?」




 ヘレーネ先生は留め具の確認を終えてすっと身を引いた。

 その向こうには、防具に身を包み、右手に長い木剣を握るバルトロスの勇ましい姿。


 バルトロスは、飛び立つ鷲が翼を広げるように、実に優雅に、その右手に持つ木剣を大きく上段に身構えた。



(俺には体力がない、長期戦は明らかに不利。勝負は、一瞬で、決まる)



 俺は上段に身構えるバルトロスとは対照的に、右手の木剣を握ると、地を這うように下段に構えた。




 上段に構えたバルトロスのかたい表情から読み取れるのは、迷いだった。

 ヘルメットの下にあるのは、何か納得しかねているような、ずれを気にしているような、そんな、なんとも言えないこわばった顔。

 



(そりゃあそうだろうな。俺のとった下段の構えなんて、一対一の打ち合いでは明らかに不利な構えなんだから)



 

 俺はべリントン家に生まれてからずっと“不利”だった。

 偉大な父と優れた兄に囲まれた劣等感にさいなまれる毎日。

 どうせ不利ならば、とことんまで不利な戦い方で挑んでやる。

 そんないじけた考えから生まれたのが、この下段の構えだ。

 俺は、べリントン家で過ごしている間、ずっと踏みつけられ、足蹴にされる道端の石ころのような存在だったのだから。




(さて、バルトロス。この下段の構えをどう崩してくるか……)



 相対するバルトロスに意識を集中する。

 その時、突如、周囲の喧騒が消え去り、バルトロスの息遣いだけが聞こえてくる。

 はっ、はっ、と耳が痛いほどに大きく響く。

 ふいに、かつての記憶がよみがえる。

 俺の目の前、上段に身構えるバルトロスに重なり、ぼんやりと黒煙のように浮かびあがるのは父、アルグレイ・べリントンの影。

 その立ち姿には一分の隙もなく、まるで非人間的と言えるほどに完璧だった。



 かつて、剣術の稽古中に、何度も手を打ち据えられて、何度も剣を地に落とした。

 剣を拾い上げるたびに、大地に膝をつくたびに、形容しがたい感情が嘔吐のようにこみ上げた。

 勝ち目はない、繰り返し、そう教え込まれた。


 先制攻撃をしたところで、どうせすべて防がれる。

 そんな稽古ばかりをしていたせいで、自然と時間稼ぎの為に身についたのが、この下段の構えなのだ。応じ技の構え、つまり相手が動いてから、それに応じて技を繰り出すという構え。

 



(……動いた)




 ふと相手の剣先が振り子のように左右に小さくふれた。

 甲高い掛け声とともに、バルトロスの木剣が俺の首筋に襲いかかる。

 迫りくる剣の軌道。


 しかし、それは父の比ではなかった。天と地ほどの差。

 バルトロスの動きは、まるで、時魔法にある“鈍化術“をかけられてしまったかのように見えた。

 純粋に、のろかったのだ。


 木剣どうしのつばぜり合いならば、ここでふつうは受け流す。

 けれど、これは真剣勝負。今まさに手に持つ剣が、本物の剣と想定しての戦い。

 だとすると、一撃で勝負は決まる。


 俺は地を這う蛇のようにぬるりと前に飛び込むと、腰を低めた。

 バルトロスの剣の軌道、そのさらに外側に肩をねじ込み回り込んだ。

 バルトロスの木剣は俺の体をかすめることもなく無様に空ぶった。

 俺は、そのまま、横からバルトロスの手首をめがけて、下から一気に木剣を叩きあげた。

 衝撃。



「ぐあっ!!!」




 つぶれたような声を上げて、バルトロスは震えた手から木剣を手放した。

 木剣は軽く浮き上がり、そのまま、乾いた音を響かせて地に落ちた。 


 


「勝負あり!!」




 ヘレーネ先生の声が響いたかと思った瞬間。

 周囲の生徒達から大きな声が沸き上がった。口々に何かを叫んで、とにかくうるさい。



「うおおおお、すげぇ!」

「なに、いま何がどーなったんだ!? よく見えなかったんだけど!」

「おい! さっきバルトロスに銅貨100枚とか言っていた奴、どいつだ! カネ払えよ!」

「ウル、よえーくせに、つえーな!」




 渦巻く歓声の中、俺の足元にうずくまるバルトロスが、ぽつりとこぼす。




「やっぱり……ウル。俺の読み通り、お前はつよかった」

「……あのさぁ、買いかぶりすぎだって……ちょっと剣術をかじっていただけだって」

「……ま、そういう事に、しておく」



 バルトロスは剣を拾い上げると立ち上がる。姿勢を正すと、俺に手を差し伸べた。

 俺は応じ、握手する。

 バルトロスの手は、打ち付けられた直後の痛みのせいか、かすかにふるえていた。

 バルトロスはどこか恥ずかしそうなまなざしを、こちらにむけて、「次は、勝つぜ」と小さく笑った。






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